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志村けんさん物語。

正直、あまり期待をしておらず
まだドラマにするには早すぎるのではないかと心の中では思っていた。

子どもの頃、カトちゃんケンちゃんで笑っていた世代だ。
「志村、うしろー!」も
リアルタイムではなかったと思うが
何度見ても笑い転げていた。
大仏さんと叩き合うのが私は一番面白かった。

ドラマはドラマというより宣伝通り
『天才!志村動物園』の制作を軸に
携わってきた方達の語りが盛り込まれたもので
一種の追悼番組のようだった。

志村さん役の方が、ソックリ過ぎず別人過ぎず
同じ方なのか分からないけれど
志村さんのセリフが、声のトーンと話し方、雰囲気などがご本人に似ていて
まだそんなに経っていないのに懐かしさを覚えた。
あまりに本物ソックリ過ぎるとご本人かという錯覚に陥ってしまい
それはこのタイミングではあまり好ましくはないように感じたので
ちょうどいい具合にご本人っぽくて素晴らしかった。
そのおかげでドラマを観ながらも
どこか客観的に落ち着いて観られた気がする。

16年という歳月の中で
レギュラーメンバーが変わったり
スタッフも変わったりする事もあっただろう。
軸になる志村さんと物語の中心人物であるスタッフの方達が
ブレずに変わらずに、長く続くような番組をと
一生懸命、同じ方向を向いて制作していたからこそ
本当に長く続く番組になっていったのだと感じた。

個人的に印象深いのは
パン君がもうテレビなどに出られないかもしれないとなった後でも
志村さんがパン君に会いに行った事だ。
ガラス越しでしか会えない現実は
あんなに志村さんを慕っていたパン君にも
我が子のように愛情を注いでいた志村さんにも
そしてそれを見てきたスタッフにも
あまりにも辛いものだっただろう。

それでも志村さんとパン君とのお話が終わる事なく描かれたのは
素晴らしかったと今でも思うし
その決断をしたスタッフの方々の勇気は
かなりの覚悟もあったのではないか
なんて偉そうに勝手に推測している。
でも、それこそが人間の都合で動物を振り回すのではなく
きちんと向き合って接している証でもある気がした。

志村さんが残したメッセージというより
志村さんが教えてくれた、繋いでいくバトンだった。
人は勿論、動物たちとの接し方や礼儀やマナー
そういうものを押し付けるのではなく
自然に見せていく事で
見た人はあんな人になりたいと思い真似していくのではないだろうか。

テレビの世界のことは分からないが
『家族になっていった』といっていたのは
同じ番組を制作しても一つになることの難しさや
同じ方向を向き続ける大変さを伝えているようにも感じた。
どの番組でも家族のようになれる事は滅多にないのかもしれない。

志村さんがコロナに感染するのがもう少し遅ければ
今、重症の患者さんに投与されている薬が投与出来たかもしれない。
そうすれば命はとりとめられたかもしれない。
あの頃は未知のウイルスに薬の投与なんてなかなか出来なかったと思う。
どうしてだろうと再び思ってしまう。

朝ドラに出演される姿も、もっともっと観たかった。
志村さんの存在が誰かを救う事もまだまだあったはずだ。
もっともっと笑わせて欲しかった。
志村さん1人が存在していてくれれば
いっときでも暗い重たい世の中を明るくしてくれた気がしてしまう。

そんなに期待されても困るとご本人には言われてしまうかもしれないが
それほどあなたひとりの存在は
この国ではとても大きかったのです。
こんな世の中だからこそ
あなたがいてくれたらと思ってしまうのです。


もうそちらの世界には慣れましたか?
長さんと再開して二人で楽しんでますか?
きっと長さんにはお前が来るのはまだ早いよと怒られたでしょう。

今年は芸能界の方が多く去り過ぎている。
そちらばかり賑やかになって
こちらをもっと賑やかにして頂きたかった。

子どもの頃から立派な大人になるまで
テレビで本当にたくさん笑わせて貰いました。
笑うって自然と元気が出るんですよね。
それをずっとしてきてくださった事
私のように感謝している人は数えきれないでしょう。

忘れたわけではないけれど
寂しくて辛くて、世の中の理不尽さを目の当たりにした様な出来事だったので
どこかで蓋をしていた気する。

今回のドラマを観て
志村けんという素晴らしい人の事を思い出させて貰えて
ステキな時間を過ごせた。

今、放送した意味はあったと思います。

志村さんの背中を見てきた方の中に
いつか志村さんのようにスタッフ、共演者に愛され
私達、視聴者にも求められる方が現れてくれるでしょう。

受け継がれていく事を願って。


仮にサポートを頂けましたら大変貴重ですので大事に宝箱にしまいます。そして宝箱を見て自分頑張ってるねと褒めてあげます(〃ω〃) ♪