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阪神の「ARE」にはコレが必要だ!

なかなか優勝できない阪神タイガース。かつて18年ぶりの優勝に導いた星野監督。闘将と呼ばれたそのゆえんがこの本からわかる!


『具体←→抽象トレーニング』細谷功(PHPビジネス新書)

 

タイトルだけでわかったような気がしてしまうのに気をつけてと。

 人間の思考にはタテ軸とヨコ軸があって、よい問題解決のためには、タテ思考が絶対必要と説く本。

 タテ思考とは本のタイトルにある「具体と抽象を行き来する」思考だという。

 よくないという「ヨコ思考」は、「具体」の中だけで考える、または「抽象」の中だけで考えるという態度。

 具体と抽象の違いって何かというと、例えば具体さんと抽象さんのこういう会話に現れる。

「本は本棚に入れて、皿は食器棚に入れて、飲み物は冷蔵庫に戻して!…」

「要は、片付けろってことね」

 この会話では、抽象化できる人は頭が良さそうに見えるが、それが落とし穴なのだ。

 抽象化というのは例えば、違うものどうしの共通点を見つけること。世間では「読み解く」とかいって、なんだかカッコいいけど、それだけだと分析や評論どまり。世の中を1ミリも動かせない。つまり行動につながらない。

 これを著者は「抽象病」と言っている。

 「具体病」もある。行動量は多いんだけど、言われたことだけをそのままやってるだけ。なぞるのは得意だが、違う方法で目的に近づくという創造性がない。

「抽象」と「具体」を常に行ったり来たりする。


そもそも、

 具体化力は行動を生む。
 抽象化力は本質を掴む。

 著者が言いたいのは、2つの良いところを結びつけようということだ。

 「抽象」化の持つ応用力は、あらたな行動に結びつくといえるし、行動そのものである「具体」化は、思わぬ結果を生んで次の新たな本質に気づかせてくれる。

 そうした「具体」と「抽象」を、常に行ったり来たりすることでその相乗効果を狙おうということなのだ。

 例えばビジネス面では、「抽象」だけだと総論賛成・各論反対になったり、議論の過程が大事なんだという一般論に終わって、何も動かないってことが起こる。

 「具体」だけだと、当初の目的が忘れられて、議論が方法論のみに終始する。

 いずれも、とにかく生産性が悪くなる。

 この本の刺激を受けて、結果がすべてのスポーツの世界なら?を考えてみた。たとえば、プロ野球だ。

抽象の人 野村克也

 理論野球=ID野球を編み出した野村克也は「抽象」の人。

 因果関係を解明してプレイを数量比較できるようにした。数量化すると人に伝えることができる。数量化って、究極の抽象化だから。

 監督としても助かる。数で示されると選手は反論できないので、ガバナンス上、リーダーにとって有利なのだ。

 野村は現役時代、「長嶋はひまわり、おれは月見草」と自らを日陰者にして暗い情熱を燃やした。

 そりゃそうだ。南海ホークスっていう大阪南部の大阪球場が拠点で、閑散とした観客席には、汚い酔っぱらい親父しかいない。自虐的にもなる。

 選手時代、南海ホークスを終えてロッテ時代だったか、犠牲フライで勝ち越しという場面、犠牲フライなら100%打てるとホクホク顔で打席に行こうとしたら、代打を出された。これに大いにプライドが傷ついて、ベンチで「三振しろー、こんなチーム負けろー」って内心でずっとつぶやいた。それでチームは負けたのだが、あ、こうなったらおれはこのチームにいちゃいけない人間だ、と思って、そのシーズンで退団することにした。

 野村克也はこのような誠実で内省的な一面も持っている人。この性格が理論野球に繋がるのである。

 そんな野村克也の好きな野球は「負けない野球」。

「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」と言って、負けには必ず理由があるから対処に取り組めるが、勝ちには相手のマイナスの事情が絡むので不明なことが多い、というわけだ。

 選手を生まれ変わらせるといわれた「野村再生工場」。
 野村は、その選手の表面的なものを剥ぎ取って内部に入り込む。それまでの実績を度外視して、バッターをピッチャーにしたり、ピッチャーをバッターにしたり、と大胆なことができる。抽象化力があるからできたことだ。

 そんな野村でも、阪神の監督時代は大失敗。

 抽象が好きなだけに抽象に偏り、具体化の面が弱かった。阪神に迎え入れられたときはもう重鎮過ぎて、具体化に向けて助言できる人が周りにいなかったのだ。

 ホンダ技研創始者の本田宗一郎も抽象が好き。夢を大きく語って社員を鼓舞する。しかし、零細期は労働争議もひどかった。具体化役の藤沢武夫というナンバー2が汚れ役の労務対策を引き受けたから、夢も力を持てたのだ。

具体の人 長嶋茂雄

 その野村克也と対極にあるのが「具体」の人、長嶋茂雄。

「名選手かならずしも名監督ならず」と言われてしまった長嶋茂雄だが、現役時代は、どこに投げても打たれる、と投手を苦めた天才バッターだった。絶頂期には、「球が止まって見えた」と豪語した。

 「どうしたらそんなに打てるのですか」と聞かれ、「球をよく見てね、こう、思いっきり振るんだよ」としか言えない。

 つまりこの人、自分でもなぜこんなに打てるのかわからなかった。だから、抽象化がまったくできない。これでは打ち方を人に伝えることはできない。監督やコーチなどできるわけがない。

 動物的カンと言われた長嶋茂雄がやはり動物に見えて仕方ないのは、「抽象」という人間的な思考をしている形跡が見えないスーパーマンだからなのかも。

具体←→抽象の人 星野仙一

 さて、ここで忘れてならないのが、阪神タイガースを18年ぶりの優勝に導いた星野仙一その人だ。

 野村が「負けない野球」なら星野仙一は「勝つ野球」。
 常に「勝ちたいねん」と口にする、テストステロンあふれる人。

 長嶋も動物的だが、この人は、抽象・具体のバランスが動物的。本田と藤沢の両方を持っていた。これは、星野がピッチャー出身だったことも要因として大きい。

 野球はピッチャーが投げてすべてが始まる。火付け役みたいなもので、とにかく事を起こすのが役割だ。つまり、確信ゼロでも常に具体化に迫られているのがピッチャーなのだ。

 一方の抽象化力だが、これは彼の「鉄拳制裁とプレゼント作戦」に見て取れる。勝利に結びつくなら何でも持ってくるというこの確信的犯行。

 彼にとっては野球さえ勝ちを味わうための手段でしかない。だから、野球という「具体」束縛から自由になれた。野球とは無関係のものでも「勝利」の一点に結びつくものを発見するという抽象力が凄まじいのはこのせいなのだ。

 こうして具体と抽象を行き来して得たのが、18年ぶりの阪神優勝だ。

 「抽象」の達人野村克也。
 動物的「具体」の長嶋茂雄。
 野球をも離れた勝つ快感で「具体・抽象」を渡った星野仙一。 

 もっとも、野村、長嶋にしても人知れず具体・抽象を重ねたから超人なのだが、阪神ファンとしてはとにかく、星野監督が一番エライ、としておこう。

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