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あきらめなかったら試合終了にならなかった話

「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」

漫画『SLAM DUNK』における安西先生のこの名セリフは、あまりにも有名である。だが、それを実体験として経験したことがある人はどれだけいるのだろうか。自慢じゃないが、ぼくはある。
まさに「あきらめなかったら試合終了にならなかった」という経験だ。
(読んでいただければわかるが、自慢するような話ではない)

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2011年1月。
まだ正月気分も抜けきらないどころか、松の内の6日。
当時担当していたとある商業施設では、例年仕事始めの日に心斎橋のホテル日航大阪の宴会場を貸し切って行う、互礼会というイベントが恒例行事としてあった。その施設に出店しているテナントの社長さん方が集まって、酒を酌み交わしつつ新年のあいさつを交わし合うというものだ。

互礼会は11時から始まるのだが、その前に1時間ほど販促委員会という会議が開催される。テナント側から選出された10名ほどの理事と、施設の管理運営会社の代表者や販促担当者、そして広告代理店のメンツという総勢20名程度の会議である。

ぼくは広告代理店の外注として業務にあたるディレクターでありながら、このクライアントとは独立前からの付き合いがあり、成り行き上、この施設の販促・広告の企画~実制作の責任者的立場を担っていた。
当日は、4月以降の年間販促計画を委員にプレゼンし、承認を得るという大仕事がある。ひとことで言うと、この案件における最重要タスクなのだ。

11月頃から準備を進めていたものの、年末進行のデスマーチやら公私諸々の雑事に追われ、ようやく企画書が完成したのは販促委員会当日、1月6日に日付が変わった頃だった。そこから、けっこうな厚みがある企画書をプリンターで出力し、製本が終わった頃には時計の針は午前4時を回っていた。

大量の企画書を抱えてタクシーで帰宅し、風呂を出て一息着いた時には既に午前5時過ぎ。
このまま一睡もせずに委員会に臨むべきか。しかし、当たり前だが眠いのである。委員会は10時からだが、出席する理事の方々をお出迎えする必要もある。遅くとも9時半には現地に到着しなくては。現地のホテルまでは、自宅からわずか2駅だが乗り換えがある。移動時間を考慮すると8時には起きたいところだ。

ぼくはスマホのアラームに加え、ここぞという時だけかける目覚まし時計を枕元にセットし、万全の態勢でベッドに入った。

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目が覚めた瞬間、おかしな話だが、全てが「わかった」

何が「わかった」のか。
自分が寝坊した、という動かしがたい事実を了解した、ということである。

ベッドの上に体を起こし、ゴクリと唾を飲み込んで枕元の目覚まし時計を見る。

9時45分。

委員会開始、わずか15分前。
その瞬間、かのスーパーコンピューター「富岳」をも凌ぐスピードでぼくの脳は思考を始めた。

どんな言い訳をすれば、この事態を丸く収められるか・・・

猛烈なスピードで言い訳を考えること、およそ30秒。
結論。
「この事態を収束させることができる言い訳は存在しない Q.E.D.」

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もうダメだ・・・終わった。
この仕事はパー。
こんな大事な会議の日にこんなことをやらかしたら、クライアントは出禁、代理店との契約も打ち切られるだろうな・・・。

その時、ぼくの中の安西先生が言った。
「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」

とりあえず、隣でいびきをかいて寝ている妻を叩き起こし、「今すぐタクシー呼んで! いま! すぐ!」と叫ぶ。
自分では全く記憶にないが、妻の証言によるとその時のぼくは、「ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい」と喚きながら、頭を掻きむしりながら物凄い速さでその場で駆け足するかのように地団太を踏んでいたそうだ。
(余談だが、妻が言うにはぼくは比較的感情の起伏に乏しく常に淡々としているので、そこまで動転して慌てふためているぼくを見たのはそれが初めてだったそうだ。妻は今でも、ことあるごとにその時のぼくの様子をネタに笑いものにするのである)

