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「わかっていないということを、わかっていない」人たちの話

これはもしかすると単なる愚痴なのかもしれないと思いつつ、あえて書きます。
あくまでも個人的な肌感覚に基づいた話なので統計的な根拠などは皆無ですが、ここ10年ほどで日本人のビジネス力のようなものは著しく劣化したのではないかと危惧しています。

きみは何を「よろしくお願い」しているんだ?

たとえばメールのやり取りひとつとっても、それは顕著です。
ある案件について「AもしくはBという選択肢、どちらにしますか? どちらでもない場合は具体的にご指示ください」というメールを送ると、
「よろしくお願いします!」
と元気いっぱい返信してくる。そういう人が1人や2人ではなく結構います。
まあ、関西人的なノリで「おまかせしまっさ、あんじょう頼んます」ってことなら、こっちも「そうでっか、やっときますわ」で済むんだけど、ぜったいそうじゃない。
たぶんバカなんだろうなと思って諦めていますが、これは何なんでしょうか。テキストの読解力不足といえばそれまでの話なのかもしれませんが、本当にそれだけの問題なのでしょうか。

「いくらですか?」「知らねえよ」

先日、こんなメールが届きました。

弊社クライアント様のご依頼でLPサイトを制作することとなりました。
つきましては、そのLPのテキスト部分の原稿作成をお願いできればと存じますが、可能でしょうか。
可能な場合、お願いした際のLP1サイト分のおおよその費用をご教示いただければ幸いです。
ただ、LPのボリューム等がまだ未定の為、一般的なLPで〇〇円~のような目安でも結構です。

(ほぼ原文のママ)

「LP」とは、ランディングページのことです。
原稿作成、もちろん可能です。喜んで承りますよ。
でもね、まともなご同業の方々なら、このメールの異常さをご理解いただけると思います。このメールの送り主が言っていることを、わかりやすい例え話に置き換えて説明するなら、

海外旅行に行きたいです。
いくらかかるか教えてください。

こういうレベルの話です。
どこに行きたいのか、いつ行きたいのか、目的は何なのか、何泊したいのか、飛行機はエコノミーなのかビジネスなのか、はたまたファーストクラスなのか、何一つわからない。豪華客船の旅だってあり得るわけだし、ヒッチハイクしながらバックパッカーとして旅するという選択肢だってあるわけです。
どう考えてもこの質問に対して、たとえ概算だとしても具体的な金額を提示するのは不可能です。

わかっていないということを、わかっていない人たち。

ひとえにこれは、自分が
「わかっていないということを、わかっていない」
からではないかと思うのです。「何がわからないのかが、わからない」というレベルですらない。
「私はわかっていないのだ」という自覚がある人は、前述のメールを送る際に、こう考えるはずです。

「LP作るから見積り出してくれってクライアントに言われたけど、そもそも何をどうしたらいいのかわかんないや。とりあえず、その辺のことから相談にのってもらおう」

冒頭で例に挙げた「A or B?」に対して「よろしくお願いします」と返信してくる彼も同様に、何もわかっていないのでしょう。何を訊かれているかもわかっていないし、そもそも自分に向けて質問が投げかけられているということさえわかっていない。
これはもはや「ビジネス力」なんていうボンヤリした話ではない。もっと総合的にマズいことになっている気がします。

考えたらわかるでしょう?

子どもの頃、よく母親に「考えたらわかるでしょう?!」と叱られた記憶があります。子どもはバカなので、後先のことをロクに考えず衝動で動きますから。

たいして広くもない庭で硬式のボールを投げて遊んでいれば、そのうち窓ガラスを割ってしまいます。公園に犬の散歩に行って、リードを外せば犬は喜んで走ってどこかへ行ってしまいます。カルピスが大好きだからといって、原液のまま瓶の半分も飲めば気分が悪くなったりおなかが痛くなったりします。コンビニなんかなかった時代ですから、夜の9時を回ってから「明日、図工の授業で牛乳パックがいる」って言っても手に入りません。中に水銀の入っている体温計を、ストーブに近付けたらパーン!と割れて弾けます。絵日記は毎日書かないと、夏休みの最後の日に泣きながら書くことになりますよね・・・こんな話は、特にいたずらっ子でもヤンチャでもなかったぼくでさえ、枚挙にいとまがありません。

そういう「考えたらわかる」はずのことを考えずに行動して、失敗したり痛い目に遭うたびに「考えたらわかるでしょう?!」と叱られたものです。
時には「そんなの考えてもわかんないよ」と思うこともありましたが、そういうことも含めて、人間は失敗という経験を経て学習し、成長するものではないでしょうか。そして、新しい物事や事態に対峙した時には経験則に基づいて「考える」ことで結果を予測し行動する、それが人間です。子ども時代の経験に限らず、それは社会に出てからでも同じことでしょう。

考えないから、わからないのだ。

そう考えると、「わかっていないということを、わかっていない」人たちは、失敗から何も学んでこなかったのだろうかと思ってしまいます。もしかすると、これまでに何一つ失敗した経験がないのだろうか。
いや、そんなはずはないでしょう。前述した「経験則」は彼らの中にも構築されているはずです。問題は、それを活かして「考える」ようとしていないという一点に尽きるような気がします。

考えることを放棄して生きるのは、あんがい楽なのかもしれません。
多少周りに迷惑をかけようが、仕事は誰かがどうにかしてくれるだろう。自分は困らないし、自分が考えないせいで誰かが困ったとしても、困った誰かがどうにかすればいい。会社をクビになるのは嫌だけど、一生懸命考えてがんばったところで給料もたいして増えるわけじゃないしね。
でも、そういう姿勢や生き方が、この国がいま陥っている総合的な「ダメさ」を作り出している一つの要因かもしれません。

考えないから、わからない。わかっていないということも、わからない。考えてないんだから、そりゃそうですね。
「よろしくお願いします」では物事は何も解決しないということを、いつか身を以て思い知ったとき、「考える」ことを始めるかどうか。あまり期待はできないような気がします。


人生は短い。遠くまで行け。そして深く考えよ。
(ジム・ロジャーズ)

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