A.
「半日や一日そこらの超短絡的スパンでモノを言ってもらうのは困るな。貴方は毎日、子ども達と機嫌良く遊べるメンタルの強さは備えているかい?役に立つかどうかばかり考えてしまう大人特有の凝り固まった成果主義に縛られず、遊びを通じて得られる目に見えない成果を一心不乱に追い求め続ける教育センスを持っているかい?子どもの遊びたいという気持ちに火をつけたり、間違った遊びを是正したりしながら、子ども達を一生懸命遊ばせることで満足させる教育技術を有するかい?子ども達から『幼稚園は好きな所、楽しい所、面白い所』って言ってもらえるように、一貫した努力を以て毎日の『遊び』を創り上げていく覚悟はあるかい?
それらが貴方に無いのなら、軽々しく『子ども達と遊んでるだけ』と口に出すのは慎むべきだと思うな。」
<参考箇所>
<私見を少々>
「子どもと遊んでるだけ」と言ってる人は、ただただそう言ってるだけで、その原因には相手の無知や軽い気持ちがあると思うから、
それら2つを指摘しつつ、プロとしての姿勢を伝えたいなと思いました。
個人的には「遊んでるだけじゃん」と言われたことがまだないのですが、
今後言われた時には、「へへへ…そうだよね…」みたいな感じではなくて、
ちゃんと反発できる言い返しが出来たら良いなと思いました。
言われる分に関しては、”言う”、”言わない”は相手の問題なのでどうでもいいが、自分がプロとしてお金をもらっている行為をそんな風に言われた時に黙って受け入れているようじゃ失格だと。ちゃんと自分の行動に誇りを持って、それを言語化するようにしたいと思います。
『すなわち幼稚園はいかなる所かということを子供に問うたならば「好きな所」「楽しい所」「面白い所」と答えるでありましょう。それでこそ幼稚園なのであります。』というのは、ヴァルトツヴェルゲ森の幼稚園の先生方に「この幼稚園の教育目標は?」って尋ねて、「子ども達がここでの1日を楽しんでくれること」と答えてくれたことと一緒だなと思いました。やっぱり、幼稚園児は遊びによって体の成長と社会性を伸ばす段階だし、それは子ども達それぞれによって速度が違うし、時間をかけて少しづつ熟していくモノであるから、なんか「思いやりのある人に育てる」みたいな”大そうな”目標なんて掲げずに、子ども達の一日一日を遊びを通じて育てていくことが大事なのかなと思います。
それを示したのが「疑わず惑わず、急がず焦らず、一貫した努力を以て、毎日の「遊び」をつづけていなければならない。」という言葉かと。自分にとって教育とは、『今日という1日を育てる、つまり、”今日育”』であるので、結構教育哲学的には倉橋惣三とマッチする感じですね。
ちょっと時間をおいて熟成させて、追記で何か書きたい・・・
「メンタルの強さ、教育的センス、教育技術、覚悟」だね。