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しつけと発達障害 ~ しつけがうまくいかない子の理解のために ~

論文 平成二十五年二月一日  菊池嘉雄79歳


    はじめに
 子どものしつけがうまくいくかいかないかの原因には「親側の問題」と「子ども側の問題」の両方あるわけだが、親側の問題だけが説かれる事が多く、提示されるハウツーを実践すればどの子も等しくしつけが成功するかのような印象のものが多かった。子どもは皆同じではなく、兄弟でさえひとりひとり違うのだから、どの子も一律にしつけが出来るものだと思っていれば、「ハウツーどおりやってみたけどうまくいかない」と悩むことにもなる。なかでも発達障害の子、または発達障害の要素をいくらか持っている子は、しつけが上手な親でも手こずってしまうだろう。そんな場合には、やはり子ども側の問題も考える必要がある。本稿はそのような考えに立って、子ども側の問題、特に発達障害に絞って概説する。発達障害の視点で見るとしつけのハウツーは虚しいものに思えることもある。教育においてもそのことは同じである。
 発達障害というこの専門的な言葉が、このところ一般人の間でも使われるようになってきたが、その理由は国が発達障害者支援法を平成十七年に発布し、各自治体が使い始めたことと、文科省が特殊教育を特別支援教育に改め、その中で発達障害を取り上げたことなどによる。
 人を教え育てるには個人差や特性に応じなければならないことは従来から言われてきたことであるが、発達障害を理解してみると、従来の理解はあっさりした、うわべだけの理解であったように思われる。
 発達障害者支援法の対象になるような発達障害者、又は特別支援教育対象になるような発達障害児は少数ではあるが、発達障害の中身を理解すると、少数者にとどまる問題ではなく、広く普通人の中にも潜在している問題であることが分かり、今までの人間観が一変する。
 発達障害と障害をつける場合は社会生活に困難や支障を来す場合に発達障害と言っており、それほどでない場合は軽度発達障害などと軽度をつけたりしているようだが、本稿では更に平たく発達障害モドキとか発達障害っぽいと使うことにする。そして、ここで論ずるのは少数の障害者ではなく、広く存在する普通の範囲にいる発達障害モドキの人達のことである。

    発達障害とは
 発達障害とは脳の発達に障害があることを指し、学術上は下表のように分類されている。

 文科省はこの中の自閉性障害と学習障害と注意欠陥・多動性障害の三つを取り上げ学校現場が取り組むこととしたのだが、ここでもそれにならって解説や論述をする。ただし文科省の解説ではなく私独自の解説である。

 高機能自閉症について
 高機能とは言葉が話せることを指し、言語機能が低い場合は低機能自閉症という。高機能自閉症は広汎性発達障害とか自閉症スペクトラムとかアスペルガー障害などと使われることもあり、障害という言い方を避けてアスペルガー症候群などと使われることもある。それらの厳密な区別は専門家でも難しいとされているし、本稿は専門性をめざすものでもないので、どれもひとくくりに扱うことにする。 
 自閉症の三つ組
 自閉症の特徴には三つ組と称されるものがある。
 ① 社会性の障害
 ② コミュニケーションの障害
 ③ こだわりと想像力の障害
 この説明ではなんのことか分かりにくいので、もっと分かりやすく、そして普通の人にも自閉症モドキのようなものがありそうに思われるようなことを次に示す。

