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今日はおじいちゃんの命日

10月21日。
もうかれこれ12年も経つ。
フランスから手を合わせる。

ちなみに上の写真1番端っこ右下の男の子がおじいちゃん♡

左から2番目帽子をかぶっているのがおじいちゃんのてておや
(いつもおじいちゃんが自分のお父さんのことをそう呼んでいたw)


大好きなおじいちゃんは

私がニューカレドニア(南国の島)に
暮らしていたときに突然倒れました。

90歳近くですこぶる健康だったので
お医者さんにもスーパーおじいちゃんと呼ばれていたw

ぽっくり逝くとはこのこと。
ある意味幸せな最後だと思う。


今日はなぜこの話をしたかというと
人の死から学ぶことをシェアしたかったから。


突然、おじいちゃんが倒れた!!
の知らせが来て急遽日本へ帰国した。

成田空港へついて電話したとき
父「30分くらい前におじいちゃん亡くなったんや・・・」

そのときのショックは半端なかった。

夜行バスで三重県の実家までずっと涙が止まらなかった。
間に合わなかった悔しさと海外にいた自分を責めていた。

実家に到着してお葬式までの間

おじいちゃんに感謝と大好きな気持ちを伝えるために
手紙を書いて棺桶にいれた。


その後、超リアルな不思議な夢を見た。

おじいちゃんが倒れた台所に棺桶があり
そこからおじいちゃんが
ムクっと起き上がってニコニコしている。

おばあちゃんと一緒にニコニコ笑顔♡

そしておじいちゃんは言った

「おじいちゃんはなー、おばあちゃんと結婚して
 娘2人授かって本当に幸せやった。」

そこでパッと目が覚めた。
私は号泣していた( T_T)

映像がリアルすぎて今のが夢だったことに気づくまで時間がかかった。

「おじいちゃんは幸せだったんだ。よかった。」

不思議なことにその夢を見てから私の罪悪感が消えた。
自分を責める私を心配して夢に出てきてくれたんだと思った。

おじいちゃんありがとう。

亡くなってからも私のことを想ってくれていると感じた。


その後、私はニューカレドニアへ戻りすぐに行動した。

当時、元旦那さんの仕事の関係で
ニッケル鉱山の山奥にひっそりと2人で暮らしていた。

山しかないので2年ほど専業主婦をしてた。
電話もインターネットもテレビもない家で。

私はそんな環境をサバイバルと命名し楽しんでいた。

でも!!

家にインターネットさえあれば

「もっとおじいちゃんと電話で話すことができたのに!」
と後悔していた。

元旦那さんが転職して都市へ引越しするのを待っていたけど
いつになるかわからないし自分で動くことにした。

すると

当時、数少ないお友達(私のニューカレドニアのママ)が
「ヌメア(首都)のジュエリーショップで日本人を募集しているよ」
と連絡をくれた。

4時間半の山道を乗り越え、速攻面接を受けにいった。

→採用され
→アパートを見つけ
→引越しをした

そして首都に引っ越してからは
→たくさんのご縁でお友達ができた

元旦那さんに良さそうな求人をお友達が教えてくれた。
→面接受けて
→採用
→彼も首都へ引越し

自分が覚悟を決めると
とんとん拍子にことが運ぶ♪

それからはインターネットを使って海外から
友達や家族に連絡できるようになったし
積極的に連絡するようになった。

・人生には限りがある
・自分の時間は命を削って生きているということ→時間=命
・後悔しないために今一緒に過ごしたい人と時間を共有すること
・それをするために自分から動くことの大切さ

を学べたのも

【おじいちゃんのおかげ♪】

ありがとう。


おまけ
この記事を書いていると思い出して涙がポロポロでてきた
→それを見たアーモンがやさしく包み込んでくれた。

「おじいちゃん私も幸せだよ^_^」


あなたのサポートしてくれたエネルギーを記事に載せて読者のみなさんへ届けます♡たくさんの人が豊かになりますように