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真空ジェシカで学ぶ「センス」の誤用

 真空ジェシカは「センス系」らしい。

 センスが良い、ということだろうか。なにをもってセンスが良いと言えるのだろうか。評価は多数決で決まりがちなので、多くの人からセンスが良いと言われているからなのだろうか。

 しかしそんなにもセンスが良いのなら優勝しているはず。なのに戦績は決勝6位→5位→5位と、中くらい。そして優勝している…………その中でも最高得点&6票獲得での優勝を果たしたミルクボーイがセンスという言葉で褒められていない。ウエストランドも錦鯉もだ。

 そしてそもそもの話、約8000組(約16000人)が出場した前回のM-1では、3回戦に行くだけでも難しい。決勝戦進出者など全員がセンス良いに決まっている。ではなぜ真空ジェシカだけがセンス系と呼ばれるのか。

 原因はひとつ

 センスを有無ではなく良し悪しと考えたこと。

 センスは才能ではない。感性である。感性は本能的な価値観である。そして価値観である以上、良し悪しはない。
 人の価値観は自由で、そこに道徳的・倫理的な良し悪しはあっても、芸術やエンタメには関係ない。

 しかし、理解できないものを褒めないといけないとき、マイナーだが好きなものを見つけられた自分を褒めるために、才能と言うと重いと思ったときに、センスというよく分からない英語が使われた。その結果が現状だ。

 理解できないものは理解できないと言うのが相手を成長させることになるし、マイナーなものでも努力すればor運があれば見つけられるし、才能が重いなら向き不向きとか言えばいい。アジア人として英語に卑屈になって言葉に振り回されることもない。

 私からすれば、日本一センスの良い曲はアンパンマンマーチだし、日本一センスの良い漫才師はミルクボーイになると思う。
 でもそれらにセンスを感じることはないだろう。でもセンスがあると思うだろう。
 送信者ではなく、受信者たる私にセンスがない。しかしキルミーエンジェルと虹の黄昏が大好きで、そのセンスはあると思う。そして私にも彼らにもセンスがあるとも思う。

 そのセンスの違いに貴賎はない。

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