 自閉症スペクトラムの症状
  
ここの項は『高機能自閉症・アスペルガー症候群「その子らしさ」を生かす子育て』吉田友子著中央法規刊 より引用。
  スペクトラムとは連続的に拡散している状態のことで、前記の自閉症よりも広がりを持つような自閉症のことを自閉症スペクトラムと言っており、その症状の具体例は次のようになる。
一    社会性の障害、または人とのかかわり方の 質的障害
(1) 人へのかかわり方が一方的
*喋りたいときに喋りたいことだけ喋ってどこかへ行ってしまう。
*ママゴト遊びで一方的な役割しかできない。
*おとなしい子の行動を一方的に仕切る。
*泣いている子をみたらどんな場合でも「よしよし」と頭をなでる。
(2) 同年齢の子どもと相互的な友達関係がもてない
*同級生との遊びは物(おもちゃ、遊具、ゲームなど)を共有する関係でしかない。
(3) 場にふさわしい行動がとれない
*お通夜や葬式会場での高笑い。
*電車やスーパーなどで見知らぬ人に関係ない話をする。
(4) 年齢相応の常識や暗黙の了解が分からない
*他人の家に入り込んだり、店のレジに入り込んだりする。
*人と話すときの立ち位置が分からない。家族と他人の違い、先生と友達の違いが分からない。
*小学生になっても人前での全裸を恥ずかしがらない。
*親族の遺体を跨いだりペットの死体をゴミ箱に捨てたりなど生き物と物体区別がない。         
(5) 自分の感情に気づけないまたは概念化できない
*困っているのにニヤニヤしていたり、また、困っている自分の気持ちに気づかない。
(6) 感情を共有することの困難と周囲が共有しにくい独特の感情状態
*道路標識を見てとても喜んでいるが周囲からは奇異に見える。
*どうしてそんなにひげの生えている人が怖いのか周囲は理解できない。
*積み上げたブロックが崩れたぐらいでの大泣き。
*何が面白いのか一人でのニヤニヤ笑い。
(7) 相手の感情に気づけない
*泣いている子の顔を興味深そうにのぞき込みムッとされる。
*大好きなお母さんが階段から落ちてうずくまっているのに、その様子がおかしいと高笑い。
二 コミュニケーションの質的障害
(1)  話し言葉の発信の問題
①独り言
 覚えた言葉を人に対して使わずに独り言に使う。独り言の中身はジャ ーゴンやエコラリアであったり一人芝居であったりする。
②ジャーゴン(不明語)
 日本語にはないどこの国にもない音の連なりをあたかも意味のある言葉のように話す。
③エコラリア(反響語)
 オウム返し(相手が言った言葉をくりかえすこと)。その場で繰り返す場合は即時エコラリア、以前言われたことを繰り返す場合は遅延エコラリアという。
④立場によって言葉を変えることの困難
 自分が家に帰ったのに「おかえり」とあいさつ。
⑤ペダントリー(ひけらかし)
 小学校低学年なのに「いわゆる」「環境破壊」「人間として」などと大た言葉を使う。
 この前 じゃなく三月二十八日です」「問題をやるじゃなく問題を解 くです」とやたらに厳密。
⑥過度に写実的な擬音語
「犬はワンワンと鳴く」とは言わず「犬は(実際の鳴き真似)と鳴く」とやる。
⑦会話の相互性の乏しさ
 小学校三~四年生になっても一方的にしか会話ができない。

(2)  話し言葉の受信の問題
①話しているほどには理解していない
 使っている言葉の意味が分かっていなかったり違っていたりすること多い。言葉の数は沢山知っているが話されるスピードに合わせて理解するこ とが苦手。
 ②文脈での補いの乏しさ
「何幼稚園に行っているの?」「こばと幼稚園」「何組さん?」「ひまわ り組」「先生の名前は?」「山川先生」と面接している先生の名前を答える。面接前に面接の先生の名前を聞いていたから。
電話で「お母さんいる?」「いるよ」と言ったきり代わらないで次に言われることを待っている。
 お父さんも子どもになってお年玉もらいたいよ」「今からこどもに戻れないんだよお父さん」。
 ③慣用表現が分からない
 「食べちゃいたいくらいかわいい」と言われて「食べないでください」と泣いて頼む。
 「まっすぐ帰りなさい」と言われて「僕の家は曲がらないと帰れません」 と応える。
   「さっきいったことは水に流して・・・」と聞いて不思議そうに水道の流しをのぞき込む。

