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タレント「はな」こそがゼロ年代の象徴である

 最初は、舟越桂が目当てだった。
 彼女が画面に出てくるまでは。


 
 今年の3月に彫刻家・舟越桂氏が亡くなったことを受け、NHK「新日曜美術館」の過去の舟越桂特集回が最近再放送された。
 その当時、展覧会に出品するための新作の彫刻作品を彼のアトリエで創作する様子が密着取材されている。

■再会

 皆さんは舟越桂氏をご存知だろうか?
 名前だけではぴんと来ない人も、どこかで彼の作品を目にした可能性は大いにある。
 天童荒太の小説『永遠の仔』の装丁で彫刻作品が使われたり、「アメトーーク!」やTikTokで紹介されて話題になった筒井康隆の小説『残像に口紅を』で素描が表紙を飾ったりしている。これらは、舟越による作品である。

 彼が手掛けるクスノキの彫刻作品は、どこか遠くを見つめている、虚ろなまなざしの人物像が印象的だ。
 とは言え、私も本の表紙で作品を見た程度で、その芸術家がどういう人となりをしているのかは全く知らず(なんせお顔も今回初めて見た)、どのような創作風景が見られるのかワクワクして番組を見始めた。
 オープニングのVTRが終わり、「新日曜美術館」の司会二人が挨拶をする。
 一人はベテランという感じのNHKの女性アナウンサーで、もう一人はタレントのはなであった。

 私は「はな!」と思った。なつかしさで頭がクラクラした。
 そう、これはアンコール放送なので元々のオンエア時期は2003年であり、当時の「新日曜美術館」の司会を務めていたのははななのであった。
 最近見かけない、はな。
 こんなところにいたのか、はな。
 「はな、お前だったのか」と『ごんぎつね』に登場する村人・兵十のような心境になった。
 在りし日の三戸なつめ(この人も最近どうしてるんでしょうね)なら「前髪切りすぎた」と形容しそうなベリーショートの髪型。他の情報をすべて取っ払ってもこのベリーショートさえ残れば、誰もが“はな”と認識できるトレードマークだ。
 私の目は釘付けになった。

■テレビの徒花

 私の記憶では、はなは一時テレビに出まくっていた印象がある。
 特に、2000年代の番組に。
 念のためはなのウィキペディアを確認してみると、90年代とその後の2010年代にもテレビには出ているようだが、2000年代の出演番組数が圧倒的に多い。
 そして熱狂的なはなファンには大変申し訳ないのだが、その番組のラインナップを見ても「そうそう、この番組にはなが出てたんだよね~!」と思い当たるものが一つも無い。
 これは私が悪い。
 はなはNHKを中心とした教養系の番組をテリトリーにしていたようだ。
 その頃の私はとにかくお笑いが好きだったので、バラエティばかり見ていた。だから、はなが主戦場としていた番組群には目もくれなかった。はなの活躍が記憶にあまり残っていないのも当然である。
 ただ、その頃のはなのテレビ人気はとどまることを知らなかったようで、そんな私が目にする範囲の番組にもはなは時たま出演し、「最初からそこに存在するのが当然」とでも言うようにテレビの中で自然体にふるまっていた。
 テレビを見ていると高い確率ではなに出くわす時代が確実にあった。
 だから、今回の再放送のはなを見た時に「なつかしさ」ともまたちょっと違う激烈な反応が私の中を走ったのだ。
 2000年代のはなに対する私の印象は「人畜無害」、この一言に尽きる。
 「気のきいたことを言う」ことだけがタレントの仕事の全てではないが、当時の私は「気のきいたことを言える」タレントを高く評価する思考が出来上がっていた。
 私はけっこうなテレビっ子で、今ではあまり見かけないご無沙汰のタレントについても「あの番組でのあの一言は光るものがあったなぁ」という傍から見ればどうでもいいことこの上なしの記憶が私の脳内にはパンパンに詰まっている。どんな末端のタレントにも、咄嗟の「コメント」における代表作は必ず1個はある。
 しかし、私の膨大な脳内アーカイブを検索し、在りし日のはなの面影を思い浮かべることは出来ても(やはりベリーショートは鮮明に覚えている。あと口元の二つのホクロも)、「はながあの時こう言っていた!」の思い出が一つも無い。
 これは一体どういうことだろうか。

■「司会」?

