ホロライ仏教法話「人生はんみょうむ」
かの幻想文学の大家・江戸川乱歩はかつて言いました。
「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」
ざっくり言うと、人が現実(うつし世)と思い込んでいるのは夢であり、夜に見る夢の方が本当の世界かもしれない、といった意味合いです。乱歩は人から色紙を頼まれた際、この言葉をよく書き添えたそうです。
乱歩文学の主人公たちは、自ら生み出した妄想に囚われ自家中毒に陥り、往々にして幻想の世界から抜け出せません。傍から見れば「破綻」そのものですが、幻想に飲み込まれた彼らの姿はどことなく幸せそうに見えます。
「夜の夢こそまこと」と居直るというわけでもないでしょうが、乱歩風に怪しく味付けされた「これでいいのだ」的なエッセンスを感じます。
そのような枯淡の境地に達した人物が、なんと現代日本にも現れました。
その人こそ、VTuber事務所・ホロライブプロダクション所属のアキ・ローゼンタール法師です。
4年前、アキロゼ氏はアルコール9%のストロング系チューハイをひとりで5本飲み比べするという企画のあと、無謀にも「はしご酒」と称して飲酒雑談配信を敢行しました。
2日ほど徹夜をキメていたという最悪なコンディションに6本目のストロングが直撃。アルコールにもっぱら強いと評判のアキロゼ氏もさすがにヘロヘロになってしまいます。
終盤だんだん言うことが不明瞭になっていき、とうとう寝落ちしてしまいました。
最早これまでかと全リスナーが思ったそのとき、急に意識が目覚めたアキロゼ氏は「みゃー。みゃー。」と鳴きはじめ、次の言葉を残しました。
「人生はんみょうむ」
人によっては、ただの酩酊者の断末魔と捉えるかもしれません。
配信当時はそのように評される向きもあったと聞きますが、それは早計です。
アルコール9%のストロング系チューハイの代表格「ストロングゼロ」。
ゼロという言葉から「虚無」を連想し、“大いなる虚無”とも称されるアルコール飲料です。
一般的に人はアルコールを飲むと頭がボーッしますが、より強い酒なら尚更です。
仏道においての究極のゴールは悟りを開くことですが、飲酒の酩酊状態によってもたらされた頭がボーッとする状態は、完全なイコールではないとは言え、“無我の境地”に近いものがあると言えます。
事実、神聖な宗教儀式において酒が用いられることはよくあります。昔から神事と酒は密接した関係にあるのです。
当時、悟りへの求道に余念のないアキロゼ氏は“大いなる虚無”の力を借りることで“悟り”の一端に触れたのでありましょう。
しかしそれは、大変なリスクを伴う行為でした。“大いなる虚無”は強力な分、その強大さを以て修行者を無秩序な深淵へと引きずり込もうとします。
ギリギリの戦いのなか、アキロゼ氏が決死の思いで勝ち取った大切な悟りの言葉。今回はこちらをじっくりと鑑賞してまいりましょう。
「人生はんみょうむ」
なんだか不思議な響きのある言葉です。
口に出してみると、なんだか心がラクになるような……。
彼女の口からこの言葉が発されて以来、しばらく「はんみょうむ」の意味するところが謎に包まれており、多くのホロライ仏教学者によって喧々諤々の論争が巻き起こりました。
そんな矢先、アキロゼ氏本人からⅩ(当時はTwitter)において“今決まった”のコメント付きで「人生はんみょうむ」は「人生半妙夢」の表記とする、という公式アナウンスが発表されました。
「人生半妙夢」
人生とは、半ば妙な夢のようなものである。
それが「人生はんみょうむ」の教えなのでした。
最近だと「妙」という言葉は「おかしい。理屈に合わない。」の意味で使われることが多いですが、「妙なる」という言葉にも“妙”の文字が用いられる通り、「不思議なほどすぐれている。巧みである。」という意味も持ち合わせています。
人生は、たいていのことがうまくいきません。
行き詰まる瞬間はしょっちゅうあります。
人生がうまくいかないと、現実という名のオバケに体ごと飲み込まれて気分がグーンと落ち込みそうになりますが、ちょっと待ってください。
現在直面している現実が全てではないと考えれば、少しは気分が楽になりそうです。
現実に真っ向から対峙してボロボロになってしまうのならば、半分カラダをずらしましょう。ずらすことによって、真正面から来るダメージを最低限に抑えるのです。
この「半分」というバランスが重要です。
江戸川乱歩の小説の主人公のように己の軸足を全て「夢」の方に置いてしまうと、たちまち破滅が待っています。
何かイヤなことがあっても「ま、人生半妙夢だしなぁ」と思えば、自分事ながらどこか他人事のように思える俯瞰の視点が発生するというか、全ての責任を引き受けなくてもどうにかこうにかやっていけるんじゃないか? という心の余裕が生まれます。
そう、心の余裕を作ることが大事なのです。
いったん心の余裕ができれば、再出発までの道筋を冷静な頭で考えることができます。
また、人生がうまくいっているときにも「人生はんみょうむ」は有効です。
人生がうまくいっているとき、人は調子に乗ってしまうものです。
「この世界は私が中心」と思い上がることは気分としては最上のものかもしれませんが、結果的に身を滅ぼします。
平家一門の栄枯盛衰を描いた軍記物語の傑作『平家物語』の冒頭にも「驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。」という一節が出てきます。
「世に栄えて得意になっている者がいても、その栄華は長く続くものではなく、まるで覚めやすい春の夜の夢のようだ。」という意味ですね。
人生がうまくいっているときほど、慎重になる必要があります。
栄華が長く続くことはありません。自らの実力を過信した平家一門は、甘美な夢に溺れることによって自滅しました。
そのことを教訓にこの世が「半妙夢」であることを自覚しておけば、とてもいい調子が続いたとしても、今の状態は半ば夢のようなものなのだから、万が一の不測の事態にも備えておこう、という心持が出来上がります。
個人的には「人生はんみょうむ」と言い切っているところも好みです。
「うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと」のように「人生はんみょうむ」の後にも何かしらの言葉が続きそうなものですが、前半らしきところでブッツリ終わっているところに新しさを感じます。
そしてコンパクトになったことで「人生はんみょうむ、人生はんみょうむ」とおまじないのように唱えやすくなったのは大きな利点かと思います。
人生半妙夢。
この言葉が好きなのは、意味としてVTuberという存在をも内包しているからかもしれません。
この世には「辺獄(リンボ)」という概念があります。
スーパーざっくり言うと、辺獄は「天国と地獄の中間に位置する場所」を指します。
言ってみれば、VTuberが存在するバーチャル空間は、現実と夢のはざまに発生した現代のリンボです。
半分現実で、半分夢(虚構)。
夢とまことのあわいにおけるゆらぎのような存在、それがVTuberです。
「半妙夢」とは、VTuberそのものを指し示しているのです。
その言葉が、VTuberであるアキロゼ氏当人の口から発せられたことに、不思議な巡り合わせのようなものを感じます。
そして「人生はんみょうむ」くらいの気持でいた方が、VTuberを楽しむ・応援するときにも有効な気がするのです。
迷える衆生に大切な教えを授けてくださったアキロゼ法師には感謝しかありません。
はぁ~……
本日もまたVTuberをめぐってなかなかにボンクラな記事を書いてしまいました。
しかしまあそれもよしとしましょう。
なんせ、「人生はんみょうむ」なのですから。