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第一話 狭野尊の決断

 今は昔の物語。

 地上世界を治めるため、高天原(たかまのはら)から天孫が降り立った。

 神の名は、天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎ・のみこと。以下、ニニギ尊)。

 降り立った地は、吾田(あた)の長屋の笠狭崎(かささのみさき)という。今の宮崎県の高千穂峰といわれている。

 ニニギ尊は、この地を治めることから始めた。

 そしてそれは、

 子の彦火日出見尊(ひこほほでみ・のみこと。山幸彦とも。)、

 孫の彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず・のみこと)、

 曾孫の狭野尊(さの・のみこと)と代々受け継がれていった。

 そして、狭野尊が治める時代。すなわち紀元前667年。高千穂の地を震撼させる出来事が起きようとしていた・・・。


 狭野(さの)は、小高い丘から、黄金色に輝く稲田を眺めていた。一面に広がる田園風景は、この地の豊かさを体現している。高千穂が豊かになったのは、水稲耕作を開始してからである。このやり方であれば、安定した収穫を得ることが出来るのである。今では、高千穂を中心とした近隣地域にも浸透し、高千穂一帯は、八洲国(やしまのくに)の中でも、裕福な地域となっていた。

「今年も豊作じゃ・・・。」

 一人ごち、満足そうに微笑む狭野の元に、一人の翁(おきな)がやってきた。白く染まった長い髭を垂らし、右手を杖で支えている。丘まで登ってきた割には、息は全く乱れていない。

 狭野は、翁に真剣な眼差しを向けた。

「ジイか・・・。支度は整ったというわけじゃな?」

「御意。神託が降りましたぞ。」

「降ろさせたといった方がよいのではないか?」

「お戯れを・・・。人々を得心せしめるには、これしかないと仰ったのは、殿ご自身ですぞ。」

「確かに、そう申したが・・・。やはり、うしろめたい想いが有る。」

「大業を成すには、時に方便も用いねば・・・。」

 語りかけようとしていた翁を手で制し、狭野は再び田園を見つめた。

「のう、ジイ・・・。この地は豊かな国ぞ。父上の遺言とはいえ、代々の家訓とはいえ、正直に申さば、わしは・・・この高千穂を離れとうないのじゃ。」

 狭野は遠くを見据え、目を細めた。遥か彼方には、風に揺れる稲穂のさざ波が、実りの秋を美しく描いていた。


 高千穂は大騒ぎとなった。四代に渡り、高千穂を治めてきた領主が、突然、この地を去るというのである。騒がないわけがない。何事やあらんと、人々は口にし合った。

 しかし、それもすぐに収まりを見せた。神託が降りたとなれば、誰も反論の余地がない。神の意志であると公言された以上、それに従わざるを得ないのである。

 そもそもの発端は、初代、ニニギ尊の遺言状から始まる。“我が子孫に申し伝える。時あらば、八洲をまとめ、実り豊かな国を創建せよ。”という、家訓に近いものが存在していたのである。また、先代も、それを成し遂げられなかった無念を口にし、他界したのであった。

 今、そのときが訪れている。

 なぜ、今なのか・・・。それはひとえに、ニニギ尊の理想とは、程遠い現実が広がっていたからであった。

 各地で争いが起こり、食物や水の奪い合いが横行していた。人々は砦を築き、軍備を固め、血で血を洗う戦を繰り広げていたのである。

 狭野は、これを憂いた。心から国を案じた。どうすれば争いを失くせるのか、どうすれば豊かな国を作れるのか・・・と。

 そんな時、南方より、異なる言語を話す者たちがやって来た。流れ着いたといった方が正しいかもしれない。彼らは、水稲耕作という新しい技術を持っていた。高千穂が、これを受け入れたのは言うまでもない。おかげで、高千穂は豊かな国となった。

 更に灌漑技術も学んだ。水稲耕作には必要なものである。この技術を生かし、他の作物も倍増させ、飲み水の確保も容易となり、村の生活そのものが様変わりした。

 この実績を目の当たりにし、狭野はついに決断したのである。これらの技術を伝播すれば、食物や水を奪い合う必要はない。争いは必然的に無くなると・・・。

 ここで気がかりとなるのは、反対者をどう説得するか・・・である。当然、反対する者が出てくると予測出来た。豊かな高千穂を去り、見えざる脅威にさらされながら、行ったことも見たこともない土地に行くのである。故郷から離れがたい心境になったとして、誰がそれを責められようか。

 そのとき、狭野に助言する者があった。先述の翁、塩土老翁(しおつちのおじ)である。彼は言った。

「八洲の中つ国は、八洲のほぼ真ん中に当たる地、国をまとめるには、絶好の土地柄と存じまする。されど、今の中つ国を治める方は、各地の豪族をまとめ上げることもできず、争いが続いているとのこと。この地を押さえることを命題とし、各地に水稲耕作を伝播しては如何か?」

 当てのない旅路では、人々も不安を募らせるであろうが、目的地がはっきりしていれば、その不安も少しは解消されるであろう、との塩土老翁の提案であった。

 狭野はすぐさま、兄たちや家来を呼び寄せ、会議をおこなった。兄たちは賛同してくれた。いつかこの日が来ると、皆が心の内に秘めていたことは間違いない。誰一人として、反対意見を述べる者はいなかった。

 だが、家来たちは一枚岩とはいかなかった。予想通り、反対意見を述べる者たちが出てきたのである。彼らは口々に叫んだ。高千穂の地に、しがみつきたいわけではない。この地の人々を見捨てるような真似をしたくないと言うのである。

 それも道理だと狭野は思った。

 結果として、高千穂に残り、この地域を治めていく者たちと、狭野と共に旅立つ者たちとに選別することで決着を見た。一族の一方が残り、一方が旅立つというやり方で、血縁が途切れないようにするなど、試行錯誤を重ねていったのである。民たちには、神託という形で公表すること定めた。

 次に、狭野自身の家族の問題があった。狭野には妃がいる。正妃の吾平津媛(あひらつひめ)と、側室の興世姫(おきよひめ)である。また、岐須美美(きすみみ)という、立派に育った娘もいた。

 険しい旅となるのは必然である。女たちを連れていくことは難しい。では、彼女たちを誰に預けたら良いか・・・。狭野は悩んだ。悩んだ末に、狭野は、吾平津媛の兄、吾田小橋(あたの・こばし)に託すことにした。

 小橋は、今回の計画に賛同し、意気込んでいた。様々な土地や人々を見たいと語っていた。それを知っていただけに、苦渋の判断であった。だが、大事な家族を預けるのである。信頼の置ける者でなければ務まらない。義兄である小橋以外に、適任者と思われる人物は見当たらなかったのである。

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