ぼっちと駅寝
私が大学生時代を思い返したときに切っても切り離せないのが旅行だ。
しかもただの旅路ではない。駅で寝るための旅行だった。
大学生時代、友達ができずサークルを入っては辞めを繰り返していた私が、有一4年間所属し続けた「京大駅寝同好会」の話をしたいと思う。
京大駅寝同好会は、全国の駅を根城にしながら旅行するサークルだ。
駅寝というのは別名STB(Station Bivouac)とも呼ばれ、1980年代から1990年代にかけて登山家や大学生の間で流行した宿泊形式らしい。
京大駅寝同好会は、長期休暇を利用して会員同士で集まり旅行をするサークルだ。旅行形式にはルールが決められており、
・宿泊施設で寝てはいけない
・青春18切符など複数日に渡り乗り降りできる切符を使う
・他人に迷惑をかけない(鉄道が運行している時間は駅寝しない)
※いずれも私が所属当時のもの
などの決まりのもと活動を行っていた。
なんで駅で寝るんですか
「なんで駅で寝るんですか?」
人生でうまく答えられなかった質問を一つ挙げるとしたら、京都大学の学祭でサークルの会誌を買いに来た青年から聞かれたこの言葉が真っ先に浮かぶ。
「そこに駅があるからだよ」
私の返答は大喜利としても50点くらいの回答だった。
「いやでも絶対ベッドで寝た方がいいじゃないですか」
青年の表情はいたって真剣で、「なんで駅で寝るんですか?」という問いが決して活動を茶化したいだとか奇異の目で見ているとかそんな意図がないことに戸惑った。(特に京大の学祭には奇人変人を見に来るみたいな層も一定数いるらしい。)
とりあえず、宿泊代を浮かせられるとか、大学生しかできない経験ができるなど、それらしい理由を述べたがイマイチ青年は納得していなかった。
恐らく彼が知りたかったのは、理由ではなく哲学だったのだろう。
そんな彼を納得させられなかったのは、当時の私がただただ「変なことがしたい」という思い出入っただけの薄い人間だったからだ。
ぼっちだった私の拠り所
駅寝同好会というのは、不思議な距離感で繋がる組織だった。
会員同士で馴れ合わないというか、活動内容が旅行なので、普段ほとんど大学内で触れ合うことのない人同士が急に示し合わせたかのように旅行の時だけ集うというのは、他のサークルにない特徴だろう。
だって普通なら、仲良くなる→一緒に旅行するの流れなのに、「ほぼ初対面の人同士で旅行する」というのは普通はありえない因果のはずだ。
旅行の道中であるはずなのに「出身って……どこですか?」なんて間を埋めるような会話をしたり、徐々に話題が尽きて読書やスマホゲーに興じたり、乗り換えの電車が2時間待ちで意味もなく途中下車したもののスーパーしかなく生い茂る河原で酒を飲んだり、と思いつきで行動できることが、日常から解放されているようで好きだった。
大学生が組織を形成すると"友達(話し相手)を作らないといけない"という空気が形成されるが、このサークルにはそんなものがないからこそ、私みたいなぼっちでも馴染めたのだろう。
私が駅で寝る理由
今の私なら「なんで駅で寝るんですか」という質問にどう返すだろうか。
他の駅寝会員は、電車や駅が好きだからとか、知らない町の暮らしがあることを実感することが好きだとか、その人なりの目的を持っていた。
あれから色々と考えて、自分なりの答えに行き着いた。
それは「屋根のない世界を寝床にすることの開放感を味わえること」だと思っている。
駅寝の基本としては、駅のホームにマットを敷いた上に寝袋を用意して寝るといった野宿スタイルだ。元々私は登山をしていたため、外で寝ることには抵抗がなかったものの、山で寝るにしてもテントを張るわけだし、必ず睡眠する空間には屋根があった。
外の世界に寝袋一つ敷いて寝るのは空という壮大な屋根を実感することだった。
終電が過ぎ去った後の熱気の中で見つめる夜空。肌寒い始発前に見る赤い陽光と徐々に青み始める空。
空は見上げるものではなく、ただただ目に入るものだった。朝起きて突如視界を侵食する空を見て「あれ?俺何してるんだっけ?」といつもの屋根がないことに戸惑う瞬間こそがエクスタシーといえるだろう。
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