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赤ん坊を育てるような気持ち?

 業界内では苗を育てることは赤ん坊を育てるような気持ちでやるんだという表現がたまに使われます。それも意味がわかりませんでした。「よしよし、いいこいいこ。」と声をかけたりしたら植物が反応するというのか・・・と頭を抱えました。本当にどんなにやっても何も起こりません。

1年目に理解できたことは、プライベートを含めて、他の事情で焦っていると仕事が雑になるということでした。特にイライラすることがあった日にはとにかく機転が効きません。

それからこの意味をもっと深く理解するまでには2年がかかりました。かみ砕いた表現をしますと、周囲の環境を清潔を保つことや、暑いところに締め切っておかないようにするなど、天気予報が外れたらいつ何時でも一目散にそこへ駆けつけ対処することなど、ずっと周りの環境を先取りして先手先手で行動していきなさいという意味だったんだろうと思います。叱られた時より、もう元に戻らないよと諦められた時の方が刺さりました。誰にも言わずに夜、ハウスへ行って「これで大丈夫かな。。これで大丈夫かな。。」とうろうろしていた時もあります。

4月になったら、あちこちにホトケノザや菜の花が咲いてきますが、同時に、アブラムシとてんとう虫も活動を始め、モンシロチョウも飛び始めます。中にはヨトウ蛾と言って、夜行性の芋虫もいます。それを意識して事前に警戒していないと、ある日突然虫に食われてしまいます。知識がない状態で夜行性の虫に食われた場合、朝になってギョッとします。朝になると穴だらけになった野菜が残され、幼虫は土に潜って姿はありません。それが泥棒に入られたように感じるので、夜盗と漢字で書くそうです。「去年の今頃はうまく行かなかったから今年はこうしなくては」と先手の判断ができるのは2年目からです。

・わからないって実は大事かも。

今になって思い返して見ると、偶然にも農業の分野ではそんな感覚を継続的に味わうことが出来ていました。気づきをくれるものは人間関係や文字だけではありませんでした。匂い、湿度、温度、味、色、音、などの変化が判断に直結してきます。そうやって一つづつ頭の中の画像と自分の行動を一致させていきました。それが今でも続いています。中には早く独立して好きなように人生を歩みたいと思う人もいれば、こんなことするとは思わなかったと思って、違う業界に行ってしまう人もいます。悩むことが必ずしも居心地が言い訳ではありませんが、どうにかすれば腑に落ちる方法があるはずだというカンだけはありました。それがいつの間にか自分を牽引していたように思います。

今起こっていること

ちなみにですが、昨年から昆虫の世界では新しい動きがあります。外来生物のツマジロクサヨトウという虫が日本に侵入して来ています。自分の現在の畑では目立った被害は出ていませんが、今後、この虫が勢力を広げて被害が深刻化してくるかもしれません。これは誰もが未経験です。農薬が効きにくいという話も一部にはあるようですが、害虫被害を防ぐには防虫ネットをかぶせて物理的に守ったり、天敵になる微生物を使ったりすることもできて、完全にどうしようもないという感じはしていません。今、畑には小松菜が植わっていますが、大丈夫そうです。

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