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差異こそはすべて(All you need is difference)

SFマガジン2009年1月号
『ニューロマンサー』刊行25周年記念 ウィリアム・ギブスン特集収録。

記念すべき時の記念すべき特集に声を掛けていただいて、相当に力を入れて書いた評論。たぶん僕の最高傑作だし、僕にしか書けない「作品」だと思います。ぜひお読みください

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差異こそはすべて(All you need is difference)

『ディファレンス・エンジン』を褒め称えよ。この小文はそのために、そしてそのためだけに書かれる。差異(difference)こそはすべてを生み出す源である。

 これまで、ことあるごとに『ディファレンス・エンジン』を褒めたたえてきた僕は、手にはいらないと言われては悔しい思いをしてきたものなのだが、ついにハヤカワ文庫版が出て作品の入手が容易になった今、改めて強く言っておこう。『ディファレンス・エンジン』を読まずして、現代SFを語るなかれ。

 なお、この文章には『ディファレンス・エンジン』についての若干のネタばらしが含まれる。物語を虚心に楽しみたいという向きには、まず作品を読むことをお勧めしておく。

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 十八歳にして素粒子論の論文を発表した経歴を持つ天才スティーブン・ウルフラムは、単純な一次元セルオートマトンの動きを網羅的に調べるという着想を得る。今、彼は二状態五近傍全体主義規則と呼ばれる一連の規則を持つセルオートマトンをかたはしからコンピュータにかけては、結果のプリントアウトを眺めている。

 しばらくすれば、オートマトンの規則が四つのクラスに分類できることを発見するだろう。その中でクラス四と名付けられた規則は、単純な周期運動とも完全なランダム運動とも違う複雑な振る舞いを示す。その振る舞いにウルフラムはおそらくは生命を見ることになる。

 一九八三年、ウルフラムはセルオートマトンの論文をレビュー・オブ・モダン・フィジクスに発表する。一部の酔狂な物理学者たちがやはりそこに生命を見、やがてその思いは統計物理学者のあいだに広まってゆく。

 以上のような出来事は起こらない。

 思い描こう。計算機に数字を打ち込む人物の名前はミッチェル・ファイゲンバウム。得られた結果はふたたび同じ式に戻され、それが何度も反復される。第一の反復、第二の反復、第三の反復。

 ファイゲンバウムは一見複雑な数値の変化に普遍的な性質を見いだし、そして何より驚くべきことにその複雑な変化の中に普遍的な定数が隠れていることに気づく。のちにその定数には自分自身の名前がつけられるのだが、ファイゲンバウムはまだそれを知らない。

 複雑さと法則性とは決して相容れない概念ではないことに世界があらためて気づく。

 以上のような出来事は起こらない。

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 ギブスンとスターリングの共同作業によって生まれた長編『ディファレンス・エンジン』は、前世紀最後の十年間を代表するSFであると同時に、サイバーパンクという新興のSF分野にとっては最初の到達点である。あるいは、サイバーパンクの初期バージョンがこれをもって完成し、終わったのだと言ってもいい。

 もっとも、蒸気機関コンピュータが実現している十九世紀ロンドンを舞台にした物語という表面的な形式だけを耳にしたなら、そりゃたしかにコンピュータの物語かもしれないけれど、それだけでサイバーパンクと呼ぶのはどうなのかと思った読者がいたとしても不思議はない。ありがちな歴史改編もののひとつで、ちょっとばかり目のつけどころはいいにしても、未来社会をスタイリッシュに描いてきた二人の作品としてはむしろ保守的なものなのじゃないかという先入観を抱いてしまったかもしれないし、もしかしたら、そのために手にとるのを控えてさえいるかもしれない。

 その先入観は見事に裏切られる。この物語はまぎれもないサイバーパンクである。ギブスンとスターリングは、この物語によって、サイバーパンクの話法で、未来社会だけではなく、改変された19世紀のロンドンだって描けてしまうことをみごとに示したのだ。

