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名門落研を持つ大学の附属高校にいた僕

タイトルがややこしいなと自分でも思った。今日は極めてプライベートな話をする。

僕は芸人の本を読むのがとても好きなのだけど、エレキミックやついいちろうさんの「それこそ青春というやつなのだろう」を昨日読んで学生時代を思い出してしまった。かつ、かなり売れてるでお馴染みの飯塚さんのインタビュー記事を読んで僕も書かずにはいられなくなった。この2つはリンクしている。

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というのも、やついさんや飯塚さんの通っていた八王子の大学は僕の友人の90%以上の人間が通っていた大学であった。

なぜかというと理由は単純。僕はその大学の付属高校にいたので9割の人間はそのままエスカレータ式に上がっていったからだった。(僕はやりたいことがあったので別の大学に行った)

よって、学生時代はその大学によく遊びに行っていた。

最強の落研に勝手に励まされていた

八王子までいくのはお金もかかるし時間もかかって嫌だったけど、大学に行けば誰かしらいたので楽しめた。勝手に授業に出たことも何回もあるし、友達や当時の彼女を待つために食堂でよく本を読んでいた。今でも大学構内の青葉を鮮明に思い出すことができる。

その大学は落研がめちゃくちゃ強い大学で、今でもテレビで活躍する芸人がたくさんいる。ナイツとかエレキコミックとかドキドキキャンプとか。それを誇りにしていた。僕も面白いのでは?と勝手に勘違いしていた。

八王子のプリズン

本の中に出てくる、やついさんとナイツ塙さんが住んでいた通称「八王子のプリズン」と呼ばれる家賃1万8000円の「すさき荘」は犬目町のセブンイレブンの裏にある。

工学院大学を横切ってバス停の真ん前にあるところだ。まさにその辺りに大学時代に交際していた彼女が一人暮らししていたこともあり、度々行っていた。今それを知って、「あそこに住んでたのか!」と驚いている。あの周辺は学生ばかりが住んでいて、僕の友達も多く一人暮らしていた。よく泊まりに行かせてもらって夜通し語り合った。やついさんも塙さんもあのラーメン屋でラーメンを食べたのかなとか浅川を眺めて将来を想ったのかなと思うと考え深い。ちなみにだが、あの辺は食べ放題のイタリアンができたりコメダ珈琲ができたりとだいぶ賑やかになっている。

犬目町から大学にいくには長い坂を二つ乗り越えないといけない。みんなが想像する坂の10倍は険しい坂だ。

ある日、やついさんはこの坂を雨の日に傘を差しながら立ち漕ぎをする。「このまま空を飛べるのでは?」と思って手を離し、思い切り地面にたたつけられたらしい。この話にはだいぶ笑ったが、その気持ちはよく分かる。それだけ長く天に登っていくような坂なのだ。

そこから出てきた放送作家

それから本の中に「ヒロさん」という後に放送作家になる人が出てくる。

僕は堀江さんがチーフだった特番をやっていたことがある。堀江さんはマネーの虎を生み出した人で無条件に尊敬していた。親友の高平くんととマネーの虎を見ながら何回笑ったかしれない。その堀江さんが「ヒロハラの企画は面白いんだよ」と会議前の雑談にボソッと言っていたことがある。当時、知らない名前ではあったが、何でもメモする癖のある僕は、あの分厚いメモ帳に「ヒロハラさんという人はすごいらしい」というメモを残した。

そして、それはやついさんのエッセーの中に出てくる2つ上の先輩「スターがやってきたな」でおなじみのヒロさんなのだ。ヒロさんもそこの落研出身だったのである。点が線になり1人で勝手にえらく感動してしまった。

それから、今テレビ業界を席巻しているといっても過言ではない放送作家・飯塚さんもその落研出身なのだ。インタビュー記事にはこうある。

ナイツさんは2⼈とも⼤学の落研の先輩なんです。作家になるために都⼼の⽅に引っ越そうとしたときも、「ウチの近所に来たら?」って⾔ってくれて、⼤学卒業後しばらくは⼟屋(伸之)さんの実家の近所に住んでました。ライブなどのお手伝いをさせてもらいながら、たまに⼟屋さんのお⺟さんに⼣⾷をごちそうになったりしてました

