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初潮の話

私の初潮は早かった。9歳。
あれから早いもので30年近くが経とうとしている。・・・30年?すごい。
私は今年37歳になる。

なぜこんなことを書こうと思っているかというと、たぶん自分の人生を振り返りたくなったからだ。
なぜ振り返りたいのか。それはきっと私に子供がいないからだ。

私は結婚して6年目で、夫と二人暮らしである。子供を強く望んでいるのか
と聞かれれば、「はい、ほしいです」と迷いなく言えるほどには、子供を望んでいないのかもしれない。色々な理由をつけて子供を授かる努力をしてこなかったのだから。
不妊治療をするには時間もお金もかかる。そして授かった後にも、もちろんお金がかかる。そのお金を捻出して子供を育て上げるために、私は働きつづけることができるだろうか。いや、きっとできない、と思っていたし、今も思っている。不妊治療と仕事を両立する自信が、正確にいうならば、今の収入を保てる仕事と両立する自信がないのだ。あと、2年は夫の子供への養育費の支払いが残っている。今はお金が必要だ。今の職場を辞めて別の場所で今と同じくらい稼げるようになるには、結局今と同じくらいか、それ以上に努力しなければいけないなら、どのみちジリ貧な気がしてしまう。今だってどこか身をすり減らして働いているような気持ちなのに、もう頑張れない、と思ってしまう。結局自業自得だけど、それが今の私だと思う。
でも、授かることができたら、覚悟を決めて育てていくのだと思う。
だって、本当は欲しいのだから。

初めて生理が来た時のことは、今でもはっきり覚えている。
学校から帰ってきて、ピアノのレッスンに行く前にトイレに入ったら、パンツに茶色い染みができていた。もう随分前におもらしも卒業していたから、それが何かわからず驚いたし、下着を汚してしまったことを母に言うべきか一瞬迷った。でも、結局母にそれを見せた。
母は「これは生理って言って、女の人はみんなあるものなんだよ」と言った。パンツにこれを着けるんだと言って初めて渡されたナプキンは、ウィスパーだった。トイレにある小さな棚にそういうものが入っていることを、その時初めて知った。
今はもっと改良されてスリムなものも売っていると思うけど、当時実家にあったそれは結構厚手で、今より体も小さかったから、パンツの中がゴロゴロしてとても変な感じがした。
「みんなつけてるんだから、そのうち気にならなくなる」と言われたけど、「本当に?」と思っていた。
ちょっとガニ股になりながらピアノのレッスンに行ったけど、大人の女の人は何食わぬ顔でこんなものをパンツに仕込んでいるのか、と当時少女だった私は思ったのだった。

夕方、母からそれを聞いた祖母が赤飯を買ってきた。近所の和菓子屋さんで売らせている、透明なパックに入った赤飯。「お祝いだから」と言われたのか、「おまじないだから」と言われたのか覚えていないけれど、弟には特に説明されないままの赤飯を、私は勧められるまま食べた。
夜会社から帰ってきた父がひょこっと食卓を見に来た時に、母が「お姉ちゃん、今日きました」くらいの本当に一言の報告をしたとき、父は一瞬きょとんとして、すぐに事態を理解してお風呂に入る準備を始めたのだった。記憶の中の父の髪はまだ黒かった。あの時の父は、今の私と同じくらいの歳だったんだな、と思うとなんだかしみじみする。
今は初潮のお祝いに赤飯を用意するのに否定的な意見もあるようだけど、私は生理というものが何かを知る前に初潮が来てしまったから、そんなことしないでとか、家族のみんなには黙っててとか、そういう気持ちはさらさらなかった。だって、それを知られることが恥ずかしいことなのかも、そうでないことなのかもわからなかったのだから。

そう、あれから30年近くたつ。

初潮を迎えてからの様々な体の変化や、それに伴う周囲の視線の変化、自分の体への嫌悪感に似た思い。
初潮を迎えてから思春期に突入していく頃の私は、今まで全く見えていなかった世界が急に幕を開けて、心の準備もできていないままそれを見せられているような日々だった。

女の子でいることが怖かった。
女の子でいることがつらかった。
色々なことがたくさんあった。

あの頃に死なないで生きてきて、本当に偉かったね、と少女だった自分に言いたくなる。

私は生きてきたんだ。

「赤ちゃんを産む準備が始まるんだよ」と、言われた30年前。
私はもう大人で、何食わぬ顔でナプキンを着けられるようになった。
私はいまだに準備をしている。でも、その準備は、これからも準備のままかもしれない。リハーサルを繰り返して、ついぞ日の目を見ることなく、そっと幕を閉じる一人芝居。私が毎月おなかの中でドラマチックなリハーサルをしていることを、周りの人はきっと気づいていない。

クラスの、いや、学年の誰よりも早く準備を始めたのに、なぜいまだに準備をしているのか。なんだか居残りをさせられているみたいだ。

でもそのおかげか、今でも少女の私は心の中にいてくれている。
私は私を育てていく途中を生きているのかもしれない。

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