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現代の教養のための大学入試小論文 #2 ~コミュニケーション能力とは何か~

ごきげんよう。小論ラボの菊池です。拙著もよろしくお願いいたします。

今回は「コミュニケーション能力」を扱います。うまく話すことだけが「コミュニケーション」ではないようです。

コミュニケーション能力とは何か

 コミュニケーション能力とは、コミュニケーションを円滑に進める能力ではなく、コミュニケーションが不調に陥ったときに、そこから抜け出すための能力のことだ。相手の意図することがわからないときに、自分から情報を聞こうとする姿勢である。これは臨機応変に、即興で、その場の特殊事情を勘案して、自己責任で、適宜コードを破ることだ。コードは既に決められたことであるから、コードを破る仕方はコード化できない。すなわち、コミュニケーション能力とは、「適宜ルールを破る」こと、言い換えれば「ふつうしないことをする」ことだ。
 しかし、現代社会は、ありうるすべての事態を網羅的に列挙し、それについての個別の対応を精密にマニュアル化すべきだという病に陥っている。このマニュアルの精緻化は、どうしてよいかわからないときに、適切にふるまうという人間が生き延びるために最も必要な能力を傷つけている。コミュニケーションがうまくいかない人たちは、「ルールを破る」ことができない人と言ってもよい。
 このコミュニケーション不調からの回復方法は、相手に発言の優先権を譲る、対話というマナーだ。対話においては真理は未決としなければ相手を説得することはできない。自分の「立場」をずらすということだ。そして、対面している相手の知性に対する敬意を手放してはならない。「コードを破る」というふるまいは、相手の知性に対する敬意をもつ者にしかできないのだ。

出題校

下関市立大学(前期)

出典

内田樹『街場の共同体論』(潮出版社、2014年)

解説

 「コミュニケーション能力」と聞くと、自分の意見を滑らかに伝えることや、相手との意思疎通を円滑に行うことだと思いがちです。筆者は、コミュニケーションがうまくいかないときに役に立つものがコミュニケーション能力だと指摘します。そしてそれは日々私たちが従っている有形無形の「コード」を破ることだとします。「マニュアル」に従うことはコードを守ることでしかなく、それでは危機に瀕したときに自分の身を守ることができなくなるとも言っています。
 ちなみに、この問題の設問は、「筆者の主張に反論しなさい」というものでした。筆者の考えとコミュニケートを図ろうとするもので、面白いですね。

それでは♨

皆さまのサポートで、古今東西の書物を読み、よりよい菊池になりたいと思っております。