 それどころか、舞台が現代であってもサイバーパンクは書けるということをギブスンは『パターン・レコグニション』で証明してみせることになるのだが、それは今世紀の話。

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 さかのぼる。忘れつつ。

 気象の複雑なモデルを極限まで単純化して、わずか三つの変数だけを含むひと組の微分方程式が生みだされる。まだローレンツ方程式とは呼ばれていないこの方程式は非線形性を持つが、その非線形性がどれほど驚くべき結果をもたらすかは、このときまだ理解されていない。方程式を電子計算機で計算するために微分を差分になおす。

 計算機は連続も実数もあつかえず、したがって微分もあつかえない。唯一、微分を差分によって近似することが、計算を可能にする方法である。エドワード・ローレンツにとって、コンピュータとは差分を計算するための機械、すなわち差分機関である。

 しかし、もっとも本質的な簡単化はこのあとだ。計算時間を短縮するために、計算精度を落としてみる。少々精度を下げたところで結果にはたいした影響をおよぼさないはずだ、という予想が覆されるのはこれからである。彼は、のちに自分の名前で呼ばれることになる複雑な構造物、ローレンツ・アトラクターと出会うはずだ。ローレンツはカオスの発見者のひとりとなる。

 以上のような出来事は起こらない。

 思い描こう。同じ頃、ここは京都。アナログ・コンピュータで微分方程式の振る舞いを研究している男は上田睆亮。彼はこれから今まで誰も見たことがなかった複雑な構造を発見する。ダヴィド・リュエールがのちにジャパニーズ・アトラクターと名付けることになる複雑でしかも美しい構造物は、しかしまだ上田の目の前に現れてはいない。上田はコンピュータの出力を眺める。上田もまたカオスの発見者のひとりとなる。

 ふたりはまだお互いの研究の関連を知らない。

 以上のような出来事は起こらない。

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 ブルース・スターリングは、かつて『インターゾーン』誌に発表したエッセイの中で、新たなるサイエンス・フィクションへ向けて留意すべき五つの点を挙げた。その第一は『真の現代科学への関心』、そして第二は『外挿法を軸にした想像力の再評価』。サイバーパンクはなによりもまず、「サイエンス」の物語なのだ。

『ディファレンス・エンジン』はカオスと人工知能をめぐる物語であり、十九世紀を舞台にしながら、その視線はまさに『真の現代科学』へと向けられている。同時に、ギブスンとスターリングがそれまでに書いてきた主要な作品群と同様、テクノロジーによって変容した社会をその時代の視点で描く物語でもある。『ディファレンス・エンジン』は本質的な部分でサイバーパンクなのである。もちろん、言うまでもなく、過剰なまでの情報量が読者に与える目眩にも似た感覚は『スキズマトリックス』や『ニューロマンサー』から受け継いだものだ。

 さて、十九世紀半ばは、磁気(マグネティズム)も催眠療法(メスメリズム)も同じ「イズム」として同列に語られ、人体測定学がもてはやされた時代。科学が花開いた時代であると同時に、疑似科学の時代でもあった。そんな時代に、なにかひとつ、当時はまた存在しなかったテクノロジーを放り込んでみるとしたら、なにを選ぶか。社会を大きく変容させるキー・テクノロジーはなにか。

 日本屈指のサイバーパンク作家である高野史緒は、かつて、さらに古い時代のヨーロッパを舞台として、そこにキー・テクノロジーとしての電話を放り込んでみせた。

 ギブスンとスターリングがここで選んだキー・テクノロジーは計算機、いや、もっと正確には「計算」である。たぶんこれは重要な点と言っていいと思うのだが、世界を変容させるものは計算機ではない。それはあくまでも計算である。計算をキー・テクノロジーとするために、物語は蒸気機関で動く計算機、つまり、バベッジがその生涯を通して構想を練り続けた解析機関を必要とした。

