現代の教養のための大学入試小論文 #15 ~〈若者〉の溶解~
ごきげんよう。小論ラボの菊池です。
今回は〈若者〉についてです。「最近の若者は~」という物言いは、しばしば憤慨や嘆きを伴います。ではその「若者」とは誰のことなのでしょうか。
キーワード
〈若者〉の溶解
説明と要約
若者論が「今日の若者は○×化しつつある」という変化の語りであるのに対し、そのような語りをなす人々の足元こそが大きく変化している。その足元の変化とは、「若者」なるカテゴリーの輪郭が溶解し、もはや主語の位置を占めるのが難しいまでに不明瞭化した、というものだ。たとえば、政府の「若者」の定義も、39歳までが「若者」とされており、「若者」の上限が上がっている。「若者」カテゴリーは、「若者は…」という言明を無意味化させかねないほどに溶解しつつある。この溶解は、「女性や男性」「地方出身者と都市出身者」などのような分類の方が適切だということにつながる。
この解体は、別の同質性の浮上でもある。ある一定の価値感について、世代間のギャップと呼ばれるものは、年代が下がるにつれて小さくなっていることがNHKの調査でわかっている。世代のまとまりが、ある世代に属する人々に価値観がどれほど共有されているかに応じて現れてくるとしたら、まとまりの輪郭はみえにくくなっていく。また、これは世代を超えたまとまりが形成されうることを示している。
出典
川崎賢一・浅野智彦編「〈若者〉の溶解」勁草書房、2016年
出題校
埼玉大学教養学部教養学科(後期)
解説
「最近の若者は…」という愚痴(?)は古代エジプトの落書きにもあったほど、人間においてある意味で普遍的なものであり続けてきました。世代が違えば考え方が違うのが当たり前だということが前提になっています。そういった一般的な考え方に対して筆者は、そもそも〈若者〉という概念は明確に存在していないのではないかと論じます。確かに、接するメディア、特にネットが提供するものが似通ってきて、世代間ギャップがなだらかになっているというのはうなずけます。これは有史以来、はじめての〈若者〉観の変容なのかもしれません。ここに、新たな連帯と紐帯が生まれる可能性すら有しているように私には思えます。
拙著もよろしくお願いいたします。それでは♨
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