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【エッセイ】選択肢が多過ぎることの弊害(1000)

先日、ネットニュースで唯我さんというその界隈では有名な動画配信者の死体遺棄事件に関わったとされる容疑者が5人逮捕されたというニュースを知った。

彼は昨年の年の瀬にトランクに遺体が詰められて絞殺の痕跡が残る形で発見されたらしい。当時は知らなかった。

そのようなショッキングな殺され方、つまり目立つ殺され方をしたにも関わらず、彼を殺害したと思われる容疑者が特定されるのに5か月もかかってしまったのは情報過多社会の弊害だったことが相互フォロワーKAZぼすさんの記事で考察されている。唯我さん事件の詳細はKAZぼすさんの記事に委ねるのでぜひお読みいただきたい。

どうやら唯我さんが良くも悪くも有名人であったため雑多な情報が警察に寄せられてしまいそれをさばき切れなかったようだ。

これは品数ばかりが多くいつも客でいっぱいだが決してもうからない居酒屋に似ている。

なんでもあるというのは客を寄せるという観点だけで考えれば優れている。しかし品数が多いということはオペレーションは最悪ということである。似たビジネスがコンビニエンスストアである。

それとは真逆なのが、昔は好きだった二郎系と呼ばれるラーメン屋である。今は年齢のせいか食べたいとも思わない(アイキャッチ写真参照。昔この写真を同僚の女性に見せたら「人間の食べ物?」と嘲笑された。今では私もそれに激しく同意だ。考えただけで吐き気がする)。そこは大盛のもやしと分厚いチャーシューがのったただ塩辛いだけの大盛ラーメンしかメニューがない。しかし、いつも若者や私のように腹の突き出た中年で凄まじい行列が出来ている。一点集中型でオペレーション効率が高く利益率もかなり高いと思われる。

高度な専門性のみが武器となる現代社会においては、なんでもできるは何もできないと同義である。

だが高度な専門性が発揮できるかどうかはそれを評価できる者がいるかどうかで決まる。サラリーマンの場合、上が無能なら評価されることはない。むしろ上の立場を脅かす存在として疎まれ、閑職に追いやられるか酷い冷遇を受ける。かつての私のように。

しかし、映画やドラマの主人公はなんでもできるスーパーヒーロー。もちろんスーパーヒーローの正体は日常では冴えない凡人という仮の姿があるという大衆に寄り添った設定も欠かせないが。

物質的な物を最小限に抑えるというミニマリストという生き方が流行している。情報もミニマリストになりたいものである。

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このお茶旨かったわー。

#創作大賞2024#エッセイ部門





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