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煙につかる―心と体を整える方法

 家の近くにあるコンビニ前の喫煙所で、ジノのミニシガリロに火をつける。ライター越しに、剥げかかったパンプスのつま先が目に入った。

 シガリロは、葉巻の葉っぱを使っているが、タバコのような短さと細さで、5分ほどで吸い終わる。葉巻っぽさを手軽に味わえるので、仕事で疲れたときは1本吸ってから帰ることにしていた。

 同棲を始めて約半年。学生時代から一人暮らしをしている者同士、家事の必要性は分かっているので、料理を作ってもらったら皿を洗うとか、なんとなく分担はできている。仕事が忙しくて週末しか会えず、平日に仕事用の化粧をして、休日にデート用の化粧をして肌に負担をかけまくっていた頃より、家に帰ればゆっくり話ができる環境に満足していた。

 けど、調子が悪い、気がする。…悪くなっていく、気がする?シガリロは気づいたら3本目になっていた。家では禁煙で、帰る前の軽いリフレッシュのつもりだったのに、物足りない。脂ぎったとんこつラーメンが食べたいけど、ざるそばを食べているような違和感。

 シガリロとはいえ、人の出入りの多いコンビニで葉巻を吸っているのも、深々とした椅子に座って、ゆっくりフルコースを味わいたいのに、前菜だけを立って食べてるような気恥しさがある。

 1人になる時間が持てないとか、私が洗ったあと水切りトレーの中の食器を動かす音が聞こえるとか、外出するときにマスクをつけるせいで肌荒れしているとか、暑い日少しでも涼しいようにと思って買った白いジャケットにいつの間にかシミがついてるとか。

 1つ1つの大したことない出来事が、少しずつ澱のようにたまって、調子を狂わせていた。

 太さと長さのある葉巻を吸ってチューニングしよう。

 翌日、化粧もせず、オーバーサイズのTシャツとガウチョパンツ、サンダルを履いて家を出た。昼間からやっている多店舗展開のシガーバーに行き、コーヒーを注文する。

 個人経営のカウンター席しかないバーとは違い、広々とした喫茶店のような店内は、ぽつぽつ人がいるくらいで、店員さんも注文を聞いて持ってくるとき以外近寄ってこない。

 葉巻を吸うことだけに集中したかったので、必要最低限のやりとりしかしなくていいのはちょうどよかった。

 壁に陳列された葉巻をゆっくり眺める。目的無く本屋に行って目についた本を買うように、吸うものを直感で選んだ。

 マッチで先端の外周をあぶっていく。燃えた先から煙が漂い、お香のようにじわじわと広がる。しっかり火がついているのを確かめ、口いっぱいに煙を吸い込んだ。その煙をゆるゆると吐き出していく。

 タバコと違い、葉巻は煙を吸い込まない。味と香りを楽しむものなので、気管や肺に煙を入れたらもったいない。舌、口、鼻で時間をかけて味わう。太くて長いほど葉の量も多く、火のついた先端から口にたどり着くまで時間がかかり、ろ過されてまろやかな煙になる。

 いまの生活が前より良かったとしても、ちょっとしたモヤモヤは溜まる。それを無視していると、なんとなく心も体も調子が悪くなってしまう。ベストな状態に少しでも近づけるように、いまの自分とゆっくり向き合う時間は大切にしたい。

 ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて、広がっていく煙をぼーっと眺める。サウナと水風呂に交互に入って血行が良くなるのを整うと言うらしい。何となく調子が悪かったが、誰にも邪魔されず、一人で葉巻を吸ったことで、たまった澱が煙と一緒に出ていき、整った気がした。

 夜ご飯を食べる前に靴を磨こう。コンビニには寄らず、スキップしたいような気持ちで家に帰った。

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