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2024年の抱負
明けましておめでとうございます。
2023年も終わる40分前に、ふと来年の抱負を書いてみようと思い立ち、書いている私。来年はきっといい年になるだろう。(確信)
ということで、普段あんまり目標なんて明確に立てないし、言語化することもない私ですが、珍しく2024年には目標を立てて生きてみようかと思います。
なんとなく令和6年だし、6個目標を立ててみましょう。(なんの考えもなく書いているから、もしかしたら多過ぎたり、足りなかったりするかもだけど、、)
なんて、書き始めた新年の抱負も地震の影響もあってすでに不釣り合い。その上、時間かかりすぎてますが、お付き合いくださると嬉しいです。もう2月だというのに、、、
①仕事を頑張る。
仕事については、この記事で書いた通り、実は、固い職業についています。
採用されて2年目の年がまもなく終わります。昨年度は、正直結構辛かった。保護者との相性もあったけど、何より目の前にいる子どもたちとの意思疎通ができなかった。
完全に自分の実力不足としか言えないけど、本当にしんどかった。低学年って本当に大変。これを毎年続けられるベテランの先生の偉大さに脱帽。
そんでもって、打って変わって今年度は、自分で言うのもなんだが、すごく順調。ただただ子どもたちがいい子。そして、何より2年目で言うのもおかしいけど、多分高学年の方が向いているらしい。
毎日が楽しい。実際、授業内容の難易度は高いし、学力の二極化なんてレベルじゃないくらい、学級の中にはさまざまな事情を抱えている子たちがいるものの、少なくとも自分は楽しくやっているし、子どもたちも表面上は楽しそうにしてくれている。
本当は見落としてるだけなんじゃないかってすごく不安に思うところもあるけれど、一応はうまくいっているっぽい。
子どものための哲学を取り入れた道徳しかり、ICTマシマシの授業しかり、割と浸透していると思っている。
と言うこともあり、2024年はこの経営を継続させたい。とはいえ、来年度の配置については未知数。だけど、とりあえず残り4ヶ月弱で、今の子たちをしっかり上に引き継げるようにすること。そして、自分としての専門性を高めたい。
なんと言っても、今の勤務校は今年がラスト。周りの諸先輩方にひっついていられるのも今年で終わり。つまり、自立しないといけない。
色々考えたけど、自分なりの自立のあり方は、専門性を磨くことだと思う。
道徳は子どものための哲学をより深め、校内で広めていきたい。今のところ、自分ともう1学級しかしていない。なんとか、学年は揃えてできたら嬉しいな。
そして、ICTの利活用についても校内の第一人者になる。学校現場にICT端末が入って4年。様々な場面での活用実践が生まれているけれど、ICT端末があるからより深まったよね、と言う場面をあまりみない気がする。と言うか自分ができていない。
大体はベテランの先生に「紙でもできるよね?」と突っ込まれる。今年は、それを黙らせたい。(言い方強すぎるけど)
「こんなやり方でしてみませんか?」と提案するのはもちろん、ICT端末を使うからこそできること、自分も子どもも、周りの先生もワクワクするような授業づくりをしていきたいと思う。(やばい①だけで1000字超えてる!?)
②読書をする
読書好きなのに、読みたい本はたくさんあるのに読めていない。本屋に寄っては、心惹かれるカバーと書評を見ては買い、積読が増える一方。
時間がないを言い訳にして、全然本が読めていない。今年こそは読む。
具体的にはどのくらい読めるんだろう。月2冊は趣味の本を読もう。
そんでもって、どっかに感想くらいはまとめておこうかな。noteの更新も頑張ります、、、
そして、これをするためには読書ができる環境を整えることが絶対に重要。ズボラ?怠惰?な私は、基本的に部屋に布団が敷きっぱなし。
帰宅後、着替えて、ご飯を食べたり何だかんだ終わって、部屋に戻ると、布団に座る。→YouTubeをなんとなくつける。→寝る。このエンドレスループ。本なんて読む時間がないというか、読める時間をつくっていない。これが何よりもダメ。
まずは布団を畳む習慣。すぐに寝っ転がらずに、一旦デスクのイスに座る習慣をつけよう。まずはここから。そんで本を読める環境をつくっていこうと思う。
③もっと外に活動的に!
