左手(Not利き手)にタコができた話
数年前のある日、ふと気付いた。
左の手のひらの薬指の付け根に胼胝(タコ)ができていた。
不思議なのは、左手が利き手ではないということだ。
タコはただの皮膚の疾患という考えもあるが、そのころ私は趣味で漫画を描いていたこともあり、「ペンダコ」には一種の憧れを抱いていた。
ずっとペンを握り続けている者だけに与えられる勲章。ペンダコにはそんなイメージがあった。
私も一応頑張って漫画を描いていたつもりだが、単に皮膚が丈夫なのか、それともまだ鍛錬が足りないのか、右手には一向にペンダコができなかった。
そんな状況でついに待望のタコができたのだから、利き手ではないとは言えテンションが上がるのも無理はない。
しかし、このタコが一体何によって生まれたのかが皆目見当がつかない。
タコというものは、皮膚の一ヶ所に長期的に刺激や力が加わることによって生まれるものである。
左手の、ましてや薬指の付け根にそれができることの心当たりが、まったく無いのであった。
分からないことにずっと頭を悩ませていても仕方がないので「ま、そのうち原因がわかるでしょ!」とその日はそこで考えを打ち切った。
左手のタコを意識して生活するようになってから数日、真実は急に訪れた。
実にあっけないものだった。
平日の朝。今日も出勤しなくてはならない。
睡眠不足でうすぼんやりとした頭を抱えたまま、いつものように朝食の準備をしていると、左手の薬指の付け根に“コリッ”と刺激がジャストミートする「これだ!」という感触があった。
「そうか、タコの原因はこれだったのか」と一気に眠気が吹き飛び、自分が今している動作を改めて確認すると、それは「カゴメ『野菜生活100』のペットボトルのフタを開けている」瞬間であった。
知っている人からすれば当たり前のことを言うでないという話だが、念のために言っておくと「野菜生活」はこの国でおそらく一番ポピュラーな野菜ジュースのブランドである。
「野菜生活」は、本来の野菜生活が出来ていない者にとっての心のお守りというか、最大の味方である。
私は社会人になって一人暮らしをするようになってから野菜生活に手を染めるようになった。実家にいる間は食事の栄養バランスがばっちりだったので、そもそも自主的に「野菜生活」する必要がなかった。
私はいつもペットボトルのフタを開けるとき、右手で本体を持ち、左手でフタを開ける。
そう、この動作のときだけ利き手が左手にチェンジするのである。
「それならば、左手はフタを開ける行為全般を担っているのに、なぜ犯人は野菜生活だと特定できるんですか?」という架空のおたよりが飛んでまいりましたが、それを本気で言っているならばアナタは野菜生活のことを何もお分かりでないようだ。
いいですか? 野菜生活はその名の通り野菜が豊富なのです。
野菜の食物繊維がふんだんに含まれているため、言葉が悪いですがそのカスがペットボトルのフタの内側で溜まり、それが固まって通常のペットボトルよりフタの開け具合が確実に「固い」んですね。だから、他の凡百のペットポトル商品と比べ、開けるときは「フン!」と気合を入れなければなりません。その際、負荷が一番かかっていたのが当の薬指の付け根だったのでありましょう。
あとこれは知ったこっちゃないよという話でしょうが、冷蔵庫のスペースの都合上、私は野菜生活を横置きで収納しています。すると、フタの方まで常に野菜ジュースが侵食している状態が出来上がります。それゆえに、野菜の繊維がフタの内側に満遍なく行き渡りやすいのです。
このようにして私はフタのカチカチ錬成度を短期間で急激に上昇させ、平日は毎日せっせとかってえフタを開けるミッションを黙々とこなしていきました。
そうしたら、左手の薬指の付け根にタコができました。
これは言わば、「野菜生活ダコ」なのです!
………
………………
何もうれしくない………
真実というものは時に残酷なものだ。
幻が滅ぶと書いて「幻滅」と読むが、幻想が消滅するとヒトは往々にしてガッカリするものである。
こんなことなら、真実なんて知りたくなかった。
野菜生活ダコって何? ヴィーガンのオクトパス?
「野菜生活100」をひたすら飲むだけのマシーンじゃん、そんなの。
野菜生活をただただ摂取するためだけに生まれてきた存在。
まったく応用が利かない。つぶしも効かない。
タコ界のヒエラルキーでもだいぶ下の方なんじゃないのコレ。
よくよく考えてみれば、私が野菜生活を飲むようになったのは社会人になってからの習慣である。
私はそのころ無気力に社会生活を過ごしており、会社に勤めてはいるものの、正直ただ「辞めていない」だけという状態だった。
何の役職にも就けず、たいした昇給もせず、漫然と過ぎていく社会生活。
社会生活0の人間に野菜生活100のタコができた。
やかましわ!
こんなことで0から100に上がっても全然うれしくない。むしろ気分的には最早マイナスである。
毎日毎日出勤前に野菜生活のフタを開けているから、こんなものがいつの間にかできてしまう。
しかし逆に言えば、この左手のタコだけが、私が社会人であることの唯一の証なのであった。
そして、会社は私に必要最低限の給料以外は何も与えてくれなかったが、少なくとも野菜生活は、私に日々の食物繊維とタコを与えてくれた。何もない私に毎日寄り添ってくれた。
私は最大限の感謝を込め、定年を迎えるその日まで、これからも野菜生活をガブガブ飲み続けることであろう。
今もなお、左手のタコは成長を続けている。
今日も私は出勤前、テコの要領でタコを作用点として相変わらずかってえ野菜生活のフタを開けてきた。
“コリッ”と小気味よい音がした。
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