三 イマジネーション(想像力)の障害
 (1)  決まっていないことにわくわくする楽しみを持ちにくい。
    おばあちゃんから送られてきたプレゼント。中身を見るまでのわくわくする楽しみは持てず、かえってイライラしたり、自分で勝手に思いこんだ中身と違ったりすると怒ったりする。
 (2) 考えや気持ちをリセットするのが不得手。
    一度思いこんでしまうと考えを修正するのが苦手。一度気持ちが波立つと リセットするのが苦手。勝手に思いこみやすいのに、頭のリセットが効きにくい。
  (3)  いつもどおり・予測どおりだと安心する。
     お着替えなど日常の些細なことでも突然の変更には大パニックを起こした りする。
 (4) 不測の事態で混乱
     思いがけない不測の事態では自閉症スペクトラムの子は例外なく混乱し、 柔軟に考えや行動を切りかえて臨機応変に対応することができない。
 (5) 状況に応じた結果を予測するのが苦手。
     投げたらなくなる、落としたら割れるといった因果関係が予測できないこ とがある。経験してそのことは覚えても他の同様のことに応用できない。
    他人の頭の中に起こる意図や心情を推測することが苦手。だから無神経な失礼なことも言う。
 (6) 新しいことに手を出したがらない。
     できそうなことでも他の子がしているのを見ているだけでやろうとしない。
    食べたことがないものは食べようとしない。
 (7)  応用が利かない・原則や原理を抽出できない。
   「残さず食べる」と教えられるとどんな場合でもそうしなければならないと思ったりする。
 (8)  自分なりの「秩序」を守りたい
     物の置き場所や置き方、寝るまでの手順、ドアの開閉、縁石の上の歩き方など決めていて変更を嫌う。また、人にもそれを守るように要求したりする。
 (9)  興味が偏る
     車、電車、飛行機、信号、標識、昆虫、恐竜、回る物、光る物、青い物、文字、数字、コマーシャル、特定の絵本やビデオ、警察、軍隊、人気の洗剤、時刻表、地図、歴史、など特定の物や事柄に偏った強い興味を示す。
    興味は移り変わったりもするが、いつも、狭い興味にとどまり興味が広がっいかない。
(10)  覚えたり集めたり並べたりする遊びが好き・得意
    ブロックなどを一列に並べる遊びを飽きずに繰り返す。
     世界中の国旗を覚えたり、ミニカー収集に熱をあげたりする。
 (11) 独特のごっこ遊び
     相手との相互交流がなく一方的なごっこ遊び。
    相手に行動を厳密に指定して相手を「小道具としての友達」としてしか必要としない。
    ごっこ遊びなのに役割交代などなく延々と一人芝居をしている。
    高機能自閉症に不随する異常な傾向
一 感覚の異常
○視覚 見ると反応しないではいられない。ナンバープレートを見ると読んでしまう。教室の掲示物を教師の話を聞かないで見ている。
○聴覚 過敏性が強い。水洗トイレの水音が怖い。人の怒鳴り声ー内容より怒鳴り声そのものに反応。穏やかに接する必要あり。
○味覚 過敏で偏りがち。
○触覚 痛覚が過敏の傾向。大学生になっても予防注射の際泣く。
二 運動の異常
○ぎこちなさ ボール遊びがへた。文字が書けない。箸が使えない。工作が出来ない。
○カタトニア 動作の途中で極端にのろくなったり止まってしまったりする。固まる。
○ロッキング 体を前後にゆする。
○ジャンピング その場で飛び上がる。
○フラッピング 手を鳥の羽のようにひらひらさせる。                                            
○チック 運動チック(瞬き、肩をすくめる、首振り)。 
○音声チック(咳払い、舌打ち、奇声、汚い言葉)。
 
 注意欠陥/多動性障害 (ADHD)
 注意欠陥/多動性障害は語源のAttention Deficit Hyperactivity Disorderの頭文字をとってADHDと使われることも多い。ADHDには3つの特徴がある。不注意、多動性、衝動性。
①不注意とは
 他の刺激にすぐ気をとられ、注意を持続させることが難しい。
 毎日の活動にもかかわらず、やらなければならないことがわからない。
 忘れ物や失くし物をしやすい。
②多動性とは
 離席が多い。
 座っていても常に手足が動いている。
 おしゃべりが抑えられない。
③衝動性
 人の話を聞き終わらないうちに喋りだす。
 順番が待てない。
 人の会話に割り込んで邪魔をする。

