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母に捧げるバラード

 5日、ゲームのなかった中日は、巨人が本拠地で大洋に敗れたため待望の単独首位に躍り出た。その模様を名古屋の常宿であるホテルナゴヤキャッスルの自室でテレビ観戦していた与那嶺監督は、はやる気持ちを抑えるように兜の緒を締め直した。

「まだ33試合も残っているから分からないよ。でもトップに立ったら遠慮することないから、これからは2ゲームでも3ゲームでも離せるだけ離すことよ。だから、これからは今まで以上に1試合1試合を大事にいかないといけない」

 巨人といえばついこの間、破竹の10連勝でトップを快走していたのに、ここにきて急ブレーキがかかるとは誰が想像しただろうか。

「37のワシが3本も打っとるのに、じじくさいプレーばかりしやがって。ワシは腹が立ってたまらん!」

 敵軍の江藤慎一にこき下ろされ、挙句は "じじぃアンツ" と命名されてしまうほどの覇気の無さは、平均年齢30超えというレギュラー選手たちの体力不足ゆえか。

 それに引きかえ、中日の若さあふれる躍動感たるや。次から次へと日替わりヒーローが現れ、劇的な逆転試合を連発する今の雰囲気について、ベテランの広野は「みんなすごくやる気だ。これで優勝できなくてはウソだ」とまで言い切る。昨年まで3年間、巨人のユニフォームを着ていた男の見立てだから、説得力も段違いだ。

*   *   *

 大島康徳は燃えていた。プロ6年目、大分県中津市の実家には正月に顔を見せるくらいで、親孝行らしい事は一切してこなかった。数日前、その母親から電話があった。「息子に名古屋に行っていいかと聞いたら "来い" と言うんです。うれしかった」。中日の快進撃を新聞で見て、どうしても試合を見たかったのだという。

 遠路はるばる、九州から名古屋へ。ところが大島は、この日アパートを訪ねた母親に「でも球場には来ないで」とわがままを言った。シャイな性分ゆえ照れがあったのだろう。その代わり、出掛けにこう約束したという。「母さん、今日はきっとデカい土産を持って帰るからね」ーー。

 "デカい土産" になりそうな場面が訪れたのは2回裏だった。木俣の走者一掃打で3点を入れた後、さらに井上、マーチンが続いてこのイニング二度目の満塁という絶好機。大島が豪快なスイングで捉えると、舞い上がった白球はカクテル光線に照らされながら左中間スタンドへと消えていった。

 この時、母親はテレビやラジオを付けておらず、窓から夜景を眺めていた。息子がヘマをやらかすのではないか……そんな風にそわそわしていたところ、アパートのドアを管理人が激しく叩いた。「お母さん、いま息子さんがホームランを打ちました! それも満塁ホームランです!」。大島はホームイン直前、右手を高く上げて空中にピョンと跳び上がった。「母さん、やったぜ!」そう言わんばかりのパフォーマンスだった。

 その後も大島は大忙し。最初は三塁スタメンで出ていたが、途中から右翼に回り、最終的には一塁を守った。「5-9-3」の大移動である。今や攻守ともに中日に欠かせない存在となった大島君。わざわざ名古屋まで来たお母さんもさぞ安心したことだろう。

 2回に大量7点を入れて早くも試合の行方はほぼ決まったかのように見えた。しかし先発の稲葉がピリッとしない。4回、遊撃エラーをきっかけに若松、中村の長打で2点を失うと、5点リードの7回には永尾の2号3ランでたちまち2点差に詰め寄られたのである。

「せっかくあれだけ点を取っているのに完投しないなんて、まったくお粗末の一語です」と近藤コーチは語気を強めた。

 本当ならこんな試合は楽に完投してもらわないと困るのだ。しかしこの日も結局、竹田、鈴木を使う羽目になってしまった。厳しい夏場に毎日のように投げた彼らを少しでも休ませたい。そうした考えがフイになってしまったのだから近藤コーチが怒るのも無理はない。若い二人がピシャリと反撃を絶って事なきを得たが、2点差程度なら何が起きてもおかしくなかった。その点でも稲葉には猛省が求められる。

 シーズンも佳境を迎える中で、稲葉は未だに苦しみ続けている。「負け運」を払拭しても、「魔の4回」を乗り越えても、次の登板ではまた不甲斐ない姿に逆戻り。その繰り返しで遂にここまで来てしまった。それでも稲葉が先発マウンドに立てるのは、「なんとしても稲葉に立ち直ってほしい」という近藤コーチの切なる親心があってこそだ。

 今後、稲葉が "孝行息子" になれるかどうかが中日優勝の鍵を握っているかもしれない。

中8-6ヤ
(1974.9.6)

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