 今回の「新日曜美術館」では一応「司会」という立ち位置だが、私の価値基準からするとそれもどうやら怪しい。
 本番組は舟越桂の密着VTRがメインであり、その内容を受けてスタジオで司会とゲストの作家・天童荒太(若い!)が対話するという構成になっていた。
 はなはVTR明けに簡単なコメントをし、あとは基本ダンマリである(特に中盤以降)。
 スタジオパートでは、ベテランアナウンサーとゲストの天童氏が主に会話する形で場が進行していき、はなは文字通りその場の“花”としての添え物と化している。
 その空虚な在り方・佇まいに、舟越桂の「虚ろなまなざし」の人物像の作品群がオーバーラップする。
 そこから私はふと天啓を得るのである。
 「そうか、はなはゼロ年代の象徴的存在だったのか」と。

■「空虚」を体現する存在

 ゼロ年代。
 スタートは2000年。
 当時やたらと周囲が「ミレニアムミレニアム」と騒いでいた気がする。
 私もバカだったのでその雰囲気に飲まれて「0が3つ揃うなんてすごい。なんか特別ないいことが起こりそうだよな!」と無邪気にはしゃいでいた。
 2000年はとりあえずスカだった。
 1年後、特別なことが起きた。でもそれは悪い方の「特別」だった。
 2001年のアメリカ同時多発テロ事件。これのせいで当初漠然と感じていた希望が木っ端微塵に打ち砕かれるような思いがした。
 一般的に1990年代初頭からの10年間は「失われた10年」と呼ばれているが、続くゼロ年代も、その時代的な停滞を継続して引きずった印象が強い。そこから敷衍ふえんし、ゼロ年代も含めて「失われた20年」と形容されることもある。
 乱暴に言うと、ゼロ年代は日常において希望を見出すことが難しい空虚な時代だった。
 その時代に(私の目から見れば)番組上で特にこれといった手柄や実績を残していないはながテレビタレントとして重用されていたという事実は、「時代の要請によって呼ばれた」からのように思えるのだ。
 世の中は常に、その時代においてふさわしい人物が活躍するようになっている。
 私にとって、時代がもたらした「空虚」というキーワードをこのとき一番体現していたのが、はなというタレントなのである。

■「はな」を作る舟越

 舟越桂の話に戻る。
 番組で、舟越には実在のモデルを人物に制作した作品が数多くあると紹介されていた。
 基本的には、街でふと見かけたりすれ違ったりする、現代を生きる無名の人々の姿が主なモチーフであるとのことだった。
 今回の密着において創作した新作について舟越は「特定のモデルはいない」と語っていた。
 ただ、おそろしきは芸術家の鋭敏なアンテナである。
 なんとも奇妙なことに、今回舟越が仕上げた人物彫刻はベリーショートであり、どことなく「はな」に面影が似ているのであった。
 もちろん顔の造形がそっくりそのまま「はな」というわけではない。ただ、「はな」という人物を舟越桂のフィルターを通して味付けしたらこういう顔になるんだろうな、という顔立ちであった。
 舟越はインタビューにおいて「この作品は僕にとってはすごく大事な作品になるような予感はしている」とも語っていた。
 それもその筈だ。舟越はきっと己の持つ全ての想像力を総動員して「この現代を象徴する存在」を作ろうとしたのであろう。それをまだゼロ年代の前半(2003年)であるにもかかわらず(そして舟越自身も明確なモデルを想定していないのにだ)、この10年間を総括するのは「はな」的な顔立ちだと読み切って制作したのは、芸術家の感性・直感の鋭さを物語っている。
 ゼロ年代を象徴するものを作ろうとしたときに、はなに自ずと作品の顔が似てくるのは、当然の帰結なのだ。

■空虚な異形

 もう一つ付け加えると、今回舟越桂が制作したのは「異形」なのであった。
 天使の羽のように、背中から直で両の手首がにょっきり生えている。
 普通の人間の造形ならあり得ない。まさしく「異形」である。
 異形は、本来この世には存在しないものである。
 舟越は「無いものがそこにある」という状態を生み出した。
 「空虚」そのものを作った。
 その異形の「空虚」な胴体のトップを飾る、文字通り作品の「顔」としてはなの顔が据えられたのは、舟越がゼロ年代から読み取った空気の総決算なのである。
 そしてその「自分」が作られていく過程を、スタジオにおいて置物のはなが強制的に見させられているという構図は、非常にグロテスクであった。そのシチュエーション自体が、一種のインスタレーション作品となっていた。
 舟越としてはアトリエにおいて自身の作品が完成したと思ったことだろうが、それは違う。創作の様子を「自分自身とは気付かず」はなが見届けたことによって、ようやく作品は完成したのである。
 そしてそのことをスタジオではなは当然指摘しない。できるわけがない。
 番組において波風を立てないのが、当時のはなの最大の特徴かつ美徳であり、時代から要請された役割だったからである。

■その後のはな

 無味乾燥のゼロ年代を経て、タレント・はなは現在も活躍している。
 一言で言うと「“ていねいな暮らし”というやつの擬人化」みたいな存在になっていた。
 ゼロ年代も終わりを迎えたことで「空虚」の王座からはお役御免となったようだ。
 彼女にとっての「空虚」はその時代だけの限定の役割であり、そこから解放されたはなは自由に独自の道を切り開き、はなフォロワーにこれからも癒しと喜びを与えていくことだろう。

 しかし後ろを振り返ると、いつだってそこに佇んでいるのだ。
 虚ろなまなざしをこちらに向ける、舟越が呼び寄せたあの時代の「はな」が。



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