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【不定期連載小説】ブラック企業物語 序章

序章 私はどこで人生を間違ってしまったのか

私たちが生き延びることができる唯一の方法は私たちの困難を笑うことなのです。

チャップリン

エアシャワーを抜けるとそこは地獄だった。

私はどこで人生を間違ってしまったのか。

それは母の胎に宿った時からかもしれない。

両親の性交の際。なぜ両親は私を受精したその日に性交をしたのか。なぜ父の射精があとほんの少し遅れなかったのか。なぜ母の子宮の中で私の元となる精子の隣を泳いでいた精子が私の元となる卵子に突入しなかったのか。なぜ母の卵巣は私の元となる卵子の隣の卵子を私の受精の前に排卵しなかったのか。

なぜ父は母と出会ったのか。なぜ母は父に恋したのか。なぜ祖父母たちは第二次世界大戦を生き伸びたのか。なぜ。なぜ。なぜ。なぜ。

母方の祖母の葬儀の中で祖母の思い出を語る知人が言っていた。祖母は若い頃結核で死にかけたと。式の最中に私は心の中でこう叫んだ。

「おばあちゃん、なんでその時、死んでくれへんかったん?」

私は勝手に命を与えたもうた神を呪った。生まれてこなければ。あんたが生かさなければ。こんな苦悩を味わうことはなかった。

かと言って生まれ出たからには死ぬことはなかなかできるものではない。頭でどんなに死にたいと願っても心臓は勝手に動き続ける。怪我をしても身体が勝手に怪我を治そうと行動をする。風邪をひいて熱を出すと苦しいと思い再び健やかになることを願う。

身体がその恒常性を保つために組み込まれた何億年もかけて構築されたとされるシステムにたかだか長くても100年ほどしか生きられない小さな生命体は立ち向かうことすら許されない。

こんなにつらいのに。こんなに苦しいのに。

私はこれからも生き続けなければならないのか。

そのえげつない臭気を嗅いだ時、私はもうその瞬間に会社を辞めたいと思った。錆びついてカビが生え、朽ちかけたサニタリールーム。安物のエアシャワーは漬物の塩でボロボロだ。

しかし私には辞めることができない事情がある。小さな娘がいる。私ひとりの身ならすぐに辞めていただろう。

労働環境は最悪だ。臭い。パートたちやアルバイトたちは作業中ずっと私のわからない言語で何かをしゃべり合っている。そしてまともに日本語すら理解できない。でも、すぐにそれらはどうでもよくなった。みんな根はそんなに悪くはない。ただ、忙しいだけだった。

私が耐えられなかったのは(結果的に耐えていたから十数年やめなかったのだろうが)上司のパワハラ、いや、トップのパワハラ気質の風土と無報酬残業なのに超長時間労働を強要されたことである。精神と人格と尊厳が踏みにじられたのだ。しかし、私は精神も人格も尊厳も破壊されなかった。こんな奴らに負けられないと強い思いがあったからだ。

これからそれを順を追って語って行きたいと思う。最後まで聞いてくれると嬉しい。

そして、同情するのではなく喜劇として笑って欲しい。「なかなかここまで酷い会社はないな。よくずっとそんなとこにいたな。あんた、クレイジーだよ」と。

そうすれば私は、救われる。

(つづく)

(次回)ブラック企業物語 第一章

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