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279.循環する人たち。

あなたは、循環している人?

自分が満たされて、それがいつしか溢れて、勝手に循環している?

それは、目に見えない部分だけでもなくて、望んだライフスタイルが実現できているとか、自分の好きなことを仕事にできているとか、経済的に巡っているとか、人間関係において共同創造できているとか、具体的な形になっていることも含めて。

私の周りには、気が付いたらそうなっている人が沢山いる。

もちろんそうなるまでの過程はある。

この社会でずっと生き辛くて、自分の性質と真摯に向き合ってきた人、周りに批判されながらも、怖くても勇気を出して前に進んだ人、泥まみれになりながらも、自分を信じ続けてきた人、、。

近くでずっと応援していた人たちが次々と羽ばたいて、自分の世界を悠々と飛んでいる姿を見ると、感激して涙してしまう。

山あり谷ありを、その人たちなりに一生懸命乗り越えてきたのを知っているからね。

私が関わっているコミュニティサイトで、以前このような記事を書いたのだけど↓↓↓

私はこの原点を時に忘れそうになる。

だからこそ自分のためにこの記事を書いたのだが、気が付いたら自分のものまで与えがちになってしまう。

これは両親の価値観と、5人兄弟の長女という家族構成の影響はあるとは思うが、与えることは自然とできるが、「ちょうだい」ということがなかなかできない性質なのだ。

今でこそ、受け取ることはできるようになってきたのだが、それはそのような機会がたまたま来た時に限る。(以前は、それすら受け取れなかった)自ら、「それ、ちょうだい」というのはなかなか難易度が高い。

5人兄弟の長女だよ?暴君でない限り無理だよ(笑)ぐらいの感覚。

けれども、最近はそれがテーマだな、ということが頻繁に起こるから、こうして記事にせずにはいられなかった。

今日、ふと仲間たちとそのような話題が飛び交ったのだが、

「与える方が幸せ」

というワードが出てきて、私にはそれがすごく新しく聞こえた。

私は、どうしても、「ちょうだい」というワードは奪い取るようなイメージしかなかったのだが、そう言われても幸せだと感じる人も沢山いるのだ。

例えば、悩みを誰かに相談することも、そう。私は頼ることが、相手にとっては重苦しい話で迷惑だろうと思っていたが、頼られると嬉しい、力になることで、その人も色々な気付きを得ることができてありがたい、ということが起こり得る、と。

そのような世界もあるのか、、。

確かによく考えてみれば、私が与えるのが好きな理由は、環境の影響もあるけれど、何より嬉しいからだ。

何が嬉しいって相手の喜ぶ顔を見れることもそうなのだが、エネルギーが動くから。

心地よいエネルギーが流れる豊かさを私は感じる。

そして、自分自身も与える前のプロセスは、豊かな時間であることが多い。プレゼントする時とかね。

その人のことを考え、どこかに足を運び、これがいいかな?あれがいいかな?とうきうきしながら選び、渡したらどんな顔をするのだろう?とワクワクする。

与えるというのは、私にとっては豊かさを得ることなのだ。

そう考えると、ずいぶん思い違いしていたな、と思う。

あなたも、今一度、原点に還って与えることと受け取ることのバランスが崩れていないかチェックしてみて。

いつでも軌道修正はできるからね。

いつからでもできる。遅いなんてことはないから。


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