昨年は、パートナーのおかげもあって、めっちゃ外に出ることができた!(引っ張られてただけかもしれないけど)
出不精な自分にとっては、昨年4月までは、土日は寝る日でしかなかった。なのに、それ以降は家にいることの方が少ない。地球温暖化以上に、きりまんじゃろ家にとっては、大事件だったらしい。
実家に住んでる私は、今日はどこ行くのか毎回訊かれている。安否を心配されるレベル笑
でも、実際外に出てみて、本当に楽しいこと、知らない世界が想像以上に広がっているんだと知ることができた。
理想はあっても、実現性はなく、理想というよりむしろ空想の域を出なかった夢が、いろんな人との出会いを通して、ブラッシュアップされまくった。
最初は、「あなたはどうしてきたの?」と尋ねられても、「パートナーについてきました」としか、答えてなかったけど(実際、説明がめっちゃ簡単でいい。けど、その後の疎外感半端ない)、最近は、自分のやりたいことを少しずつ言語化できている気がする。
元々考えるのは好きだったけど、より具体性を持って、実現可能な方向を模索できている今が本当に楽しい。パートナーには感謝しかない。
だから、今年は、もっと自分から積極的に外に繰り出していきたい。これはソーシャルな繋がりを求めるってこともそうだけど、遊ぶのもそう。まだまだできていない楽しい遊びをたくさん教えてもらわないと。何卒よろしくお願いします。
あ、もちろん、遊んでくれる人や興味をもってくれた方とも積極的にコンタクトをとっていきたいので、遊んでくれる人はお願いします!楽しい遊びもイベントも教えてください!
④魅力的な人間になる
③に共通することだけど、昨年ご縁があって出会えた方々は本当に魅力的な方々ばかりだった。
それこそ、普段学校で働いているだけでは、絶対に出会えない人たち。
そして、そんな魅力的な人だからこそ実現できる大きなプロジェクト、それを支えるこれまた魅力的な人たち。
想いもそうだし、実力もそう。彼らの全てが本当に魅力的で羨ましかった。立場や年齢の違いはあるし、それぞれの専門性は違うけど、いつかどこかで、今度は参加者としてではなく、もっと違う立場で彼らを巻き込めるようになりたい。
そのためには、自分が何よりも魅力的であることが必要だと思った。
だからこそ、魅力的な人間になりたい。自分の中で、魅力的とは何かを考えてみる。
能力がある人はもちろん素敵。人望がある人も素敵。でも、話を聞いていて分かることは、たぶんどれも先天的なものではない。
むしろ、スタートは何ももっていない人、つまり今の私と同じような立場の人が多い気がする。
じゃあ、私と彼らの何が違うのか。
それは野望の大きさと、それを堂々と自分の言葉で、体験で語れる度胸だと思う。
今の私はというと、、、そんな度胸はないし、そもそもやっぱり自分の野望が明確じゃない気がする。
自分の価値はなんだろう。自分のミッションはなんだろう。自分のビジョンはなんだろう。これをしっかり言語化していくことで、もっと魅力的な人間になれるんじゃないかと思う。
そしてその先のどこかできっと彼らと繋がれるんだろうなと思っている。
とりあえずは魅力的なでっかい野望を堂々と語れる男に俺はなる!(まんじゃろ海賊団🏴☠️)
⑤哲学対話イベントを開催する!
仕事のところでも書いたけど、私は今年度、道徳の授業で子どものための哲学をしている。
詳しくはこちらも読んでください。
哲学対話とは、もともと議論するスキルを身につけることを通して、民主主義を実現するための運動により取り入れられた手法のことで、簡単に言えば、参加者でひたすら考えを深める方法のこと。
これを学校教育の中ですることにはたくさん意味があると思う。
学校教育では、教育という名のもとに、多くの制限や不自由を子ども達に押し付けている面が多い。
例えば、低学年の子どもたちは積極的に手を挙げて発言するのに、高学年になるとそれが少なくなるのはなぜだろうか。
もちろん、発達によるものもあるが、「間違えたら恥ずかしい」、「先生が求めてる答えとは違うかもしれない」という思いがあるからではないだろうか。
そもそも学習における答えとは何か。
日本の学校教育がしばしば成果を追い求めるあまり、与えられた正解を導くことのみが正しいことのように誤学習させられている子どもたち。
その結果、彼らから自主性や独創性、発想力という規定の路線を逸脱しようとする、素晴らしい力を押し込め、忘れさせている。
これが今の学校教育。軍隊教育やロボット育成のように揶揄される所以だ。
しかし社会に出るとどうか。これまでの先生という答えを与えてくれる存在はいない。
自主性、独創性、発想力、自由な思考が求められる社会。
そんな過酷な環境に初めて晒される子どもたち。あまりにも不憫だ。
哲学対話はこの過酷な環境をサバイブするための一つの手段と言える。
哲学対話を通して、正解を追い求めるという足枷を外し、思ったことを思ったままに考え、時に話し、自由な考えを聞くという体験をする。
その結果、彼らの押し込められていた自由が再び躍動を始める。
もっと考えてみたい。自由に考えることって楽しい。自由に考えて喋っても否定させれない。他とは違う考え方だっていいんだ。そんな思いが哲学対話を通して育むことができると思っている。
哲学対話を通して、子どもたちはお互いの言葉にしっかり耳を傾け、その人のことをよく知り、尊重することができる。
自分の自由が尊重され、相手の自由も尊重する。すべての人たちが互いを尊重し、それぞれの幸せを応援できるようになるはず。
なんて、大きなことを掲げながら哲学対話的道徳を取り組んでいます。
しかし、哲学対話を私の学級の子どもたちがするだけでは意味がない。なぜなら、彼らが生きる未来の世界は、そんなに寛容ではないかもしれないから。
彼らの自由が社会の中でも尊重されるとは限らない。なぜなら、今の大人たちも同じように自由を押し込められて育ったから。
じゃあ、どうするか。
哲学対話を学校外でもやればいいじゃん!
