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自分なりの、自分だけ

 あるnoterのライティング術について書かれた記事を呼んでみたけれど、何となく途中でやめてしまった。嫌なことが書かれていた訳でもないし、別につまらなかった訳でもないけど、ただ……「他人を真似て書く自分」が現れるような気がして。今の感覚にはその表現が相応しい。
 私は私のやり方で、私なりの考えでやりたいことをやれば良いかな、と。そう思うようにしていたい。技術は盗めば盗むほど上達するものだけれど……何となく、なんとなあく嫌なのだ。
 よく友人の言う「唯一無二でありたい」という言葉、私もよくわかる。好きな人は私だけが好きでありたい、自分だけの趣味が欲しい、自分だけ貰える誉や愛が欲しい。私はそう思う時がある。何十億と人間がいるのだから、どう頑張ったところで唯一無二なんてならないものはならない。けれども、唯一無二だと“思っていたい”、そんな感情はきっとどこかにある。
 久しぶりに作業療法に参加した。何となく遠くて、でも近い。参加者のみんな、そして職員さんとはそんな関係性だ。曖昧なもので、何とも言い難い。プライベートにお互い干渉したりはしないことが多いけれど、でも確かに仲がいい。そんな人はきっと沢山いるはずだ。
 私はそんな、名前のない関係、名前のない感情、行動、そんなものたちが嫌いだった。説明の付けられないものは掴めなくて気持ち悪い。逆に、言葉で説明出来たり証明できたりするものがすごく安心する。苦しい、卑しい、だいすき、友達、恋人、……そういうもの。
 けれど、本や文学なんてものはそうもいかない。いつだって私に形容しがたい感覚を教えてくれる。それが怖くもあるけれど、ワクワクしてドキドキして素敵なものに見える。だからこそ、私は本が好きなんだと思う。
 ……また、私が何を言いたいのか分からなくなった。でも、書きたいことを書いていればそれでいいかなとも思う。今は、今だけは。

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