現代の教養のための大学入試小論文 #6 ~福祉的な態度~
ごきげんよう。小論ラボの菊池です。
今回のテーマは「福祉的な態度」です。これだけだとなんのことだかわからないかもしれませんね。それは読んでのお楽しみです。
福祉的な態度
福祉は情報への配慮であふれている。視覚障害者のための点字ブロックや図書館での読み上げサービスもそうだ。ここでは「アクセシビリティ」という言葉がよく聞かれる。もともとは施設やサービスへのアクセスのしやすさ、その度合いを指す言葉だったが、近年は情報に対するアクセスのしやすさ度合いを指すことが多い。「アクセシビリティ」とセットでよく使われるのが「情報格差」だ。ハンディキャップのある人とそうでない人との情報量の差(=情報格差)をなくすことが社会的包摂に必要だという考えの下、アクセシビリティを高めるための福祉的活動がなされている。
ここで注意を要するのは、障害のある人とそうでない人との関係が「福祉的な視点」でしばられることだ。すなわち、健常者が障害のある人と接するときに、何かしてあげなければならない、特に情報を教えなければならないと構えてしまうことだ。
情報ベースで付き合う限り、見えない人は見える人に対して劣位に立たざるをえない。そこでは健常者が障害者に教え、助けるサポートの関係が生まれる。福祉的な態度とは、「サポートしなければならない」という緊張感であり、それが見える人と見えない人の関係を「しばる」ことになってしまう。
出題校
鳥取大学医学部保健学科(後期)
出典
伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書2015年)より抜粋。
解説
「ノーマライゼーション」という考え方が叫ばれて久しいですが、「健常者」と言われる人々は、「障害者」と言われる人々に対して、果たしてフラットな立場で接しているのでしょうか。どこかに「何かをしてあげなくてはいけない」という義務的な意識が働いてはいないでしょうか。もちろんそれが当人のためになるのであれば何も支障はありません。しかし、それが心理的な障壁となったときに、「障害者」と言われる人々の心は傷つくでしょう。今までは普通の友人だったのに、自分の目が見えなくなった途端に態度が変わった例が課題文にもあります。
そもそも、私たちは誰もがいつでも「障害者」になり得ます。そのときに自分に向けられる眼差しがどのようなものであればよいのかを想像できれば、より住みやすい社会になります。もちろん社会的なインフラ構築も重要ですが、知らず知らずのうちに私たちの内に醸成されている固定観念を都度破っていくことも必要でしょう。
拙著もよろしくお願いいたします。それでは♨
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