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医学部を諦めて10年以上経った男の話~イントロ~

 子供が産まれてから情報収集がてら、子育てブログを読むようになった。
中には、子供が不登校から大学受験を…なんてものもあり、人様の家の事ながら、自分事のように力をいれて読んでしまい、合格した際には感涙してしまったものもあった。

人生色々だ、とつくづく思う。

 そんなものを読んでいるせいか、「受験」といえば、より一層加熱している「医学部受験」を扱ったブログや記事が、グーグル先生のパーソナライズされたレコメンドによってゴリゴリ紹介され(特に2月~3月は受験シーズンということもあってか)そういう記事を目にする機会が多くなった。
例えば以下のようなものだ。

例)
親が高齢で家計は火の車なのに医学部受験を15年続ける36歳息子の「言い分」
「わが子を医学部に…」小児科医パパが実践するスゴい子育て

また、医学部受験生のブログやツイッターなんかもでてきて(URLやアカウント名をさらすのは気が引けるので割愛する)、合否に日々悩み葛藤している様をみると、昔を思い出す。


かくいう、私も、かつて医学部を目指していたからだ。


これを書こうと思った背景

理由は2点

(1) 医学部を諦めて10年以上経ち、その時の気持ちをようやっと冷静な目でみれるようになったので、自分のためにも振り返りたいと思ったから
(2) 医学部を諦めなくてはならなかった時、未来について不安しかなく「諦めた後も、こういう生き方がある」ということを誰かに示して欲しかったから

まず(1)だが、簡単に「諦めた」と書いているが、そこに至るまで自分も相当悩んだことだけは、まずご理解いただきたい。後述させていただくが、大学は仮面浪人しようとしたし、社会人になってからも学士編入なども検討していた。

ずっーと医学部に未練タラタラだった私だが、10年以上経って色々経験し、結果として本当の意味で医学部を諦められたのだ。
やっと、その時の感情を冷静に振り返れるような気がしたので、一度まとめてみたいと思ったのだ。
これからの自分のために、一度気持ちの整理をしてみたかったのだ。

(2)は、当たり前だが、受験は受かる人よりも落ちる人のほうが多い。
高倍率の医学部なんて尚更だ。
だが、世の中には合格体験記はあるけれど、落ちた人のその後についてはあまり言及されない。
受かるまで浪人するか、そっとフェードアウトしていくのが多く、特に後者についてはどうにもわからないことだらけだった。当時、インターネットやSNSも発達していなかったことも原因だろう。

そして、時々考えるのだ。

医学部を諦めなければならなかった時、自分は何て言って欲しかったのだろうか? と。

「頑張ったんだね」とか「残念だったね」とか、そんな慰めの言葉じゃないし、「もう1回頑張ろう」とかの励ましでもない。

本当は、

医者になること以外考えられなかった人間が、突然、その未来がなくなった時、この先にどんな未来があるのかを誰かに示して欲しかったのだ。

今なら、そう思う。
それを、今、自分がやろうと思い書くことにした。

医学部を諦めた結果の今

グダグダ書く前に、結論から言おう。

医学部には行けなかったけど、私は今とても幸せだし、
これはこれで良かったと、心の底から思っている。


ということだ。負け惜しみではない、本心だ。

そう思う理由は3つある。

(1)医学部に行っていたら出会えなかった女性と出会い子供にも恵まれたから
(2)そこそこの年収とやりがいのある仕事を手にしたから
(3)医者という仕事に魅力を感じなくなったから

(1)(2)は、端的にいえば、今とても充実しているということだ。
医者になっていれば別の幸せもあったかもしれないが、それを比較するのは不可能だし、何より無意味だ。
愛する家族が健康で、やりがいのある好きな仕事につけていれば、誰だってハッピーだろう。その仕事が医者である必要性はないと思う。