すでに残り時間は12分ほど。

走れメロスの如く、とにかく走ってでも転がってでも、ホテル日航大阪に行かねばならぬ。メロスは激怒したかもしれないが、アキラは寝坊したのである。

妻がタクシー会社に電話する横で、あたふたと着替えるぼく。
通常の販促会議ならそこそこラフな服装でも全く問題ないのだが、年明けの互礼会当日に開催される販促委員会は、なぜかスーツにネクタイが暗黙のドレスコードとなっていた。とりあえず、ネクタイはタクシーの中で結ぶことにして、寝ぐせだらけの頭のままマンションを飛び出した。

マンションの前に到着したタクシーに飛び込み、行き先を告げる。残り時間は8分を切っている。世間はまだ正月休み中なので道路は空いている。タクシーはぶっ飛ばしているが、こんな時に限ってやたら信号に引っかかる。
スマホには代理店の営業さんからの電話がガンガン入る。そりゃそうだ、なぜならこの後配布する企画書は、いまぼくがタクシーの中で抱えているんだから。
揺れるタクシーの後部座席で慣れない手つきでネクタイを締めながら、スマホに向かって「もう着きます! すぐ着きます!」と叫び続けるぼく。

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ようやくホテル日航大阪の車止めに着いた時点で、すでに10時ちょうど。
釣銭も領収書も受け取らず、猛ダッシュでエスカレーターを駆け上がる。
目指すは4階。互礼会会場横にある、普段は披露宴の際の親族控室などに使われる部屋が、委員会の開かれる会議室だ。

会議室の前には、メロスの身代わりとして人質になった親友セリヌンティウスの如く悲壮な顔で立ち尽くす代理店の面々。
開け放たれた会議室の扉の向こうからは、理事の方々が談笑する声が聞こえてくる。
扉の前まで駆け寄ると、いちばん強面の理事長が「お、10時になりましたな。そろそろ始めましょうか」というのが聞こえた。

本当はぶっ倒れそうなぐらい息が乱れて心臓がバクバクしているんだけど、「では、資料をお配りしますね」と、あたかもそういう手筈であったかの如く、涼しい顔で企画書を配っていく。
壁に掛けられた時計を横目で見ると、時刻は10時3分だった。

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その当日、会議後にTwitterにつぶやいたのがこれ。

見事に寝坊して、目覚めたのが会議スタートの15分前。タクシー呼んで、着替えて、すっ飛んで行って、3分遅れで会議スタート。なんとか事なきを得ました。寿命が3年ぐらい縮んだよ…。

販促委員会そのものはつつがなく終了し、年間販促計画も問題なく承認された。委員会が無事に終わり、代理店の面々に謝りながらホテルの外に出ると、びっくりするぐらい寒い。慌てて家を飛び出したのでコートさえ羽織っていないんだから当然だ。

1月の冷たい風に晒されながら、1時間と15分前のことを振り返った。
あの時、すぐに行動せずにもし代理店の担当者に電話で事情を説明していたらどうなっていただろうか。あるいは、もし適当な嘘で言い訳をして凌ごうとしていたらどうなっていただろうか。
考えてみても意味もない「if」だが、ひとつだけ分かったのは、おそらく自分の行動が最善の選択肢だったのだろうということだ。

寝坊して会議に遅刻しそうになった、という呆れるほどくだらない話だが、ぼくにとっては、「あきらめたら、そこで試合終了」ということを身をもって理解できた貴重な体験となった。

この出来事が功を奏したというわけではないが、あれから10年以上経った今も、このクライアントである商業施設とも広告代理店とも、変わらないお付き合いが続いている。
あの日、ベッドから起き上がった瞬間にあきらめていたら、その後のこの10年間も全く違うものになっていたかもしれない。そう考えると少し恐ろしい。

「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」
安西先生のこの言葉は、ネットなどでは半ば冗談めかして使われることが多い。しかし、この言葉に救われた身としては冗談でもネタでもなく、真理なのである。

もうダメだ、おしまいだ。そう感じても立ち止まるな、足掻き続けろ。
残り時間ゼロを告げるブザーが鳴っても、あきらめずにシュートを撃て。

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