 念のために補足しておくと、バベッジは差分機関(ディファレンス・エンジン)と解析機関(アナリティカル・エンジン)という二種類の歯車式計算装置を設計している。差分機関と解析機関は、例えるなら電卓とコンピュータ程に違っていて、差分機関が特定の演算しかできないのに対し、解析機関のほうはパンチカードを使って任意のプログラムを実行させられる。したがって、解析機関こそがコンピュータと呼ばれるにふさわしい。

 計算が社会を変容させるほどのキー・テクノロジーとなるためには、計算機がプログラム可能であることが本質的に重要となる。

 では、計算とはなにか。

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 アラン・チューリング、計算の理論。計算とはチューリングが想定したテープとヘッドからなる抽象的な機械が行う動作にほかならない。その手順こそがアルゴリズム。チューリングは計算とはなにかを定義したのである。

 計算は終了するかもしれないし、永遠に終わらないかもしれない。しかし、任意の計算が終了するかどうかを計算によって知ることはできない。このチューリング機械の停止問題は、不完全性定理と等価である。しかし、計算の父であり、のちに人工知能の父にもなるチューリングは、同性愛を非難され、自ら死を選ぶ。

 以上のような出来事は起こらない。

 思い描こう。ケーニヒスベルク。ダーフィト・ヒルベルトの業績を讃える会議の席上、クルト・ゲーデルとフォン・ノイマンが議論を戦わせている。ゲーデルが、そして少し遅れてフォン・ノイマンが発見した第二不完全性定理は、やがて数学を完全に形式化しようというヒルベルトの壮大な計画に終焉をもたらすことになる。その芽はこの日のふたりの議論に潜んでいるのだが、記念講演を行うヒルベルトはそのことをまだ知らない。

 プリンストンに移ったゲーデルは、やがて毒殺を恐れるようになり、飢餓によって死を迎える。

 以上のような出来事は起こらない。

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 よく知られているように、バベッジ自身は差分機関を完成させられなかった。小さなものはスウェーデンのシュウツ親子によってバベッジ存命中に実用化されていたが、バベッジの設計通りの差分機関が作られるのは一九九一年のことである。ロンドンの科学博物館が再現したこの差分機関が実際に動くところを今はインターネットの動画サイトでも見ることができる。大きな歯車がいっせいに回転して計算を進める様子はまさに壮観。なるほど、これよりはるかに巨大になるはずだった解析機関を動かそうとすれば、蒸気機関が必要だっただろう。

 残念ながら、解析機関のほうは設計図と機関のごく一部分とが試作されただけで、現在にいたるまで作られていないし、未来永劫、作られることはないに違いない。蒸気機関で動くコンピュータは、おそらくはその構想の最初から、物語の中にしか存在できない運命にあったのだ。だからこそ、物語を起動する差異はそこに置かれている。

「計算」は科学を変え、社会を変容させる。とりわけ、シミュレーションによる予測と巨大データの解析とが大きな影響力を持つのだろう。そして、はっきりとした法則がありながらシミュレーションによる予測が不可能な現象があることに、人々は必然的に気づかされる。この世界では、ラプラスの悪魔は早々にカオスの神にその地位を譲っている。

 さらに作中、フランスが誇る巨大解析機関・大ナポレオンが不可解な不調に陥っていることが繰り返し語られる。決して、動かなくなったというわけではない。動き続ける解析機関の中では、止まらない計算が実行されているのである。その止まらない計算の中から、やがて知性が自発的に生まれる。もしも電子計算機の中に知性が育つものなら、歯車計算機の中にも知性は育ちうる。「計算」はそれがどのような装置の上で行なわれようと、同じ計算なのだから。僕たちの現実世界では、いまだに機械知性は生まれていないが、サイバーパンクの世界では機械知性の自然発生は、いわば必然のできごとである。

