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ルフィは「肉」のためにヒーローにならない

ONE PIECEが突然読みたくなることは、たまにある。
今回は精神的な体調不良で、頭があまり回らない中、メインはバトルものでストーリーも濃いONE PIECEならなんか満足できるんじゃない?という気持ちもあり、『新世界編』からネカフェで読み始めた。
1週間もしないうちに、最新刊をコンビニで買っていた。

ONE PIECEは面白い。
難しく考えなくてもいい。
基本は「友情・努力・勝利」で勧善懲悪。
傷つきながらも巨悪に向かい、義理人情を通す。
話のヤマとオチ。次の話への引き。笑える泣ける痛快なストーリー。
大ゴマで見せる迫力。小さな表情の動き。
魅力的なキャラクター。

尾田先生は天才だ。

私は現実逃避的に、ONE PIECEの世界に浸った。


でも、並行してずっと、私の現実は進んでいる。当たり前だけれど。
その間、ONE PIECEの世界は、私の心の中でちょっと遠くにあった。
早く続きが読みたいな、という感じ距離感。
よくある、物語に現実逃避してる私、だった。


経験的に、私の精神的な不調に、物語はとてもよく効く。
とにかく現実を忘れられる。そういう意味で、物語にはまっている人は、きっと多いだろう。
そういう意味でなくても、物語に含まれたメッセージ性に感動し、勇気や知恵、希望をもらうケースもある。
しかし物語というのは、即効性の万能薬ではない場合が、ほとんどだ。
いろんな物語を摂取し続け、その中で響くものにようやく出会えたり、何度も読み返しているうちにやっと効いてきたりする。
読んだ瞬間に身体に響き、不調が消し飛ぶような気がした作品は、私は今まで1作しか会ったことがない。

今回の「ONE PIECE」は時間が経ってから気が付く、時限爆弾のようなタイプだった。
一度はそのセリフを読み流し、続きをどんどん読み進め、それと並行して悩んでいたら、ドーーン!!と響いた。

そのセリフがこちらである。

第634話(コミックス63巻収録)【魚人島編】
ルフィ「おれ達は海賊だぞ。ヒーローは大好きだけどなるのは嫌だ!!お前ヒーローって何だかわかってんのか!?」
   「例えば肉があるだろ!!海賊は肉で宴をやるけどヒーローは肉を人に分け与える奴のことだ!!」
   「おれは肉を食いてェ!!!」

このセリフは、ルフィが「敵をぶちのめすなら凶暴な人間にならず、この島のヒーローになってくれ」と頼まれた時に放った一言である。
この後、すかさずナミが「何その基準」と呆れてツッコミを入れている。「じゃあ肉は食わせてやるから作戦はこっちの言う通りにしろ!」と言われれば、ルフィはすぐに「わかった!」と答える。
ギャグの文脈としてこのセリフは使われているのだ。
ちなみに第649話(コミックス66巻収録)ではゾロが似たようなセリフを口にしている。これもまたナミに「謎の基準」としてツッコミを入れられていた。


この意味が分からないようなセリフに、私の長年の持論と現在の不安が、少しほぐされたのである。


私の長年の持論とは。
『努力は基本的に報われない』

ありきたりで、投げやりな持論である。
中学生の部活動で、社会人生活で、私はそれを痛いほど感じていた。

しかし現在の私は、それに反するかのように、『努力したい』し『頑張りたい』と思っている。実際にそう発言し、行動もしている。
筋トレ、自撮りの練習、メイクの練習、配信のための話題探し、文章を書くこと。
それらの『努力』しようとしている。
『努力』はしたい、でも、心の中で『これをしてもミスiDに選ばれるとは限らない。努力が認められる世界ではない』と自分の持論に基づく声がする。
この乖離は、しんどかった。

何をやっても無駄じゃないか。その不安はなんにでも付きまとう。
でも、『挑戦したい』『努力したい』という気持ちも本当。
『努力』が『無駄』ではない、ということにも、最近少し気が付き始じめている。
いろんな考えが浮かんで、消えて。

ゴールデンウィークにインフルエンザになったのをきっかけに、何かの糸が切れた。
この感覚を文章にして表現したい。
しかしいい言葉が見つからず、何度も過去の自分の行いを振り返り、書き出してみて、没にする日々が続いた。


