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最後に手をつないだ日の話

最後に娘と一緒に風呂に入ったのは、いつだっただろうか。おそらく彼女が小学4年生になった頃だったように思う。振り返ってみても、「これが最後だ」と感じた記憶はない。でも、最後に手をつないだ日のことははっきりと覚えている。

うちの娘は、幼稚園から中学卒業までピアノ教室に通っていた。家では泣きながらイヤイヤ練習しているようにしか見えなかったが、本人はそれなりに楽しんで通っていたらしい。教室は大阪・梅田のど真ん中にあったので、小さい子どもを一人で通わせるわけにもいかず、週一回のレッスンは基本的に妻が付き添って連れて行っていた。
小学5年生のある日、出張で不在だった妻に代わって、ぼくが娘をピアノ教室に連れていくことがあった。夕方の御堂筋線は結構混みあっていて、梅田駅のホームも行き交う人であふれていた。ぼくは無意識に手を伸ばし娘と手をつないだ。たぶん、とても久しぶりのことだったと思う。
その時に感じた何とも言えない気持ちとあの瞬間の様子は、今でも写真のように鮮明に記憶に残っている。
まだまだ小さい子どもの手だけれど、記憶していた手ざわりよりも確実に大きくなっていることへの驚き。自分が無遠慮に手をつないでしまった気恥ずかしさ。そして、手をつないだ瞬間に娘から感じた一瞬の躊躇いと戸惑い。
改札の人混みを抜けたところで手を放した時、心の中で「ああ、きっとこれが、この子と普通に街中で手をつなぐ最後になるんだろうな」と思った。

子どもが生まれて親になるということ。それは、その先に数えきれない「別れ」が待っているということを意味する。
乳飲み子から小学校低学年あたりまでの目まぐるしく成長する時期は、わが子のかわいさや幼さゆえのあどけない滑稽さ、そして日々の慌ただしさに心を奪われ、「別れ」を実感することもそれほどない。
おそらく最初にそれを感じるのは、小学校卒業の頃だろうか。娘が生まれた時から撮りためた写真やムービーをふと見返す時、言い知れない喪失感を感じるはずだ。
その喪失感の正体は、おおげさに言うと「あの時のわが子には、もう二度と会えない」という感情だと思う。

当たり前だが、人間という生き物は高校生を過ぎたあたりから年齢とともに生じる変化の質が、成長から老化へシフトする。だから、10代後半を過ぎてしまえば、個人としての客観的な同一性はほぼ不変のものになる。うちの娘はいま25歳だが、高校生の頃の彼女と今の彼女を見比べても、経年的な変化があるだけだ。でも、0歳から10代前半のように見た目も中身も大きく成長する時期は、それこそ同一人物であっても、別の存在のような変化がある。

ミルクを飲んでニコニコしている赤ん坊の頃の彼女も、公園で遊び疲れた帰り道に抱っこされながら眠っている彼女も、はしゃいで転んで膝をすりむいて泣いている彼女も、幼稚園の運動会で一生懸命練習したダンスを踊る彼女も、大きなランドセルを背負って友だちと一緒に小学校に登校する彼女も、みんなもうこの世界には存在しない。もう二度と会うことができない。

目まぐるしく慌ただしいながらも、にぎやかで楽しくもある日々は、言い換えれば、数えきれない「別れ」の日々だったのだ。

娘の結婚式で親(特に父親)が泣く姿というのはごく月並みな光景だが、あれはまさにこの「別れ」を再確認させられるからだろう。自分自身がもっと若かった頃、あれは立派に成長した娘の姿に感無量になって流す涙なのだろうか思っていたが、半世紀以上を生きて自分の娘もとうに成人した今、それは違うということがわかるようになった。

御堂筋線の梅田駅の改札を抜けて、娘の手を離したあの瞬間。あれも、そんな「別れ」のシーンの一つだったのだと、今になってみれば思う。数えきれない「別れ」のたった一つではあるけれど、それを記憶していることは幸せなことなのかもしれない。

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