なぜすべてが投資になるのか

実は、すべての商売は投資だったりする。

投資とは、金を使って使った金よりも稼ぐことだが、もっと広くいえば、なにかを消費することで彼/彼女にとってより価値の高いもの・より多いものを得るという営みだ。
消費するものは労力だったり時間だったりガソリンだったり鉄鋼だったりする。商売なので、最終的に得るものはすべて金だが。

具体的な例を挙げよう。スーパーは、労力と時間を費やすことで安く仕入れ・並べ・売る。最終的に金を稼ぐことになる。立派な投資である。
なぜ商売が投資になるかというと、当然のことながら、消費したものよりも多いor少なくとも同じ質・量のものを手に入れられなければ何事もやる意味がないからだ。

投資は金で金を作るから格差拡大の原因とされているが、本当のところどんな商売も投資なので止めるのは難しい。問題は、金が便利すぎるというところにある。

最後に手に入れたいものが多様だったら、たとえば笑顔とかフィギュアとかだったとしたら、みんながそれぞれの需要を持つので経済的な争いは起きにくい。
しかし、最後に手に入れたいものが金だから、みんなの需要が同じで、供給が少なく、争いになる。

金を不便にしたら、たとえば特定の時期の、特定の地域の、特定の場所でしか使えないとしたら、需要も減るのではないだろうか?

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