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時間が無限に欲しくなる。だらだらしていたくて、でも、できるなら自分で意味のあると感じる時間も残していきたく、だらだらだけで休日が終わってしまわぬように無限に時間が欲しくなる。

一日の時間は少しづつ伸びていると何かで話を聞いたことはあるが、自覚するまでには膨大に時間が必要でやはりそれは待ってはいられない。一日の時間が今すぐに48時間になることは不可能で、充実した時間を過ごすなら、仕事と睡眠の時間は必須でもあり、だらだらする時間を真っ先に減らすしか方法はない。

やりたいことなんて、言うほどない。やるべきことなんてものは無限にあるが、できるだけ無視をしてやりたいことに注意していたいと考えていても毎日続けていたら時間は有り余る。僕の現在の趣味は文章ぐらいで、他はぼうっとしているのではないか。

ならば文章をずっと書き続けていればいいが、途中で疲れて飽きてもしまう凡才で、最近はこれ以上堕落しないように無駄だと思えるもの身近に置かないことも人生のルールに加えてみた。

例えばタバコはやめたし、趣味であったゲーム。放っておけば何時間でもしてしまうため泣きながら倉庫に直し込んだ。やるべき仕事、家事は最低限に、できるだけ早くに終わらせて、好きである文章にのめり込めるようにした。

ただ、前記したように文はずっと書いていられない。疲れてぼうっとしてその分だらだらする時間は増えている。ただタバコとゲームはやっていないだけだ。

ぼうっとする時間も休息と余裕に必要なものなので、ぞれ自体悪くもないのだが、できるだけ文を書いて早く上手くなれたらという気持ちと相反してしまう。そう簡単に上達するものでなく、自分の情緒と思考の成長も必要なもので時間が膨大に必要になることは理解しているが。

と言うか。タバコ、ゲームを止めただけでも偉い。どちらも依存性は高く、それを自ら止められたことはもう一度言うが偉い。以前より前進はしていて、1ヶ月で半歩ぐらいは前進できているのではないか。真面目すぎて楽しくなくなっても仕方が無いので徐々に文を書く時間は増やしていければいい、僕は最終的に頑張っている、ということにしする。

真面目なのか、堕落しているのか自分でも分からないぐらい日々考えはコロコロと変わっているが、頑張ってはいるが、堕落もしていてどちらでもなくどちらでもあるというだけだろう。どうせ、好きな文を書いていて、その時間を積み重ねていけばいいなんて言いながら、気づけば文の内容もだらだらしている。

結局はだらだらだしていて、努力をしていても目立った功績以外はだらだらしていることとほぼ変わりもないので、好きなコーヒー(どこ産とかは知らん)を飲みながら窓を眺め今日も知的ぶっている。今日は外車を見ない。

精進します。