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志村けん「変なおじさん」考

 変なおじさんとは要するに「聖なる狂人」である。
 
 志村けんの大ヒットキャラクター「変なおじさん」。
 この稀代のコントキャラの面白さを今一度哲学的見地から検討してみたい。
 

変なおじさんと哲学者デカルトの共通点


 終盤、変なおじさんは周囲から追い込まれると「♪変なおじさん~」と歌いだす。
 歌詞は「変なおじさん」という単語のみの連呼かと思いきや、よく聞いてほしい。
 彼は「変なおじさん、『だから』変なおじさん」と歌っている。
 これはよくよく考えてみるとおかしい。
 通常、接続詞「だから」の前には、「だから」の後に発生する“結果”に対応する“理由”が述べられるべきである。たとえば「突然公衆の面前で狂った行動をした」「だから、変なおじさん」と言うように。
 しかし、彼は自分は「変なおじさん」だから「変なおじさん」なのであるという自己弁解を試みている。
 ただ「これは詭弁か?」と色めき立つのは時期尚早。ちょっと待ってほしい。
 私はこの歌詞からデカルトを連想する。デカルトが自著『方法序説』で提唱した、世界的にも有名な命題「我思う、ゆえに我あり」を。
 そう、変なおじさんは無学の道化を装いながらも、実はデカルト学派の急先鋒だったのだ。
 志村けんの代表番組「志村けんのだいじょうぶだぁ」に変なおじさんは毎週のように登場していた。一番テレビが熱心に見られていた時代のゴールデンの時間帯で6年間もデカルトを布教していたのだからおそろしい。未だにデカルト学派が幅を利かせているのも、この頃のサブリミナルギリギリの無意識への刷り込みによる成果であろう。
 よって「変なおじさん『だから』変なおじさん」であり、「変なおじさん『ゆえに』変なおじさん」なのである。
(あとデカルトを雑に処理すると、この人はこの人で小難しいことを毎日ひとりで考えているような人なので、このフランス人もまた『変なおじさん』なのである。Q.E.D. 証明終了)
 

何故オチにガラスが割れるSEが流れるのか?


 「ドリフ大爆笑」で顕著なようにドリフ系のコントではオチの際に「これがオチですよ~」と強調するファニーな効果音が流れる。
 その点でも「変なおじさん」は異様だ。
 クライマックス、変なおじさんが「だっふんだ!」と一喝し、寄り目でふくらっ面をする。すると「ガシャ~ン!!」と大音量でガラスが割れるSEが流れるのだ。
 私は子供の時分からこのコントに慣れ親しんでいたが、いつもこう疑問に思っていた。「何故このコントは毎回こんなに怖い音で終わるのか」と。
 ガラスが、割れているのである。
 割れたガラスは再生しない。決定的な破局、カタストロフである。「覆水盆に返らず」よりも状況は絶望的かも知れない。
 しかし、この現象もよくよく考えてみるとその背景がうっすらと見えてくるのだ。
 変なおじさんのコントはあくまでも「日常」をベースにしている(やや「独身女性の日常」に偏っているきらいはあるが)。
 そこへどこからともなく変なおじさん(と言いつつほぼ狂人)が闖入者としてあらわれ、現実をかき乱す。
 これは、カオスとコスモスの対立の物語である。
 コスモスは「秩序」だ。秩序を司る者の代表として登場するのは田代まさしであり、よく警官の格好をしていた。カオスは言うまでもなく「混沌」だ(のちに田代はカオスの代表選手になってしまった)。
 コスモスはカオスに詰問する。「何だ君は!?」と。
 カオスは「何だチミはってか!?」と反復し、「そうです、あたすが変なおじさんです」とカオスであることを悪びれもせず告白する。
 ここから先はもう皆さんもお分かりの通り一方的な試合、ワンサイドゲームである。
 「♪変なおじさん~」というメロディが流れはじめたら周囲の野次馬はもちろん、コスモスの守護者たる田代さえただの書き割りとなり、何でもない筈だった日常が終局に向かっていく様をただ傍観するしかない。
 「だっふんだ!」は言ってみればラピュタにおける「バルス!」のようなものである。今あるこの世界を、滅びに向かわせる力のある言葉だ。
 その瞬間、コスモスは轟音を立てて崩壊する。そのカタストロフを表した音がこの「ガラスが割れる」SEなのである。
 一度終末を迎えたら現実と虚構の区切りは無残に取っ払われ、コスモスはカオスに飲み込まれ一方的に支配される。
 ガラスが割れた後、変なおじさんと同様に周囲の者たちもなすすべなく手を天に向かって上下させるジェスチャーをしているのは、カオスの濁流に飲み込まれて身動きが取れないからだ。
 「私がいま生きている現実世界に闖入者が突如あらわれ、跡形もなく焼け野原にしてしまう」という実におそろしいコンセプトのコントである。
 このコントが人気を博したのは、気付かぬ内に我々の中で培養されている「破滅願望」を刺激する要素がここに全て詰まっているからであろう。
 灰色の日常を過ごしている内、どこからともなく「♪変なおじさん~」と聞こえてきたら、私なら現実が終わってしまう恐怖よりカオスの濁流に飲み込まれる歓びの方が勝ち、嬉しさで身震いすることだろう。

 変なおじさんは聖なる狂人であり、カオスの濁流で我々をどこか遠くへと連れ去ってくれるトリックスターなのである。


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