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現代の教養のための大学入試小論文 #10 ~ダークツーリズム~

ごきげんよう。小論ラボの菊池です。

「ダークツーリズム」という言葉は、あまり聞きなれないものかもしれません。実はヨーロッパでは学術書も書かれている概念です。

キーワード

ダークツーリズム

説明・要約

 ダークツーリズムとは、戦争や災害をはじめとする人類の悲しみの記憶を巡る旅である。この概念は1990年代からイギリスで提唱されている。学術論文には1996年に登場し、初の学術書は2000年に著された。ヨーロッパでは、歴史的記憶はポジティブな情報だけでなく、地域にとってはあまり好ましくないネガティブな情報も引き継がれ、一部は展示に供される。自分にとって都合のいい情報だけを扱うわけではなく、思い出すことも辛く悲しい記憶が当然のように承継されている
 課題も現れはじめている。ダークツーリズムの聖地とも言われるアウシュビッツでは、ここ10年で入場者数が3倍以上に増えるなど、悲劇を商売にしているのではないかという批判がある。また、9・11同時多発テロ事件の現場であるニューヨークのグラウンド・ゼロでは、大量の観光客の入り込みが厳粛な祈りを妨げており、ダークツーリズムは物見遊山と区別できないという意見も出ている。また、日本において顕著なことだが、悲劇の場への来訪を不謹慎とする風潮は、ダークツーリズムの普及の足かせとなっている。

出典

井出明『ダークツーリズム 悲しみの記憶を巡る旅』(幻冬舎 2018年)

出題校

神戸市外国語大学外国語学部(後期)

解説

 課題文の筆者は、ダークツーリズムについて、何らかの価値があると語っています。
 一つには、悲しみの記憶を辿ることは辛く苦しいことかもしれないが、その経験を重ねるうちに、自分の命が驚くほど多くの偶然によって支えられ、何者かに生かされているという感慨をもつことが挙げられます。この時、ツーリスト自身に内的なイノベーションがおこり、自分の人生を大切に思うようになります。今ある自分の命を何らかの形で役立てたいという気持ちが湧いてくるのです。地域の悲しみの記憶は、実は隠すべき対象ではなく、潜在的に新しい価値を有しています。そして、その価値は生き方の覚醒や社会構築といったレベルに波及するのです。
 また、筆者は、ダークツーリズムの旅を続けることで、近代の構造が見えてくるという効用もあるとします。例えば、被爆地としてのヒロシマやナガサキだけでなく、核を肯定するエノラ・ゲイ出発地の記念碑をも見ることで、核兵器についての多面的な歴史観が形成されます。これはその地から距離をおいた「旅人」だからできることであり、その地と同化した場合には、マクロ的視点で体系性を捉えることは難しくなります。こういった、「近代とは何か」という根源的問いに対する思いが沸き上がることが、ダークツーリズムの本質的価値の一つなのです。

 「観光」というと、いわゆる「物見遊山」でポジティブなものと捉えられがちですが、こういった負の遺産を見て考えを深める「観光」も存在します。もちろん程度の問題もありますが、一定のレベルでは日本を含め様々な国々が取り入れていくべきものが「ダークツーリズム」なのだと言えるでしょう。

拙著もよろしくお願いいたします。それでは♨


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