教師らしさとは

教師のすることはすべて教師らしい、などとは誰も思わないだろう。教師であっても売春やパワハラのような不道徳的なことをする。逆に、他人になにかを教えている人に教師らしいと言ってもおかしくはないだろう。

であれば、教師らしさとは教師であることと同じではない。今日、赴任してきた教師を私は教師だとは思わない。私が教師を教師と認めるのは、今後どれだけ教師らしいことをできるか、それのみによってである。

大半の人々は教えられたことをそのままに受け取るから肩書きに囚われるが、他人に裏切られ続けた者は敏感だ。そういう敏感な人が通信制高校には多い。
普通の高校ではなくわざわざこういった特殊な学校で教鞭を取ることを選んだのなら、教師側も敏感になってほしい。

通信制高校には普通でない人たちが集まる。彼ら彼女らが普通でなくなった原因には精神疾患、そしてそのさらに原因に両親への不信(それと病気や障害のコンボ技)もある。だから教師を信頼できないならどんな大人も信頼できない、そういう事態に陥る。そして症状を悪化させる。治療する立場の精神科医すら当たり外れがあるのだ。

不登校も増えつつあるし、子供の自殺も高まりつつあるし、"割れ物"のような子を相手にする教師は必ず"割れ物注意"の精神で当たってほしい。

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