私が東京マラソン現地観戦を自粛した理由

3/1(日)、新型コロナウイルス感染拡大の影響で「エリート」選手のみでのレースとなった東京マラソンは、空前の超好記録ラッシュで幕を閉じた。

車いすマラソンでは、男女ともに大会新記録を樹立。マラソン女子でも2人の選手が大会新記録で東京の街を駆け抜けた。

そして、マラソン男子。世界歴代3位の記録をもつレゲセ選手が堂々の連覇を果たし、そして、大迫選手が再び日本記録を更新した。大迫選手だけでなく、エリートランナーとして出場した日本人選手は、個人で見ても国で見ても、ものすごくものすごかった。私のTwitterのTLは、終始箱根駅伝並の(あるいはそれ以上の)勢いで流れていった。

いや、すごすぎる…。どう考えても、沿道で追っかけ観戦したかった……。

東京オリンピックの年の、マラソン3人目の代表を決めるMGCファイナルチャレンジのうち、最もタイムが狙える東京マラソンはどうしても現地で見たい。

数か月前からそう思っていたものの、新型コロナウイルスによる混乱を鑑み、私は沿道での観戦を自粛した。

私が現地観戦を自粛する決定打となったのは、日本陸連からの沿道での応援自粛のお願いではない。行けば叩かれるからでも、新型コロナウイルスが怖いからでもない。

「東京マラソンを開催したことで、感染拡大に拍車がかかった」なんて言われるようなことに絶対になってはいけない

そう考えたからである。

マラソンや箱根駅伝は、日本人にとって非常にキャッチーな存在である。普段陸上にあまり関心のない人もテレビで見たりするし、今回のようにオリンピックマラソン代表を決める大会の1つで、日本記録更新に最も近いと考えられている選手が複数出ているともなれば注目度も格段に上がる。個人的には、もっとたくさんの人に陸上を見てほしいと常々思っているから、それ自体はいいことだと捉えている。

だが、キャッチーだからこそ、妙なところで話題になりやすく、そこばかりに視線が集まりやすい。好記録ラッシュの背景に厚底シューズの存在あり!なんてニュースは掃いて捨てるほど見たし、厚底シューズ騒動の際は連日のように情報番組で取り上げられていた。

「シューズの話なんて、お茶の間の皆さま、本当に興味あります?」

どこまでも冷めた感想で恐縮だが、私はずっと疑問に思っていた。普段陸上に関心のない人にシューズの話をしたって、通常は絶対に興味を持たれない。特殊な状況において、「厚底シューズ」が普段陸上に関心のない層に薄く響いただけではないだろうか。それが適さないクロスカントリーの大会で超好タイムが出たことなんて、ほとんどの人が知らないだろう。

現在、新型コロナウイルスに対する警戒感は非常に高まっている。企業はリモートワークを推奨し、公立の小中学校は休校となった。マスクが品薄になっているのは理解できるが、なぜかトイレットペーパーやティッシュペーパーまでなくなっている(トイレットペーパーがなくて私は本当に困っている)。様々な大会やイベントや式典等も自粛されている。かつて経験したことがないほど、社会が混乱しているのを感じる(東日本大震災では途方もなく甚大な被害が出たものの、日本国内の被害のないエリアや諸外国からの援助があり、そこでは平時の生活が保たれていた)。

そんなときに、東京マラソンを開催して(開催自体は大賛成だ。開催判断には心から感謝したい)、その観戦に行った人から感染者が2、3人でも出たらどうなるか。

本当の感染経路がどうであれ、東京マラソンへ観戦へ行ったことが取り上げられる可能性は否めない。「東京マラソンなんて開催なんてするから!!!」と言い出す人は必ず出てくる。感染者が出ていない中でも批判の声は挙がっているというのだから、あながち間違っていないと思う。

しかし、本当に問題なのは、主催者が批判されることではない。マラソン大会の開催が感染拡大に寄与した可能性が、今後のスポーツ大会の開催自粛(つまり中止)に容易に繋がりうること、今回の東京マラソンを走った選手の気持ちにもダメージを与えかねないこと。これだと私は考えている。

私1人が行っても行かなくても、観戦者数が1人増減するだけだ。何事もなければ、ほとんど影響はないだろう。それでも、万々が一、私が新型コロナウイルスに2週間後にかかったりしたら?リモートワークとなった今、疑われるのは東京マラソンだ。そんな人が数人でも出てきたら、どうしようもなく東京マラソンは叩かれてしまうだろう。他のスポーツ大会を自粛する引き金となるかもしれない。選手にとっての晴れ舞台がそんなことになってほしくないし、選手に辛い思いをしてもらいたくはない…。 

これはあくまで私が沿道での観戦を自粛した理由である。私の理由とは違っても、いくつもの理由を並べ立てて、泣く泣く現地観戦を自粛した人もいるだろう。あらゆることを考慮した上で、これは行かねばなるまいと沿道へ行った人もいるだろう。声援が選手の力になったのであれば、それはそれでよかった。いくら私がテレビの前やTwitter上で応援していても、その声(概念)が選手の力になることはなかったのだから、力になる声援を送る人がいてよかったと思う。

だが、今回の沿道での応援自粛は、「自粛モードだから」求められたのではない。「自粛する必要があるから」求められたのだ(もし違ったら、ほんっっっとうに拍子抜けである)。もし今、何かの自粛を求めているイベントに「自粛ムードなんて馬鹿らしい」「俺、天の邪鬼だから」といった理由で足を運ぼうとしている人がいたとしたら、一瞬でいい。どうか考えてみてほしい。

「この自粛のお願いは本当に『自粛モード』に倣っただけなのか」「なぜ自粛を求められているのか」

過度に恐れる必要も、過度に自粛する必要もない。ただ、平時であれば「フッ軽」「ノリがいい」と認識されるものが、悲しきかな、今は「安易」「軽率」となる可能性を孕み、とんでもないインパクトを与えうるのだ。

東京マラソンが終わってしまった今はただ、録画した東京マラソンを見ながら、沿道の観客の中から2週間後に発症者がでないことを祈るばかりである。

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