 ADHD診断基準 
    前記よりもっと詳しい症状がアメリカ精神医学会の診断手引き書にあるので次に示す。 「DSM-Ⅳ 精神疾患の分類と診断の手引き」高橋三郎訳(医学書院)より引用。
 不注意
a 学業、仕事、またはその他の活動において、しばしば綿密に注意することが出来ない、不注意な過ちを犯す。
b 課題または遊びの活動で注意を持続することがしばしば困難である。
c 直接話しかけられた時にしばしば聞いていないように見える。
d しばしば指示に従えず、学業、用事、または職場での義務をやり遂げることが出来ない。( 反抗的な行動または指示を理解できないためではなく)。
e課題や活動を順序立てることがしばしば困難である。
f 学業や宿題のような、精神的努力の持続を要する課題に従事することをしばしば避ける、嫌う、またはいやいや行う。
g 例えばおもちゃ、学校の宿題、鉛筆、本、道具などの課題や活動に必要なものをしばしばなくす。
h しばしば外からの刺激によって容易に注意をそらされる。
i しばしば毎日の活動を忘れてしまう。
 多動性
a しばしば手足をそわそわと動かし、またはいすの上でもじもじする。
b しばしば教室や、その他、座っていることを要求される状況で席を離れる。
c しばしば、不適切な状況で、余計に走り回ったり高いところへ上ったりす。(青年または成人では落ち着かない感じの自覚のみに限られるかも知れない)。
d しばしば静かに遊んだり余暇活動につくことができない。
e しばしばじっとしていない、またはまるでエンジンで動かされるように行動する。
f しばしばしゃべりすぎる。
 衝動性
a しばしば質問が終わる前に出し抜けに答えてしまう。
b しばしば順番を待つことが困難である。
c しばしば他人を妨害し、邪魔する。(たとえば、会話やゲームに干渉する)。
 ADHDについての補足説明
 ADHDはAD/HDと書かれていることがあるのは、注意欠陥(AD)と多動性障害(HD) は別物だからだ。注意欠陥とは注意力がそもそも弱いということ以外に、別なことに過剰に注意が向けられているから、必要なことから注意がそれてしまうことがあるようにも思われる。
 注意欠陥と多動性のいずれが優位になっているかで次の三つのタイプがある。
 不注意優位型
 多動性・衝動性優位型
 混合型

 学習障害 (LD)
 学習障害はLearningDisabilitiesの頭文字をとってLDと使われることも多い。LDは知能的にも耳目等感覚器官も問題はないのに、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示すものを言い、低知能による学業不振や怠惰による学業不振とは区別される。
 学習障害の具体例
 読字障害 

○たどたどしい音読、奇妙なリズムの音読、行を飛ばして読む、ひらがなの読、漢字が読めない、文字の混同(bとd、漢字の識別)。
 書字表出障害
○話し言葉は大丈夫なのに文字が書けない。
○字形が歪んでいる、書くたびに形や大きさが変わる、過剰なスペルミス、過剰な文法ミス、過剰な句読点ミス、文脈や段落が不整合、識字障害と書 字障害が重複していることもある。
 算数障害
○決まった数や桁以上数えられない、足し算引き算ができない、九九は言えるのにかけ算が出来ない。
 発達性協調運動障害
○協調運動とは諸種の運動をひとつにまとめる運動でそれに問題がある。
○粗大運動(全身運動)では、姿勢良く着席できない、集団遊技でみんなと合 わない、一輪車や自転車、ボール投げ、まりつき、縄跳び、跳び箱ができ ないなど。
○微細運動(手先の動き)では、折り紙、ボタンかけ、箸使いなどができな い。はさみ、定規、楽器などがうまく使えない。
○目、手足などの協調に問題があるので字を書いたりすることも苦手。
○体育、図工、音楽が極端に苦手な子はこの障害の可能性がある。