そんな中でのルフィのあのセリフだ。
一度はギャグとして読み、続きを読み進めるうちに、後からはっとした。

このセリフは一見、というか普通に考えると、筋はめちゃくちゃだ。
人の心によりそい、「友達だから」という理由で強敵に立ち向かうことのできるルフィ間違いなくヒーローだ。
彼自身ヒーローは好きだという。
でも自分はヒーローじゃない、という。
読者は「いやいやあんたヒーローだし。てか肉が基準ってなんだよ」と笑っていい場面なのだ。

しかし、これはルフィが自分の「なりたいもの」に対して無意識化でも理解し、自分はこうなる、と決めていると、さりげなく表現されている場面なのではないだろうか。
ルフィが目指すのは【海賊王】だ。【ヒーロー】じゃない。

仲間や周りの人間から、「それは危険だ。無視しても次に進める」と言われても、ルフィは聞かない。
ルフィは自分で判断する。
仲間のため、友達のため、という場面もあるが、「自分がそうする」と決めた時点ですべて彼の中では『自分のため』になる。
強敵に負けることもあるが、それを糧にどんどん強くなる。修行という『努力』も嫌がらない。もちろん、その『努力』は報われる。


ルフィの『努力』が実りどんどん強くなるのは、彼が漫画の主人公だからかもしれない。
「ONE PIECE」の中には、努力してなさそうなのに、悪魔の実とかでべらぼうに強いやつもいる。
メタな視点を持ち出せば、修行をして強くなっている、という姿を描いたほうが読者への好感度も上がるという考えもある。

そんなひねくれた考えを持っている私に、あまりにも何気ない一言が響いた。

あの無茶苦茶なセリフを、私はこう解釈した。

「自分は海賊だ。ヒーローじゃない。自分のために、自分は決断する。」

だからルフィは強い。
どんな努力も、どんな行動も、全て基準は自分なのだから。


気が付くのが遅かったのは「結局ルフィはヒーローだ」という考えが頭にあったからだろう。
漫画の中のヒーローの努力は報われて当たり前だし、勝って当たり前。
少し敗北したり、逃げたとしても、それは一時的なもので、次に戦うときにはきっと倒せる。
その安心感が、少年漫画にはある。
その安心感もまた、少年漫画の面白みなので否定する気はさらさらない。

でも、そうじゃないと思うこともまた、あってもいいだろう。
さらりと読み飛ばしてしまえるほどのささやかなセリフ。
ギャグ要素として表現されているセリフ。
そんな中に、キャラクターの人生が見える。
やっぱり尾田先生は天才だ。


私は、過去の自分の努力がいかに認められなかったか、そればかりに目がいっていた。
よく「好きなことなら頑張れるけど、あとは全然。興味ないことは頑張れない」と投げやりに言っている。
だからいい自撮りは正直今でもよくわかっていないし、メイクの練習は苦手だ。
私は今、誰のために努力をしていたのだろう。

自撮りにチアをくれる人のため?
配信でコメントをくれる人のため?
ミスiDの審査員のため?
世間的にそうするのが当たり前だからという一般論のため?

全部、当たっていると思う。
別に今あげた人たちを全部無視するつもりもない。
でも、私は一番「私」のために努力しているのだと、もっと強く思いたい。

他人に認められることを努力する理由の一番上に置いておくと、認められなかった時がしんどい。
報われない可能性だって高い。
他人の心なんて、そう簡単に動かせるものではないから。

ミスiDのようなオーディションならなおさらだ。
もっとも、ミスiDは比較的に優しく、なんで自分が落ちたのか、と審査員に問い合わせがたくさん来たら、実行委員長の小林司さんが直接話を聞いてくれる時間を設けてくれたりした。
でも、やっぱりオーディションだから、選別という作業が入ってしまう。
私や私を応援してくれる人がどれだけ私の才能を信じていても。
私がどれだけ『努力』をしても。
審査員の心に留まらなくては、意味がない。

「ONE NIECE」的には、ルフィが強敵に敗北する。
じゃあ、ルフィの修業したことは無駄なのか。
それは違う。
だって彼は、『自分のため』に行動したから。

私でいえば、ミスiDでなんの成果も残せなかったとして、それは無駄なのか。
それは違う、と思えるようになりたい。


今の私の努力は全て、ひとつ残らず自分のものにする。
成功したら宴をする。
でも、それは他人に肉を与えるための宴ではない。
自分で肉を食べるための宴。


努力したい、と言える今の自分が好きだ。
私はもうわかっている。

他人に認められることを全てだとは思わないでいれば。
他人に認められなくて、悔しくて、泣いても。

私が手放さなければ、その『努力』は私の中で必ず報われる。


分かっていても、難しい。
自分のための『努力』は果てがない。


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お前はもっとできると、教えてください。