どうか負けないで

すっかりお正月気分も抜けてしまったが、今さらながら、年末の個人的課題図書「風が強く吹いている」を読み直している。年末に「風が強く吹いている」を読み、来る箱根駅伝に向けてメンタルを整える。これがここ10年くらいの私の年末年始の決まり事なのだが、今年の箱根駅伝は課題図書を読まぬまま迎えてしまっていたので、箱根ロス対策の一環として、箱根駅伝後に読むことにしたのだ。

以前読んだときには気付かなかったことを発見する喜びや、経た年月や得た知識、経験等を通すことによる抱く感想や思いの変化を感じられるのは、再読の魅力であり、再読した者のみの特権だと思うが(過言かもしれない)(再読してばかりいると、積読が70冊近く積みあがったりもする、弊害は大きい)(弊害は私だけかもしれない)、もう十数回目になる今回の再読でも、また新たな言葉と出合った。

負けないで。みんな、どうか負けないで。(文庫版 p.307)

箱根駅伝予選会、5kmの時点で、先頭を走る留学生とその後ろの集団のあいだが100m以上あるのを見て、「だらしねえなあ、日本人選手は」と中年男性が発した言葉に対する葉菜子の心の声である。

箱根駅伝復路当日、8区15km地点、10区20km地点で、東洋大学の選手が来るのを待っているとき、ずっと私が抱いていた思いは、まさにこれだったのだ。初めて読んだときから、葉菜子の気持ちがよく伝わる言葉だな、と思っていたものの、箱根駅伝では近年になく東洋大学にとって厳しいレース展開となり、それを現地で見た今、10年越しにこの言葉を理解したような思いがした。

なにに対して負けないでと願っているのか(同 p.307)

葉菜子もよくわからない、といっているが、「理解したような思いがした」といったばかりの私もこの問いの答えはよくわかっていない。私は間違いなく東洋大学を強く応援しているが、他の大学の選手にだって敬意を持っているし、応援している。他の大学の選手に打ち勝ってほしい、という意味での「負けないで」とは少し違う気がする。

ただ、「伝統」の重みや、外野の声に負けないでほしい。大きなお世話かもしれないが、私が箱根駅伝復路当日に抱いていたすべての気持ちの根底に、この思いが確かにあった。箱根駅伝11年連続3位以内というプレッシャー、沿道やTwitterなどで勝手な論評をする人々の声に負けないでほしい。自分の大切にしたい何かを忘れずに、余計な重荷なんて背負わず、気負わずに走ってもらえれば。葉菜子とは違い、完全に部外者である私の一方的な思いではあるが、そんな気持ちだったのだ(この気持ちも迷惑かもしれないのは、一応承知の上だが…)。

いつ何の本を読むのか、それはいつだって自由だ。しかし、「そのとき」にしか出合えない言葉がある。例年と同じように、箱根駅伝の前にこの本を読んでいたら、また違った言葉との出合いがあり、別の感覚を抱いていたに違いない。それでも、今年の箱根駅伝前に「風が強く吹いている」を読み損ねて、箱根駅伝後にこの言葉に出合えたのは、私にとって数奇で幸運な出来事だった。

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