誤解されているCSAと、農業のこれから。
CSAが誤解されている。
CSAは、ただの先払いでもないし、ただ天候不順や収穫不良を許容する仕組みではない(先払いした代金を返さなくて良い話ではない)。それでは購入者に一方的にリスクを背負わせているだけで、リスクを"分担"することになっていない。こういう誤解やすれ違いをそのままにしておくと、一時期横行した牛肉ファンドや蛸壺オーナー制度のような詐欺にも繋がる。
近年のCSAは、購入者側は先払い・予約購入をするが、厳格な納期や量、規格を求めない、というくらいの「委託生産契約」または「売買契約」だ。天候不順や不作であれば、生産者は翌作や別の作物で補う必要があって、決して納品を免責するものでもないし、代金を生産者の所得補償に回すものでもない(それは保険か補助金の役割)。あり得るとしたら、野菜などの単価を固定することで相場下落の影響を受けにくくする、くらいのものだ。
生産がうまく行かなくても代金は返さなくて良い方が生産者には都合が良いから(厳密には不当利得なのだけど)、そういう極端な事例がCSAだと認識されているのかも知れないが、実際にはトラブルの方がはるかに多い。
さらに寄付好きなNGOや、生産者支援?を掲げる思考停止の輩が率先してミスリードするから、購入者側にも不必要感や不信感が生まれる。分かりやすく言えば「クラファンしたけど、返礼や納品がないプロジェクトと同じ」という認識を持った方が良い。
もちろんCSA自体は自由に設計・条件設定ができるし、様々な形態がある。にも関わらず、CSAがバブル期を境に衰退した理由は幾つかある。急速な都市化に伴って畑離れが進んだだけじゃない。スーパーなどで品質の良い食材がワンストップで手に入るようになっただけでもない。先払いしたのに納品されなかったり、生産者が秀優品は市場や事業者向けに優先的に出荷し、余ったものを購入者に送りつけるような形になって、購入者の満足度や信頼度が下がったこともあるのだ。過去に何が起きていたかを知らないと、歴史は繰り返す。
CSAはもともと「Cosumer/Customer Supported Agriculture」の略。最近では何でも"コミュニティ"ブームなので「Community Supported Agriculture」の略の方が定着している。問題は、こうしたCの定義より、Supported(支援)の部分にカンチガイがあること。生活者が農業を支援するというのがそもそもカンチガイだし、金銭を先払いして生産者の暮らしを補償(保障)するというのもカンチガイ。
CSAの起こりは、公害大国だった我らが日本。
農薬不使用なども含めて安全安心な生産プロセスを購入者側にも共有・開示したり、手間のかかる栽培などを購入者も参加して手伝ったり…などの、いわゆる「信頼性・関係構築プロジェクト」がはじまり。
まず種苗や資材を共同購入し、作業もできる限り一緒にやり、出来上がった作物も流通規格に合わないのでメンバーで分け合う(共同購入する)というもの。先払い関係のことではなく、作業的な支援・主体的な参加の意味合いだったのよ。だから、ただ先払いする直販をCSAだと叫んだところで、2010年代の農業ブームの時すら流行らなかったわけ。
正直、CSAに向くのは、天候だけではない様々なリスクを乗り越える生産技術・経験もあり、生育状況を詳らかに購入者に公開でき、かつ生産体験などの受け入れや指導・アテンドもできるような一部の生産者さん。個人的には「未来に残すべき小規模生産者さん」だけだ。誰にでも向いている/できる話ではないし、特に新規就農者がいきなり引き受けるには厳しいと思う。
さて。ひとしきりCSA界隈を見渡した後で。
改めて、これからの農畜水産ってどうなるのだろう(どうしたいだろう)…と観察や試行錯誤も続けているのだけど、最近の僕なりの方向性・解としては「モノ(生産物)の売買(金銭・対価関係)ファーストではなくなっていく」だろう、ということ。
農産物は究極はコモディティだし、オンライン直販とかは飽きられもしていて、それでは生産者と生活者は「繋がらない、続かない」ことが明らかになって行く(既に明らかになっている)のだろう。
これからの20〜30年。
生活者、しかも子供からその親、働き盛りからご年配に至るまで、農畜水産業に主体・活動として参加するのが当たり前になって行く。農村社会から分業化・都市化を経て、ようやく生産者と生活者の体験やリテラシーの一体化が進む「(再)学習の時代」に入って行くはず。
農畜水産に限らず、フィールドワークやフィールドラーニングが中心の「学ぶ=つくる(つくるに参加する)」社会に一気にシフトすると見ているし、僕らもそうした動きを推し進める仕組みをまた作ろうかな、と思っている。
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