見出し画像

絶対悪について【エッセイ】一四〇〇字

連載中官能小説「ある官能小説家の冒険」の最新作エピソードNo.12のラストでふれたように次は有料にし露骨な性描写溢れるアダルトビデオの文章版のようなものにする予定です。価格設定も読まれにくいようにお求めにくくしますので、よろしくお願いします(買ってくれるのは実弟と名前の漢字が一字違いのあの大物エッセイストさんだけかな😙)。
代わりに結構な分量にしようと思っておるので連載はしばらくストップするかも知れません。その間はエッセイのようなものを投稿しようと思います。くだんの大物エッセイストさんの題名構成を借用しました😁

【エッセイはここから】

昨日実に久しぶりに絶対悪とおぼしいTwitterのツイートを見た。本当に胸が痛んだのだ。怒り心頭に発した。

このツイートの批判が大きかったのかツイ主そのもののアカウントが本人により削除されたようだ。なのでキャプチャを貼り付ける。


聴覚障碍をお持ちのとてもかわいらしいウサギのイラストを描かれる「うささ」さんの心温まるTwitter漫画に想像を絶するクズツイートがその漫画の引用リツイートの形で投稿されていたのだ。せめてもの救いはこのクソツイートに対して100%否定的なリプライが付き、みながうさささんの味方だったことだ。

多様性という概念は本来、社会的弱者を守るためにある。それを曲解してこういう暴虐が無料・匿名のネット空間に哀しいかな日常的に起こっている。ヤフーニュースのコメント欄はヘイトと差別と暴言に満ちている。無料・匿名には有象無象が集まり易いのはいたしかたないがそれにしても酷い。

このツイートに似たものに24時間テレビの有名人と障碍を持たれた方とのコラボレーションのエピソードを「感動ポルノ」と評して、価値観の押し付けだとする批判がある。私の貧相な想像力では到底思いつくことが不可能な思考だ。ハッキリ言ってそんな発言をするカスな連中は鬼畜だ。

この世には絶対悪というものが存在する。そしてその絶対悪を認めずとも必要悪と捉えた時に社会はさまざまな不条理の渦に巻き込まれてしまうのだ。

「三びきのやぎのがらがらどん」という絵本がある。この絵本はジブリアニメ「となりのトトロ」に登場することでも有名だ。ご存知ない方は購読することを強く勧める。

この話が長女の保育園に通っていた時、その発表会で長女のクラスとは別のクラス発表で演じられていた。そのラストに愕然とした。トロルとがらがらどんたちが仲良くなってしまうのだ。これは史上最悪の改変のひとつだ。

ご存知ない方のために「三びきのやぎのがらがらどん」のあらすじを簡単に披露したい(私の感情と脚色込み😆)。


「大中小のやぎのがらがらどんは草をはんでいました。もっと食べて太ろうと向こうの山(だか野原だか)にある草を食べるために橋を渡ろうとしました。しかし橋はクソッタレのトロルが占拠していたのです。小さいやぎのがらがらどんから順に渡って行きます。トロルはがらがらどんたちを食ってやると脅し通せんぼするのです。小と中は自分は痩せてて不味い、後でより大きなやぎが来ると言ってトロルを出し抜き向こうに渡ることができました。大きなやぎのがらがらどんはその大きなツノでトロルをぶっ殺し八つ裂きにして川に放り投げました。そしてめでたく三びきとも橋を渡り草を食べて太ることができました。めでたしめでたし。」

三びきのやぎのがらがらどん

幼いこどもの劇とはいえトロルと仲良くなるという改悪されたシナリオは間違っている。クズは殺処分にすべきなのだ。トロルは絶対悪だ。存在自体が許されるべきものではない。幼いこどもの劇だからこそ絶対悪は裁かれなければならないと強く思う。アンパンマンは絶対悪のバイキンマンを暴力で裁くのだ。これが「正義」である。

絶対悪を裁かないようなこんなへぼい教育を保育園とか幼稚園の頃からしているから日本の倫理観は地に堕ちているのである。これをキリスト教的な偏った解釈だと批判していただいて結構。私は骨の髄まで主イエス・キリスト命のクリスチャンだからむしろその批判は誉め言葉なのでもっと言ってくださって結構ですよぉ〜🤭

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?