つまりある時代に売れっ子芸人と天才放送作家が落研に密集していたわけである。

飯塚さんとヒロハラさんの2人とは全く面識がない。若手放送作家の中でも屈指の無名で知られている僕が会える機会は当分ないだろう。というかないだろう笑 巡り合わせで会える時が来るかもしれない。

ちょっと熱くなってきたので落ち着きたいと思う。

大学芸人、全盛

今、世はお笑いサークルの出身者全盛の時代である。

その中でその大学は今でも関東の大学お笑いの頂点に君臨していると言って過言ではなかった。大学芸会でも結果を残しているし、そのままプロになって売れはじめている若手芸人も何組かいるからだ。そしてその礎を作ったのはエレキコミックであり、ナイツなのである。やついさんが4年生の時にナイツ塙さんが一年生として入学してくる。

そこの附属高校にいた僕

さて、そんな大学の付属高校に僕は通っていた。ここが本題なのだが、熱くなりすぎて前置きが長すぎた。強引に結んでいる気もするが、附属高校と大学の空気感は結構似ているので勘弁してほしい。

正確に言うと中高一貫だったので僕のDNAはあの田舎での六年間でほぼ形作られたといっていい。そしてそれを何よりも誇りに思っている。

どんな感じなのかというと、やっぱりユーモアを大事にしていた。ギャグセンスが高くて性格が良い奴らが多かった。高校からそのまま大学に行って落研に行く人は何人もいた。

高二の時は必ず授業前に最近あったすべらない話を僕に振ってくる先生がいたので、その授業は毎回ドキドキしていた。面白い話を見つけて、しっかりと構成をし、練習までしていたんだから今考えると涙ぐましいなと思う。

隣の女子が「菊池くん、あれは話の順番を変えた方がいいよ」なんて言ってくるので随分と苦労した。

その子のお兄ちゃんはケイダッシュで芸人やってるんだから、今となっては何も言えない。ジャガモンドというんだけど、のちに大学生を対象とした主要なお笑い大会すべてで優勝してしまうお笑いエリートになった。早く売れて欲しい。ちなみにそのジャガモンドのネタを見に大塚まで行ったことがある。チケット代金は500円だった。ゲスト出演が部活の先輩だったので行ってしまったのだ。その部活の先輩は激ヤバ芸人しかいない事務所ソニーミュージックに所属していたが、今はもう辞めてしまった聞いた。芸名は「ピッピ君」というのだが、芸名からしてやばい。ハリウッドザコシに憧れていると言ってたから絶対にやばい。今、何してるのかな。みんな舞台もないところで大汗かいてネタをやってて、胸にこみ上げるものがあった。頑張ってる姿を見ると泣いてしまう。

高校の時の僕はあまり一発芸を振られることはなかったが、一発芸を振られる人は休み時間中、千本ノックのように一発ギャグをしていたのですごいなと思った。それをみんなでずっと見守るのだ。面白い奴が強いという特殊な高校だった。みんなギャグセンスを必死に磨いていた。

もちろん、全くギャグセンスがなくても学校生活は平和に過ごせるし、楽しめるのでその辺は安心してほしい。その文化がそのまま大学へと持ち越されたのだと思う。高校の方が大学よりも開学は早い。しかし、エレキコミックとナイツが大学のお笑い文化を確立させたといってもいい。

やついさんの本の中で印象的な言葉があった。

面白くない奴なんていない」というものだ。やついさんはそれを信じて、お笑い組織を作り上げて今日まで続く最強の落研を作り上げていったのだ。そう思うと感動してしまう。僕もやはり身近にいる人たちの可能性を信じてあげたいし、僕自身の可能性をも信じてあげたいと思った。

よし、もう一回繰り返そう。面白くない奴なんていない。ってね。



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