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田舎の高校生は公園で遊んでいる

何かで「別れたら後悔する彼氏ランキング」というものを目にしたんだけど、内容は正直どうでもいい。
これの意味するところは「恋人とはいつか別れるもの」ということであり、「恋愛とは繰り返すもの」ということである。
さらにこれの意味するところは「繰り返しには終わりがない」ということである。

みんな漠然と10代から20代は恋愛を楽しんで、どこかのタイミングで結婚をするもの、と考えていると思う。
しかし、繰り返すものである以上、結婚をするタイミングなどやってこない。
結婚とは自発的な選択であり、「お前はこの相手と結婚するのである」と神から御託宣があるわけではない。
でも、人はその御託宣を期待しているのである。
それは、結婚を失敗しないためであり、運命の相手を掴むためである。

つまりのところ、人は結婚を選択できない。
そして、これの意味することはマッチングアプリを使っていると一生相手を決められないということでもある。
マッチングアプリの馬鹿馬鹿しさはここにある。
後から後から無限に選択肢が生まれるなら、一つに絞る理由がない。
そして、こんな馬鹿馬鹿しいマッチングアプリを少子化対策の鍵として地方自治体が開発しているのである。

俺が思うに、地方自治体がやるべきことはマッチングアプリではない出会いの場を生むことで、簡単なところでは定期的な祭りの開催だろうと思う。
それも、性の匂いがプンプンするゆるく猥雑な祭りを。
我が街は俺が高校生くらいの時にテキ屋を締め出したたんだけど、そのせいで祭りがつまらなくなった。
その方向で街のクリーン化を進めていった。
地元に帰ってきて最初に思ったことは、「ここに住んでる中高生はどこで遊ぶんだろう?」だった。
行くところがない。
ある時、小さな公園で元気に遊んでいる高校生を目にして衝撃を受けた。
俺が高校生の時は公園で遊んでる奴なんていなかったから。
そんなことを知り合った20代の女の子に話したら「私が高校生の時も公園で遊んでましたよ」と返ってきて、そりゃみんな高校卒業したら地元を出るわと思った。
みんな、こんなつまらない地元に憎しみを抱えて出ていくのである。

性の匂いがしない街はつまらない。
そう、異性との交流。
なんやかんやでみんな出会いを求めているのである。
以前、同窓会に補助金を出すという話が批判的な意味で話題になったけど、俺はすごくいい案だと思った。
同窓会は結婚に繋がる現実的な出会いの場だと思う。

昔、東京は出会いがある、ないで激論したことがあるんだけど、人とすれ違うことと出会うことは違うからな!?とキレそうになった。

現実的な出会いの場とは「学校」「職場」「趣味の場」「友人繋がり」しかない。
マッチングアプリの馬鹿馬鹿しさとは初対面と恋愛前提で交流しないといけないことで、イキ告並の息苦しさが伴うことである。
上記の出会いの場を考えると「地元有利」になるわけで、東京に出たら恋愛も結婚も難しいものになる。
でも、さっきも書いた通り、地元を憎んで出ていく人の気持ちもわかる。
これに関してはクリーンを目指す地方が悪い。
地方再建プロジェクトのつまらなさは、毒にも薬にもならないような商業施設を作るから。
ガールズバーを作れ、その方が遥かに効果的。
そして、未成年が交流できる猥雑な場所。
デュエルルームなんか作るんじゃないよ。

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