 発達障害モドキの普通人
 ここでの普通人とは発達障害を内包しながらも普通に社会生活をしている人という意味での普通人である。前述したように社会生活が一応出来ていれば発達障害者とは言わないのでモドキとしたのである。誰でも知っている人を例示しよう。
 タラちゃんはテレビアニメさざえさんに出てくる三歳児で実在ではないが、説明に使えるキャラクターだ。タラちゃんの言葉遣いはデスマス調でやたら丁寧だが年齢にふさわしくない。それは自閉症スペクトラムのペダントリーにあたるし、誰かの言葉の後に同じ言葉を言うことがよくあるが、あれは幼児エコラリアだろう。
 そしてカツオだが、あの落ち着きのなさと物忘れと無神経な物言いで、しょっちゅう先生と父親の波平から叱られているあたりはADHDっぽいし、アスペルガーっぽい感じだ。つまり混在型だ。
 映画「男はつらいよ」の寅さんも実在の人ではないが例示に便利だ。あの落ち着きのなさと衝動性、そそっかしくて失敗しやすいところはADHDっぽい。また場の空気を読み間違えたり、相手の心を考えずに、いや寅さんは考えたつもりなのだが、言うことが相手に伝わらなくて、いつもすれちがってしまうところは、アスペルガーっぼい感じがする。なおここではアスペルガーも自閉症スペクトラムも同じものとしている。
 黒柳徹子は小学生の頃、授業中に窓の外に気が取られやすいことから「窓際のトットちゃん」と言われたらしい。授業に集中できないことから公立学校からトモエ学園という私立学校に転校せざるを得なくなったようだ。成人した今も、お店に行き、目についたバックがあると近寄りバックを手にし「これいいわね!これ下さい」と金を払って、持っていったバックはそこへ置いたまま店を出てしまう、と付き人がテレビで語っていた。新しいバックだけに気をとられ、持って行ったバックは意識から消えてしまい、次の行動のほうにだけ注意が移ってしまっているあたりはいかにもADHDっぽい。
 アメリカの人気俳優トム・クルーズは学習障害の難読症を抱えており、子どもの頃は特殊学級生だった。俳優をやるに当たって台本は誰かに読んで貰って台詞を覚えるのだそうだ。自ら発達障害者が描かれた映画「レインマン」に出演したり、学習障害児への支援活動にも取り組んでいる。2003年8月には、映画「ラストサムライ」の宣伝のために来日した際、首相官邸の小泉純一郎首相を表敬訪問し、日本の若者たちにと「学び方がわかる本」という学習障害を克服する本を首相に手渡したりしている。
 アメリカの発明王エジソンは学校からもてあまされ学校には通わないでしまったほどひどかった。それは今ではADHDだったとされている。それで日本にも「えじそんくらぶ」というADHDのNPO法人があり、啓発活動や支援活動を活発に行っている。 
 
