日本傾国中(4)
祖国が傾いている。
日本が滅びようとしている・・・と言っても、過言ではないと思う。
その原因は何で、何が必要なのか。
思うところを語っていきたいと思う。
個人主義の歴史
前回は、性欲の制御が、社会の秩序を維持するために生まれたと語らせてもらった。
この観点で行けば、百年前の我が国が、無闇に関係を持つ事が良くないとしていた理由は、社会を維持する為であり、家族の財産を守る為であったと言えるだろう。
また、性欲の制御によって、社会に信頼が生まれたとも語らせてもらった。
すなわち、日本社会が持つ信頼性は、先祖代々、綿々と受け継がれてきた価値観によって保証されているが、その保証に必要なモノは、家族や一族、所属する団体が存在する事にあったと言えるだろう。
このような財産や信頼を守る為に、一度でも、関係性を持ったなら、最後まで大事にしなければならないという価値観も生まれたのだろう。
では、現在の我が国は、どうだろう。
無闇に関係を持つ事は良くないと言う。
しかし、相手を大切にしなければならないと言われているだろうか。
結論から言えば、そうではなくなっているように思う。
それよりも、自身の感情が優先されているように思う。
所属する団体や、一族、家族よりも先に、個人が来ているように思う。
いわゆる、個人主義だ。
現代の我が国には、個人主義が蔓延している。
だからこそ、松本人志は、個人の欲望を優先し、女性たちに酷い事が出来たのではないか。
百年前には存在していなかった価値観。
個人主義が、今回の松本人志事件に大きく関与しているのではないか。
では、個人主義は、どのように生まれ、どのように広がっていったのだろう。
その点を確認してみたい。
八十年以上前の我が国には、個人主義というモノが見当たらなかった。
国家総動員と言っていたのだから、当然と言えば、当然の話だ。
戦後、アメリカ合衆国の影響で、個人の自由なるモノが芽生え始めた。
このとき、我が国の人々は勘違いしてしまったのだが、戦前も、個人の自由は有った。
自由民権運動も有ったし、大正デモクラシーも有った。
しかし、十五年にも及ぶ戦争の中で、それらは忘れられていたように思う。
少なくとも、戦間期に生まれ育った人々には、全く覚えが無いのだから、仕方のない事だったとも言える。
そして、欧米の価値観が、何の精査もおこなわれずに導入されていった。
女性の自由も謳われた。
女性も働く時代、女性の社会進出と言われたりもした。
全くもって、最低な発言なのに、素晴らしいと評価された。
戦前の女性も働いていた。
第一次産業の農業は、一万年前から従事しているし、第二次産業の工業についても、明治維新以降、女工という名で、多くの女性が働いていた。
第三次産業のホワイトカラーと呼ばれる職業や、行政などの分野だけ、従事者が少なかったのだ。
にも関わらず、女性も働く時代などと銘打っていたのだ。
どう考えても、第一次産業と第二次産業を見下す発言なのだが、誰も問題にする人はいなかった。
そして、事態は、おかしな方向へと進む事になる。
さて、おかしな方向に進む前に、そのころの男女が、どのような価値観を持っていたのかを語っておきたい。
戦後に発生した、個人の自由という観点から、恋愛というモノにも、自由が取り入れられるようになっていた。
戦前も、自由に恋愛をしていたのだが、十五年戦争による弊害で、その事実を知らない若人たちは、欧米的というか、アメリカ的なモノが、自由な恋愛だと勘違いしてしまった。
すなわち、人前で手をつないだり、抱き合ったり、接吻したり・・・。
アメリカ人からすれば、そんなモノは自由ではなく、ただ、そういう文化だったという話なのだが・・・。
とにもかくにも、映画を通じて、多くの若者たちが、感化されていった。
GHQによる、ウォーギルト・インフォメーション・プログラムの成果もあっただろう。
また、アメリカ映画や雑誌なども、若者を刺激した。
全く精査される事なく、アメリカ的なモノが自由であると思い込んでしまったのだ。
映画も雑誌も、アメリカの奇麗なところだけを切り取っていたのだが・・・。
さて、そんな若者たちだったが、価値観は、個人主義ではなかった。
愛する人を大事にするという考えだ。
個人の欲望よりも、相手の心を優先する考え方だ。
純潔が唱えられた。
童貞を、処女を、心から慕う相手に捧げる。
惚れた相手は、初めての人であり、最後の人であるという考え方だ。
これは、別に悪い事ではないと、私も思う。
しかし、しばらくすると、海の向こうで、おかしな事が発生する。
欧米の女性たちを中心とする、1960年代のフリーセックス運動だ。
男が愛人を作っているのだから、女も愛人を作っていいはずだ!
ちょっと言っている意味が分からない運動が勃発したのだ。
女性の社会進出は、性欲の制御を外す方向へと進み始める。
そして、帝国主義時代から続く、欧州情勢(欧州の価値観)が世界の標準であるという観念は健在だったので、その運動は、各地域にも波及していく。
我が国も、例外ではなかった。
我が国が、欧州で始まったモノを取り入れる必要など全く無いのだが、戦後の精査無き、無条件降伏主義は、これが最先端で、素晴らしいモノであると受け止めてしまった。
そんな中、1963年(昭和38)に、松本人志は産まれる。
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