ということで、年齢も性別も家柄も、国籍も関係なく、みんなで1つの問いに真剣に頭を悩ませ、対話することを通して、自由に生きるための力、とまではいかなくても、自由な思考に気づくチャンスをたくさん作りたい。
と、いいながら、今年の目標はもっと詳しくいうと、月一回の哲学対話の場の設定。
さらにもっというと、実は既に1月分は実施してあり、予想以上に、縁ある方々に、足元の優れない中にも関わらず駆けつけていただき、延べ20名以上の方たちとの対話の場を作ることができました!
初っ端から飛ばしすぎている。来月はどうなるのだ。まずは5人くらいきてほしいな。場所と日程はまたおいおいお知らせしますが、是非とも参加してくださる方を募集しております。
また場所にも拘らず、いろいろなところで哲学対話の場所を作りたいと思っていて、場所も探しています。2月は新潟市北区のどこかで。
編集の間隔が空きまくっていて、支離滅裂かもしれませんが、哲学対話の場作り頑張ります。
⑥縁する人を幸せに!
昨年からいろんなところに引っ張ってくれるパートナーのおかげ(せい?笑)もあって、いろいろな方々に出会うチャンスをいただいている。
前述の通り、本当に魅力的な方々ばかりで今後もどうにか関わっていきたいし、巻き込んでいきたい。
でも、巻き込むだけ巻き込んで、損をさせてしまっては意味がない。せっかく巻き込むなら、どうにかよかったと思ってほしい。
なんなら、幸せになってほしい!というか、幸せを感じる機会を提供できたらこれほど嬉しいことはない。
だから、縁する人を幸せにするためにはどうしたらいいのかをひたすら悩める一年にしたい。
ここ数ヶ月、イベントに参加し、逆にイベントに参加していただいたことで思ったことがある。
人間関係は循環している?いや、縁起説だ。
縁起説とは、お釈迦さまが唱えた仏教用語らしい。
この世のあらゆる事象は、全て原因があって起こるという考え方。
人間関係でいう縁起説とはどういうことか。
すべての人間関係は繋がっているということ。
今回イベントに参加していただいた方の多くは、ここ数ヶ月のイベントでお会いさせていただいた方々。
つまり、あの時の出会い、活動の短い話が、縁となってイベントに足を運んでいただくチャンスとなった。
その上で、その方々が別のご友人に声をかけてくださり、また新たな縁を結ぶことができた。
どれもこれも、あの時のあの出会い。あの話。
人間は縁があって出会い、また次の縁を運んでくる。
縁っていうと、偶然っぽく聞こえるけど、そうじゃない。あの時に結んだ縁が、また次の縁に繋がっただけの話。
こうすることで人間関係はどんどん広がり、出会いの中で、人という幸せのチャンスが広がっていく。
そんなことを考えているうちに、さらに思ったことは、次は私たちが縁を返さなきゃ!と思った。
私たちの活動に参加していただき、次は私たちが活動に関わらせていただく。時には、誰かを繋げたり、時にはくっついてみたり。
そんなことをする中で、活動の幅や実現の幅が広がる。すごい幸せ。だから、縁する人を幸せにするために、もっと多くの縁を結んでいこう。
そして、まずは身近な縁から大事にしていかなくちゃ。近くで一緒にいてくれる人をまず幸せにしよう。
何も知らない新潟に来てくれたこと。その上で、出不精な引きこもりを引っ張ってくれたこと。感謝でしかない。彼女に繋がる縁をもっと豊かにしていけるように。まずは自分が彼女の良縁となって生きていかなきゃ。
と、6つの目標を立ててみたものの、今日現在(1/31)の時点で、どのくらい実行できているのだろうか。
子どもには明確な目標を立てることで、そこへ努力することができると伝えているのに、自分はどうなんだろう。
と思いながらも、もうそろそろ投稿しないと1月が終わるのでここらで投稿。
頼む。終わりよければ全てよしであってくれ。一年の計は元旦になくあってくれ。
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