 しつけと発達障害
 カツオや寅さんをテレビで見ている分には面白いが、実際に家族だったら大変だ。
 子どもを育てる過程において親は意識するしないに拘わらずしつけをするわけだが、子どもが発達障害モドキだったら大変だ。モドキでない障害だったら二歳から三歳ぐらいではっきり症状が表れるので障害児であると気がつき、しつけは無理だと気がつくが、モドキの場合には普通に見えるので一生懸命しつけをしようとする。が、しつけがうまくいかないので親は苦労したり悩んだり、自分を責めたりするから大変なのだ。その辺についてしつけの方法ごとに明らかにしてみよう。 
一 指示・命令
「ああしなさい、こうしなさい、あれはだめ、これはだめ」というやり方はどの親もやる初歩的なしつけの方法で、世間一般にはこのレベルで子どもがしつけられていると見ていいだろう。だが、ADHDっぽい子にはこれが入りにくい。指示無視と命令無視の行動をとるので親は頭に来たりする。
 「ああしなさい、こうしなさい」は言葉である。自閉症っぽい子は言葉の発達が遅れていたり偏っていたりするので、言葉でしつけることがそもそも難しいのだ。言葉でやるならよほど工夫しないと入らない。しかし、普通の親には何の知識もないから、指示や命令を繰り返し、ちっともそのように動かない子にイライラしたり、叩いたり、悩んだりしてしまう。
二 言い聞かせ(指示型と誘導型)
 指示や命令でなく言い聞かせてしつけようとするやり方で前述よりは柔らかい。誘導型は「何何しましょうね」「何何してくれるかな」と子どもを誘う、または依頼するやり方で指示命令型よりは高度である。が言葉に遅れがある子は心の遅れもあるので意味が分からなかったり親の誘う心や依頼する心、それはつまり子どもを尊重してみせる親の心なのだが、それが読み取れないので、やはり効果がなく、子どもはちっとも動いてくれない結果となりやすい。
三 模範を示す
 親が実際にやってみせる、つまり模範とかお手本を見せるやり方である。まだ言葉が使えない幼児の頃には親のやることを幼児が模倣することで行動の仕方を覚えるから有効かつ重要な方法である。が自閉症っぽい子は他者に関心がなく親を見ていないから模倣しないのでそのようにはならない。
  小学生高学年から思春期頃の子育てにおいては「親の背中を見せることが大切」などと言われることもある。あれこれ口で言うよりも親自身の生き方を見せることが大事で、子どもは親の背中を見て生き方を身につけるものだという意味である。「子どもは親の言うようにはならないが親がしたようになるものだ」も同じ意味だが、発達障害モドキ、特に自閉症っぽい子には親の背中は見えていない。自己認識も他者認識も弱いのだから、親の立派な生き方を真似ることができない。だから「どうして親はあんなに立派なのに子どもはおかしいのでしょう?」などと言われる親子も出てくることになる。
四 叱責と賞罰
  子どもを叱ることは指示命令と同じくらい初歩的な手段でごく普通に多く行われているポピュラーな方法だが、それだけに「叱らない子育て」とか「よその子も叱ろう」など相反する主張もなされている。発達障害モドキの子は衝動にかられての言葉や行動で、それには良いか悪いかの判断が働いていないくて、叱られるようなことばかりしがちである。分からせようと叱っても、「これはいけないことなのだな」と理解する能力が子どもにないので、何度叱っても同じことが繰り返される。昔は「お前は鶏と同じだ、何度言えば分かる!」などと叱った。鶏は能力が低く何度も同じ過ちを繰り返すからである。「鶏と同じだ」ということは「お前はバカだ」と言っていることになる。アスペルガーっぽい子は言葉をそまま受けて記憶するから、タラちゃんを叱って「鶏と同じだ!」などと言ったら意味を解さずに「タラちゃんは鶏さんです」などとみんなんに言って歩くようになるだろう。
  賞罰は良いことをしたらほめ、悪いことをしたら罰を与えるやり方である。賞にはほめ言葉や金品など、罰には叱責、体罰、作業などいろいろある。この方法は良い方法として古来からしつけの方法として支持されてきたし、成人社会の秩序維持も基本的にはこれである。悪には罰、善は表彰が社会維持の基本である。
 また、発達障害児、特に知的障害児の指導方法にオペラント療法と言われるものがあり古典的技法として重用されてきたが、基本は賞罰と同じである。ということは発達障害モドキにも有効だと思われる。だが、有効たらしめるにはそれなりにやり方について学ばなければならないので、普通一般の親がすぐやれるというものでもない。が、賢い親はカンでこの方法をやり、成果を上げているものと思われる。
