戦争について語ろう(1)
ブラックサムライ
戦争について語ってみます。
さて、戦争といったら、鉄砲や軍艦、戦車に、戦闘機を思い浮かべる方もいらっしゃると思います。
しかし、最近は、戦争も進化していまして、軍服を着た軍人や、徴兵された兵士が主体ではなくなっています。
どういう事かと言うと、戦争が、別の方面に広がっているのです。
第二次世界大戦が終わったあと、世界は、冷戦の時代となりましたが、このとき重視されたのは、情報でした。
いわゆる、情報戦が繰り広げられました。
スパイという存在が、脚光を浴び、映像作品や小説で活躍したのも、そんな時代背景によるものでした。
ところが、ネットが普及し始めると、様相が変わってきます。
政府やマスコミによる、情報統制が難しくなり、更なる次元へと発展する必要性に迫られていきました。
そして、現在は、文化戦の時代だと考えています。
中国では、超限戦と呼ぶそうです。
情報を巧みに用い、メディア戦、金融戦、法律戦、心理戦など、あらゆる手段で、自国に有利な状況を生み出そうとするものです。
孫子に書かれた、戦う前に、勝っている状況にするというものです。
ここに、文化も含まれてきます。
例えば、アニメや漫画。
好きな作家がいる、連載のつづきが気になる、だから、日本にミサイル攻撃出来ない・・・という状況を生み出す。
これもまた、一種の戦争(防衛の手段)であると、言える時代になったのです。
これは、あくまで、例えの一つです。
ひとつ、ひとつは、小さくて、しょうもない内容かもしれません。
しかし、それらも、安全保障につながる武器として、通用する時代になってきたと思うのです。
そう考えると、もはや、戦争の主体は、国民一人一人になると言っても過言ではありません。
平凡な日常に、戦争が潜んでいるとも言えます。
さて、文化という側面から見た時、我が国は、どこにも負けない文化力があります。
たしか、トインビーさんという歴史学者だったと思いますが、世界は、大まかな文化圏に分ける事が出来ると主張されました。
ところが、唯一、どこの文化圏にも属さず、たった一国で、文化圏を設定しなければならない国が存在しました。
言うまでもなく、我が国です。
諸外国は考えます。
強力な文化力を持つ日本。
これを、どうすべきか・・・。
そこで閃いたのが、我が国の文化力を落とすという作戦でした。
トーマス・ロックリーというイギリス人が、黒人の弥助という侍が存在し、大活躍したという、妄言たっぷりの本を出版しました。
これも、文化戦の一つだと受け止めています。
実際、海外には、黒人侍を信じる人が、一定数存在しています。
挙げ句の果てには「黒人が、侍の起源だ」と語る人も出る始末。
このようなデマを広げ、日本の文化力を削ごうとしているのでしょう。
日本独自でなくなれば、相対的に価値が下がるからです。
かつて、韓国が「侍の起源は、朝鮮半島だ」と主張したのも、同じ事が言えると思います。
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