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学習するきっかけ

 一日の疲労が現れはじめ、緩い暖かさで眠気が襲う。こんな瞬間に眠るのが好きだけれど、それを簡単に許す理性は私には無い。食後に摂った108mgのカフェインも、どうやらほとんど効いていない。増えすぎた睡眠負債を抱えている今、常に眠気と手を繋いでいる。さながら、夏祭りの人混みの中、決して離れないようにと手を繋ぐ恋人である。
 この眠気の中、散歩に出てみよう、読書をしてみよう、なんて考えてしまえばもう終わりだ。帰ってきた頃には一直線にベッドへ向かい、布団にくるまってそのまま目を閉じることだろう。そして起きる頃には、もう家族が夕飯と入浴を済ませている。
 そんな状況になれば、私の明日は無いと言っても過言では無い。何故ならば、ゆっくりと夕飯を取って入浴を済ませた頃にはもう23:30をすぎるためだ。こんな時間から眠剤を飲んで眠ろうとしたって、朝起きるのは翌11:00過ぎ。2日目のバイトを控えている身としては、それは全く許されない。
 最近は早朝覚醒が無くなってきた。が、その分以前の睡眠負債を抱えているためかスッキリ起きられない。寝る前のスマホも関係していることだろうから、出来るだけできるだけスマホを触らないよう努力したいところではあるが……ルーティンと化してしまった今、それを辞めるのはかなりの時間を費やすだろうと考える。けれども、努力しなければ先には進めない。今日は眠剤を飲んだら直ぐに布団に入り目を閉じよう……そう考えている。

 今日は高校のレポートを3枚完成させ、上機嫌であつ森を開いた。これからバイトの給料が入ったとき、中二、三年のワークを買って、とにかく私の知らない知識を取り戻すことに集中する月間を作ろうと思う。6月から始めても遅くはなかろう……きっと。
 私は中二の夏休み明けから、全く学校に行っていない。そして、ほとんど出席扱いにもなっていない。そもそも教室に踏み入っていないのだ。小六の頃に不登校になった時は、給食を取りに行くためなど、何らかの理由で教室に入ることがあった。けれど、中学はそうもいかない。
 小学校では認められていた保健室登校、別室登校という処置が認められなかった。それはかなりの痛手だった。1つは、家族や医者以外の人との関わりが無くなり、常に引きこもってしまうこと。周囲への関心が無くなること。それは私自身にとっても、周囲の人間……主に母親にとっても大きなストレスだったのだ。
 そしてもう1つ、“学習”というものから遠く離されてしまうこと。これから高校、大学と進学することで自分自身の幸せを掴もうと考えていた私にとって、学習するきっかけが無いことはもはや廃人のレッテルを貼られたのと同じ気持ちだった。
 人との関わりが無いストレスを抱え、さらに勉強へのきっかけも無くなる。その両方が重なって、私は全く勉強に手を付けなかった。たまに、理科の穴埋めプリントをやろうとしたけれど、授業で使うプリントであった為に、教科書に答えが載ってないこともあった。それがまた、私の学習意力を削いでいったのだ。
 「みんなは分かるのに、私だけ分からないこと」それが酷く苦しかった。それを直視していたくなかった。けれども、今はそうでは無い。みんな分からないかもしれない。分かるかもしれないけれど、分からないのは私だけでない。それがなんとなくあること、そして新しく切ったスタート。私の失った時間を取り戻すのに十分な動機なのだ。
 私のペースで、けれど決してゆっくりでは無い速さで。進むことを辞めずに居たい、そう思う明るい夕方。

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