(3)は、言葉が悪くて恐縮だが、ビジネスの世界に入ると、そこで起きるテクノロジーの進化およびイノベーションが面白くてたまらないのだ。規模のでかさも、社会に与えるインパクトも段違いに大きい。
医者を目指していた頃は、こんな世界があるなんて想像すらできなかった。
正直、あの頃(20代前半)は医者か弁護士くらいしか職業のイメージがなかったので、それに固執していたと言っても過言ではない。
実際、ビジネスの世界の蓋を開けてみると、医者以上に魅力的で面白いもの、かつ自分にとって適正がありそうなものがいっぱいあったということだ。
特に現在のコロナ禍で、医療従事者の苦労は計り知れず、のうのうと安全地帯で在宅勤務している自分は襟元正す思いでいっぱいなのだが、同時に、自分だったら絶対できなかったなと痛感している。というか、そんなリスクを負ってまでやりたくないというのが本音だ。
そんなことを思ってしまっているのだから、自分には適正がなかったので落ちて当然だと、今となっては素直に思える。

ざっくりと書いてしまったが、上記の考えに至る経緯は、
今後詳細を書いていく予定だ。今のところはこの程度で留めさせていただく。

これから書くこと

現時点で超長くなりそうなので、大きく3部構成で書こうと思う。

Ⅰ.発起~浪人編
Ⅱ.大学生~就活編
Ⅲ.社会人、その後編

また、Ⅰ、Ⅱが長くなりそうなので2回に分けるかもだが、基本は上記の流れでいこうと思う。

それでは最初に結論として、私の受験結果を載せておく。

■センター試験:約88%

■国公立
前期:東京医科歯科大学 医学部 ×
中期:岐阜薬科大学 ◯
後期:千葉大学 医学部 ×

■私立
慶應義塾大学 医学部 一次×
日本医科大学 ◯(正規)
慶應義塾大学 環境情報学部 ◯
早稲田大学 教育学部 ◯

あと、慶應か早稲田の文系学部をセンター利用で受かっていた気がするが忘れた。どっちかの法学部だったような気がする。

大分記憶が曖昧になってきたが、次回は、20歳になって医学部を目指した背景併願含む学校選定の理由など記載していく。

そして、なぜ日本医科大学に受かっていたのにいかなかったのかも書く。

いや、これは今言おう。

金がなかったからだ。

自分は母子家庭だったので、私立医学部なんて到底行けるわけがなく、
というか、医学部の入学金(100万程度)すら払えない状態だった。
(じゃあ、なんで受けたんだよ、と思うかもしれないが、これは浪人編で書くので少々待って欲しい。)
ただ、この

金さえあれば、医者になれた

という事実が、自分のその後の人生をじわじわ苦しめていくことになる。
そこらへんも書いていこうと思う。

イントロ編の最後に

これは医学部を諦めて10年以上たった男の話。
逆にいえば、10年以上経ってやっと医学部を諦められた男の話でもある。

誤解ないように、あらかじめ言っておくが、

医学部を諦めたほうが良い

と言いたいわけではない。

だけど、

何浪してでも、医学部にいけ

というつもりもない。

自分のような人生があることを提示するので、選択の一助になれば幸いだ。(受験生が何人読んでいただけるか不明だが。)

最後に決めるのは自分自身。
自分の人生を、誰かの判断に委ねてはいけない。
自分で腹をくくった人間にしか、道はつくられないのである。

それも、この経験が教えてくれたことの一つである。


最後になったが、受験生にとって、この時期(3月)は本当にシンドイと思う。
純粋に受験もそうだが、どんどん結果も出てくるし、その都度決断を迫られるからだ。
自分も昔を思い出すと、今でさえ、ヒリつく感情でいっぱいになる。
でないとこんなの書かんだろう。
(実は、この年齢になって受験時代のこと書くのとか、なんかイタいし、結構ハズい。)

どうか最後まで悔いの残らない行動をして欲しいと思う。

(続く)

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