 日本に言い伝えられてきた子育ての名言がある。
  「可愛ゆくば五つ教えて三つ褒め二つ叱ってよい子育てよ」
  すんなりこの通りにいくならばその子も親も恵まれている。なかなかそうはいかない、特に発達障害モドキはそうはいかないのだが、基本的にはこの態度は発達障害モドキのしつけには有効だろう。
五 わたしメッセージ(Iメッセージとも言う)
 しつけの際は「あなたメッセージ」より「わたしメッセージ」のほうがいいとする親業訓練協会などが奨励している方法がある。例えば「だからあなたはだめなの。こうしなければならないの!」はあなたメッセージだ。それに対して「あんたがそんなことするなんてお母さん悲しいな。こうしてもらったら嬉しいんだけどな」とやるのがわたしメッセージ。これは非常に進んだ高度なやり方だ。
 「だからあなたはだめなの。こうしなければならないの!」は子どもを否定しているし、頭ごなしにこうしなければだめだと、やったことも否定されてしまうので、子どもはつらいし、やるせない気持ちになる。そればかりでなく、「自分はだめな子なんだ」と自己否定感を抱かせかねない。自己否定感を持ってしまった子は何事にも自信がもてず、うまくやれなくなってしまうことがある。ところが「あんたがそんなことするなんてお母さん悲しいな。こうしてもらったら嬉しいんだけどな」と言われると「ほんとはそんなことする子じゃないとお母さんは思っていたんだ」と自己肯定するし「自分の失敗でお母さんを悲しませてしまって悪かったな」と相手の心を気遣う心を起こさせるし、「よし今度は気をつけよう」と前向きな気持ちを起こさせ「お母さん今度ちゃんとやるよ」という言葉も引き出せるのである。このやり方は単に子どもの行動をしつけるだけでなく、人と心を通わせ合って生きることを喜ぶ心を呼び覚ます点でも優れている。
 だが、前記、2p中段(7)相手の感情に気づけないの項で例示したように、母親が階段から落ちて痛がってるのに面白がって笑うような発達障害モドキにはわたしメッセージは伝わりにくい。「お母さん悲しいよ」とタラちゃんに言ったら「お母さん悲しいんですか」とオウム返しに答え、ワカメのところへ「お母さん悲しいんだって」と他人事のように言いに行くにちがいない。
 また、生活の仕方や知恵や善悪など、子どもの生きる力になる技術や規範や道徳は、親が喜ぶからとか悲しむから身につけるものではなく、子ども自身のために必要なものと分からせることが大事と思っていれば、わたしメッセージは出てこないし、知っていてもやる気になれない。
 更に、仕事や家事に追われて、時間にも、心にも余裕がなければ、わたしメッセージなど、とても無理だ。「それはダメ!こうやりなさい!」と簡潔直言になってしまう。だから訓練が必要というのが親業訓練協会なのだが、訓練を受けに行く余裕もないのが実際なのだ。
 だが、しつけをあれこれやってもうまくいかない段階になると、わたしメッセージは大事になってくる。うまくいかないしつけを長く続けると親子関係は敵対関係のような気分になってくる。そんな時、親が思い直しの大転換をして、子どもをありのまま受け入れ、「お前を我が子だと思っているよ」「大事な子だと思っているよ」「良くないことをしたときは悲しいけど、良いことをしたときはとっても嬉しいよ」といったわたしメッセージを発信し続ける必要がある。それにより、重度の障害でなければ、年齢とともに親の心が察せられるようになり、「親から拒否されていない」という思いを抱かせることはできる。それがあれば、少なくとも親殺し、子殺しなどの凄惨な事態は避けられるだろう。
六 カウンセリング
 最近学校にカウンセラーが配置され、カウンセリングというものを行うようになった。このカウンセラーは親の子育て相談にも対応するし、親の子育て研修会などでしつけのあり方について話したりもする。そこで説かれるのは子どもの声を傾聴する大切さである。あれこれ指示したり叱ったりするよりも子どもの言うことに耳を傾けると、子どもは話すようになり、子どもが自分の気持ちや考えを話すうちに自分の良い点や悪い点に気づき、子どもの行動が改善されるというのが話の基本である。
  子どもの言うことに耳を傾けると言っても、発達障害モドキの子たちは自分の気持ちや考えをうまく言葉にすること事態が困難なのだから難しい。私もカウンセリングの実技研修を受け実際に学校現場でやったことがあるが難しかった。普通の親に勧められるものではない。真(ま)に受けて試みた親は、うまくいかなくてかえって悩むことにもなろう。誰でもやれそうな物言いは無責任であるが、傾聴姿勢を持つことは大切なので強調しておきたい。