 解析機関の中に生まれた機械知性とは、この『ディファレンス・エンジン』という物語の書き手にほかならない。しかし、話はそれでは完結しない。物語の結末にいたって、歯車ではなく電子で計算する知性の誕生が告げられるのである。では、はたしてこれは解析機関が電子の人工知能を夢見たものなのだろうか、それとも解析機関が物語を書いているという物語を電子の人工知能が思い描いているのだろうか。結局、この物語は誰の手によって書かれたものなのか。ギブスンとスターリング? いや、この物語の真の書き手が実は冬寂(ウィンターミュート)という名前だったとしても、驚くにはあたらない。

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 さかのぼる。始まりまで。

 十九世紀後半。フランス。天体力学における三体問題をいわばライフワークとして研究した万能の数理科学者は、三体問題の解が示すはずのあまりにも複雑な挙動に気づいて愕然とする。だが、その複雑な挙動を描いてみせてくれるはずの電子計算機はまだこの世の中に出現していない。

 アンリ・ポアンカレはその著書『天体力学の新しい方法』の中にこう書き記す。「二曲線のおのおのは自分自身を切ることは絶対にないが、非常に複雑な行動をして自分自身の上におり重なって、上のたとえの網のすべての結び目を無限回切る。その複雑さは驚くべきもので、私自身もこの図形を引いてみせようとは思わない」

 このときポアンカレが三体問題のニュートン力学で垣間みた複雑なふるまいは、のちにさまざまなシステムでも発見され、リーとヨークによってカオスと名付けられることになるが、それはポアンカレの死後の話である。ポアンカレはまだ名付けられていないカオスについて数学的に記述するおそらくは最初の研究者となる。

 その驚くべき洞察力によってこのような複雑なふるまいの重要性に気づくポアンカレは、別の著書の中で「最初の状態に於ける小さな差異が、最後の現象に於いて非常に大きな差異を生ずることもあり得よう」「かくて豫言は不可能となって、こゝに偶然現象が得られるのである」と述べる。決定論から予測不可能な現象が生じるというカオスの本質がここに明確に語られる。

 だが、 以上のような一連の出来事は起こらない。

 アンリ・ポアンカレは三体問題を表すニュートン方程式を差分化し、ジャガート織り機のパターン・カードに似たカード上にパンチ孔の列としてそれを表現する。解析機関がカードを食い尽くしてしばらくのち、ポアンカレはホモクリニック軌道が繰り返し自分自身の上に折り重なって作り上げる複雑なパターンを目にする。

 だが、カオス発見の栄誉はポアンカレではない誰かにすでに与えられている。カオスとは差異を拡大するための装置、すなわちそれこそがディファレンス・エンジンであることは、このときすでに誰もが知る事実である。

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 カオス的なシステムでは小さな差異が指数関数的に拡大する。そうして、小さな差異から新たな物語が生まれる。カオスこそが母であり、差異こそが種である。

 僕たちは『ディファレンス・エンジン』の物語が、実は無数のバリエーションを内包していることに気づく。その壮大さは、目も眩むほどだ。

〔文献〕
 カオスと計算の歴史については原論文のほかに以下の文献を参考にしているが、どこで聞いたか思い出せない伝聞にも多くをよっており、当然、史実のとおりだと保証するつもりはない。『常微分方程式』(ポアンカレ、福原・浦訳、共立)、『科学と方法』(ポアンカレ、吉田訳、岩波)、『不完全性定理』(ゲーデル、林・八杉訳、岩波)、『Chaos』(Gleick, Vintage)、『カオスのエッセンス』(ローレンツ、杉山・杉山訳、共立)。また、バベッジと彼のエンジンについてはロンドン科学博物館発行のバベッジ展図録、スターリングの発言については『サイバーパンク・アメリカ』(巽、勁草)などによる。

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今日はCarolina Eyckの新しいライブ映像を。エレクトロニクスとテルミンの絡みが美しいソロ演奏です。

https://youtu.be/_zTUmjtkruo

#文学 #SF #評論 #アーカイブ

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