見出し画像

エース松岡の回帰

 今でこそ首位阪神を猛追する中日だが、つい一ヶ月前は故障者続出と先発陣の不調が重なり、出口の見えないトンネルの中でもがき苦しんでいた。あの時期、危機に頻したチームを左腕一本で支えたのが松本幸行だった。もし松本がいなければ、首位争いどころか今ごろ中日は借金返済に窮していたのではないだろうか。それほど前半戦における松本の貢献は多大なものがあった。

 6連勝と勢いに乗る中日は、その松本をマウンドに送った。「オールスターまでに貯金10」という与那嶺監督が掲げる目標に向けて、今の中日には一点の曇りもなく邁進している。とりわけ松本が投げる日は “勝てる日” だという認識が、チームにもファンの間にも行き渡りつつあった。

 一方のヤクルトは苦しいシーズンを過ごしていた。投打が噛み合わず最下位に低迷し、ここにきて人事刷新をめぐるフロント、首脳陣のドタバタも紙面を賑わせている。

 しかし、このチームのエースを担う松岡弘にとって、そんなことは大した問題ではなかった。46、47年と2年連続でリーグの “最多敗” という不名誉な称号を得ながらも、昨年は21勝を挙げて貯金を3つ作った。弱いチームでも勝てることを実力で証明した右腕だが、今シーズンは昨年に比べて安定感に欠ける投球が続いていた。

 先月末には阪神、巨人を相手に2試合連続でノックアウトを喫し、荒川監督には「エースは浅野に代わった」とまで言われた。公然と誇りを傷つけられたのに、松岡は愚痴を吐いたり、態度に出すようなマネはせず、黙々と調整に励んだ。

 6日の巨人戦で面目躍如の9勝目を完封で手にしたとき、松岡は「この調子ならオールスターまでに、あと二つくらいは勝てそうですね」と爽やかに語った。その充実した表情は、疑うべくもなくエースの顔だった。

 両チームのエース同士の投げ合いは、予想どおり熾烈なものとなった。松本がヤクルト打線を3回までノーヒットに抑えれば、松岡もピンチを背負いながら要所を締める投球でスコアボードに「0」を並べてゆく。先に松本がつかまり、5回表に1死一、三塁から大矢の犠飛でヤクルトが先制。しかし好調中日もその裏、すぐさまチャンスを作ると、バッテリーエラーの間に労せず追いついた。

 先の読めない展開が続く中で、松本に限界が見えたのは7回表のことだ。2死一、二塁。ここで打率1割台の松岡に中前に抜かれたが、センター白滝政孝の矢の如し返球で山下が本塁憤死。難を逃れた松本は当然次のイニングも投げるものかと思われたが、8回のマウンドに現れたのは背番号20、星野仙だった。

「松本は腰がよくないし、7回は白滝のファインプレーに救われたが、投手の松岡にまで打たれた。球威は落ちていたんです」。近藤コーチは交代の理由をこう説明した。たしかに4回以降の松本は毎回ヒットを打たれるなど今にも崩れそうだったのは本当だ。

 むしろ誤算だったのは、代わった星野仙の投球ということになる。先頭の武上こそ三振に抑えながら、2番東条、4番ロジャーにストレートの四球。さらに暴投も絡んで2死二、三塁。山下の投手強襲打はグラブを弾いて三塁方向へ転がり、その間に走者生還。さらに重盗を許して致命的な2点目を失ったのだ。

 ダブルエースによる豪華リレーは裏目に出た。近藤コーチは「結果論」と一蹴したが、代えられた松本が「もっと投げたかった」と悔しがれば、敵将も「松本なら点が取れないので、ロジャーに代打を出すことを考えていた」と、暗に交代を歓迎するようなコメントを残している。いささか中日ベンチの判断が早すぎたのは否定できないだろう。

 ただ、何をおいても松岡がすばらしかった。6回以降は一本の安打も許さず、4年連続となる二桁勝利を完投で決めてみせた。たとえ松本が続投しても、遅かれ早かれ似たような展開になっていたのではないだろうか。ハーラートップの松本に投げ勝ち、倉敷商の一年後輩にあたる星野仙にも貫禄の違いを見せつけた。“俺がエースだ”ーーそう言わんばかりのみごとな投球であった。

 中日の連勝は6でストップ。「ショックはない。たまには負けないと」。与那嶺監督はそう笑い飛ばしたが、松本と星野を注ぎ込んでの負けには単なる一敗以上の痛みがあるのも事実だ。

中1ー4ヤ
(1974.7.11)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?