 発達障害の原因
 発達障害とは手足などの発達のことではなく脳の発達に障害があることを指すのだが、その原因については次のようなことが挙げられている。
 遺伝
 妊娠中の母胎感染
 飲酒
 低栄養
 仮死分娩にともなう低酸素脳症
 乳幼児期の脳炎
 このように原因は遺伝か周産期の問題とされており、養育やしつけに原因があるとはされていない。これは最近になってからのことで、昔は養育やしつけなど親のあり方が原因とされていた。親のあり方が原因でないとされることは、子育てやしつけに無関心な親は別として、熱心でまじめな親ほど困り果てており、加えて親のせいなのだと思うと、自分を責め、苦しみ、悩み、親のほうがダメになってしまうので大事なことである。
 ところが最近、精神科医の岡田尊志らが発達障害の原因には愛着問題がからんでいることを発表し始めた。愛着はアタッチメントとも言われ乳幼児期に形成されるもので、それが発達障害とも関連し、遺伝子のように生涯に渡って影響し続ける重要なものだという。これは大変に気がかりなことなので、愛着問題について、後日、改めて論述することにしたい。

おわりに(結論も兼ねて)
 本稿は「発達障害っぽい普通の人」の理解に資することがねらいであるので、発達障害の診断や治療には触れなかった。そして、家庭における子育てや、保育園における保育や、学校における教育の場で、しつけにくい子に悩む人の参考になればと思ってまとめたものである。出来るだけ平易な文体でA4版8p以内を目標にしたが難しい作業であった。難しい内容を易しく書くのは難しい。
 人を個性とか特性とか性格とかいう見方で見ても、いまひとつはっきり見えないところがあったが、発達障害の見方で見ると、より明確に見えるものがあるように思う。発達障害の見方を参考にすることによって問題点の所在が分かり、対処の手かがりが掴め、改善が見られることがある。
 あるOLは忘れっぽさと複数業務の同時進行ができないことに悩んでいたが、自分がADHDだと分かってからは、家の鍵と車の鍵は玄関に鍵箱を設置し必ずそれに入れるとか、職場の上司と同僚にADHDであることをつげ、二つ以上の仕事を同時に言いつけないでほしいと頼み、みんなの理解のもと、悩みが薄れ順調に生活できるようになった。
 ある母親はしつけにより誰でも同じレベルの行動をするようになるものだと思っていたが、自分の子がならないので、子どもと自分を責め続けていた。発達障害の中身を知り、みんな同じようにやれるとは限らないものであることを知り、責めることをやめて、フォローする方向に変わった。
 しつけがうまくいかない子イコール発達障害の子とは限らないのだが、いろいろやってみてもうまくいかないときは、発達障害の知識に照らしてみれば理解が及び、手がかりが得られることもあるだろう。やみくもにしつけを繰り返し、うまくいかない思いに、親も子も苦しみ、悩み、自己嫌悪の淵に沈み込む危険を回避できる可能性があると思われる。
 私は平成14年に「おじいちゃんの子育て最新情報通信」という小冊子をまとめたことがあった。子育てに関する原理や原則について最新の情報を簡潔にまとめたものだったが、それには発達障害に関する記述がない。発達障害は平成17年以降にメジャーになったのだが、平成14年時点では私もよくは知らなかったのだ。今、振り返ってみれば小冊子に書いた子育ての原理、原則は発達障害児やモドキの子には通用しないように思われる。が、それは原理や原則がそのままストレートには通用しないということであって、原理や原則が誤りだということではないと思う。適用の仕方がよければやはりただしい原理であり原則なのだと思う。
 人の育て方とか子どもの育て方というものは時代の影響を受ける。その時代、その時代の最大公約数的な考え方や捉え方があって、個人もその約数の中に入っているのが普通である。今、日本をはじめとする先進諸国で発達障害が増加しているが、後進国では少なく、未開民族ではゼロだという。更に先進国では上流階級や知識階級に発達障害が多く底辺層が少ないのだそうだ。そうだとしたら、もし、読者の中に発達障害児やモドキの子がいたとしたら、それは現在の日本の家族構成や就業形態や保育環境や出産医療、そしてしつけが要求される現代社会の中だから発生したのかもしれないと捉えることもできる。
 また、一般庶民が作る世相は江戸時代と現代ではかなり違うだろう。情報社会と化した現代社会には、まさに十人十色の子育て論やしつけ論が飛び交っている。その中で子育てにあたる親はどれがいいのか迷わざるを得ない。だから、時代にも世相にも影響されない普遍的で確かな子育ての科学的な知見が必要であろうと思ってまとめたのが本稿である。子育てや、特にしつけで悩む人の参考になれば大変嬉しく思う。
 最後に本稿のテーマは他ならぬ我が家で必要とされているテーマであることを付記しておわりとする。   

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