見出し画像

はじめての護摩焚き

先日、小川村にある高山寺での毎月第三日曜日恒例、護摩焚きに参加した。たぶんわたしは護摩焚き自体に参加するのが初めて。

最中の写真はないのだけど音声を録音させてもらっていて、それは5月二週目位に「ポッドキャスト小川村の人々」の番外編にて配信予定。テーマは、これも高山寺で第三日曜恒例の「さんきょ市」について。

↑このポッドキャストは小川村の移住者のセンパイとわたしの二人でやっている地域コミュニティ番組。

さて、護摩焚きだが、お堂の中だからどうなのかな、と思っていたら、ちゃんと火も上がって🔥いた。

そのうち隣に座っていた檀家のおとうさんにお焼香みたいなのを勧められた。仏壇や神棚がない家で育ち、直近であった身内の葬式はカトリックだったりするわたし。ちゃんとしたお作法がわからない旨、小声で伝えた。すると、灰を自分に近づけるのではなく、顔を灰に近づけるといいよ、と親切に教えてくださった。つまり仏様や神様に頭を垂れる、ということのようだ。

教えてくださった通りにして席に戻ると何か、眉間のあたりが開いたような不思議な感覚がした。

最後にまた、住職の読経と太鼓…クライマックス。
聞いているうちに、なぜだか涙が出てきた。元々泣き虫だし、ネズミーランドでは音が怖くて涙目になったりと涙腺はゆるい方ではあるけれど。

終わってなんだかとてもすっきりした感じがした。それを住職と檀家のおとうさんに伝えると「それは、それは。菊子さんに、今度から護摩のときの太鼓係をやってもらおうかな?」と住職。
わーやりたい、興味ある!ここは真言宗か…空海って霊力があるんだっけw

観音堂から出てしばらくしても、髪の毛やからだの周りには、なんとなくお香か煙の匂いが漂っていた。
そうか、昔の人はこうやって定期的に穢れを落としていたのかもしれないな。日本で受けたことのある、海向こうのある国の部族の儀式でも火と煙、太鼓を使うことを思い出していた。


太鼓といえばアメリカ旅の際にネイティブアメリカンドラムを作るに至ったお話し↓

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?