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誰がなんと言ったって『ミュウツーの逆襲』

 夏の映画と聞いて思い出すのは『ミュウツーの逆襲』だ。

 せっかく大人になったのだから、夏に観たい映画といえば、お洒落な洋画でもピックアップしてかっこよく論じたいところだけど、私の脳裏を何度もちらついていたのは『ミュウツーの逆襲』だった。

 初めて映画館で観た映画だったかどうかは定かではない。当時私は小学校低学年だった。当然、ポケモンが始まったばかりで友達の間でも学校でも大ブームだった。
 そんな中、夏休みに上映された『ミュウツーの逆襲』。

 「命に本物も偽物もあるのか?」という、小学校低学年が考えるには重いテーマを子どもながらに一生懸命考えた。

 ミュウツーが、かつて自分自身を生み出した人間の科学技術装置を使って、オリジナルのポケモンから見た目が全く同じ、コピーのポケモンを作り出す。
 コピーのポケモンは、オリジナルのポケモンと同じように息をして動いてるし、喜怒哀楽もあるし、疲れたりもする。
 それなのに、お互いどちらが本物かを戦って決めようではないかと、オリジナルのポケモンとそのコピーのポケモンが戦うという、とても深刻なシーンがあった。

 子どもながらにすごくドキドキしたし、このままどうなってしまうのだろうと不安で一杯になった。

 後半部で、ミュウとミュウツーの戦闘を止めに入った主人公のサトシは、石化してしまう。
 その時、石化したサトシにピカチュウが何度も電気ショックを与え続けて起こそうとする場面は観ていてかなり切ない。

 ポケモンの第一話では、ピカチュウとサトシの仲が悪く、ピカチュウはサトシにいつも電気ショックを食らわせていた。
 もちろん、映画のときの二人の信頼度はかなり高まっている。
 けれど、始めの頃の二人の関係をわかっているからこそ、ピカチュウが普段の習慣の一つとしてサトシに電気ショックを食らわせているのだと観ているほうはわかる。
 いつもならそれで目を醒ますのに、今回は醒まさないとわかったときのピカチュウの悲しみが、映画の大画面を通して全世界の小学生の心に伝わった。

 その後、ピカチュウと他のポケモンたちの涙でサトシは甦るのだが、このシーンは涙なしでは観られない。

 もちろん、小学生だった私はその時は泣きこそしなかったけれど、それでもとても感動したのは間違いなかった。

 学校の友達と、あのシーンはすごかった、というようなことを話したことを覚えている。

 テレビで放映されてからは、ビデオに録画して何度も何度も『ミュウツーの逆襲』を観た。

 ネットが発達してからこの映画のレビューを観ると、やはりポケモン映画史上No.1、と言われている。確か、少ししてから続編やリメイクも出ていたような気がする。

 それだけレジェンドといえる作品だ。

 あの時代はクローン羊が話題になっていたと思う。クローンを題材にしたアニメ映画といえば、『ルパン三世 ルパンvs複製人間』もあるけど、子どもには少しアダルトすぎる。
 『ミュウツーの逆襲』がポケモンの世界を通して「命とは?」という哲学的なことや、クローンの倫理的な問題について、小学生にも分かりやすく教え、考えさせてくれた。

 そういえば、最近のポケモンはついにサトシが主人公を降板したそうだ。
 流石に長く主人公として使いすぎたと思ったのだろうか。
 古参の私としてはやはりサトシが主人公でないと『ポケモン』ではない気がするが。

 夏休み、ちょうどお盆や終戦の日などもあって生死について考える機会も多いと思う。
 
 私の息子ももう少し大きくなったら『ミュウツーの逆襲』を一緒に観てみたい。

 

#夏に観たい映画

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