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いつでも、ひとり祈ることを選べますように。 ──2018年12月

年越しは、できるだけただひとり、しずかに過ごしていたい。

ノートとペンと、すきな音楽をおともに。あたらしいはじまりの瞬間は外に出て、ただ夜の闇を見上げる。そして、ただ祈る。


祈る。そう、祈るしかない。それも、ひとりで。

今年あらためて気づいた、大きな発見のひとつかもしれない。


お正月を会社員でスタートした今年、1月末で退職してフリーランスになり、3月から8月までの半年間はアシスタントと業務委託をしながらフリーランスとしての生き方を少しだけ教えてもらい、9月には縁もゆかりもなかった新しい地・滋賀に引っ越して。

もしかしたら、今まででいちばん「生かされてきた」と実感した一年かもしれない。ひとりじゃほんとうに、何にもできなかった。どこにも行けなかった。


今年出会ってきたひとたちのことを、今年会わなかったひとたちのことを想っていたら、涙がこぼれてきた。

ほんとうに残念ながら、わたしはたいした人間じゃない。だから、ひとからしてもらったことの半分どころか、1割もきっと気づけていない。たくさんのものをもらっているはずなのに、見落としてしまっている。

そして、強くありたいけれどまだまだ強くなれなくて、できるだけ理想的なひとでありたいけれどちっともそんなところには届かなくて。しあわせを祈っていたいのに、誰かを傷つけてしまうことも多分にある。残念ながら、悔しいことに。


一方で、わたしはたくさんたくさん愛され、たくさんの祈りに守られている。そうじゃなきゃわたしは今ここに立ってはいられない。

それなのに、わたしはその愛に対して何かできるのかというと、何もできない。

言葉を記しても、わたしが何かアクションをおこしても、誰の力にもなれない。というか力になろうとすること、ひとを変えようとすることが間違いで、結果的にそのひとが変わったとしたらそれはそのひとの決断でしかない。


だからこそ、ひとり祈るしかわたしに許された抵抗はないのだ、と突きつけられた一年だった。

無力だ。無力でしかない。しかも自分の努力でなんとかなる自分のことですら、なんとかできていない。

でもその「無力」に正面から大真面目に向き合ったら、自分の無力さと罪悪感に死にそうになってしまう。


無力なわたしが許された唯一の現実への抵抗の手段、それが祈りだった。自分の力がまったく及ばない事象があって、自分の小ささと情けなさに辛くなって、そういった現実を前にしたときに祈るしかない、ということを教わったのは、ミッションスクールだった中学高校だった。

あの6年間で教わった、いちばんたいせつなことなのかもしれない。そう気づいた今年だった。



祈りしか、わたしの手のひらにしかないから。

この人生、いつだってひとりで祈ることに立ち帰れるように。

「こうありたい」と思う自分になれていなくたって、「こうありたい」という祈りに戻れるように。



出会ってきたひとたちの期待に応えたいとは思わないけれど、出会ってきたひとたちが「おめでとう」と言いたくなるくらいに、自分の人生に、一つひとつの選択に胸を張って生きていきたい。

だからもう、いつだって空を見上げられなくなることだけはしない、と決めた。

たくさん愛を受け取っているんだから、この小さな約束だけは守れるようにしよう。すがすがしく空を見上げて、頭に思い浮かぶひとのしあわせを願える自分に。

そして、いつでも「こうありたい」と祈れる自分に。


2019年になりますね。2018年、たくさんの愛のおかげで生きてくることができました。心からの感謝と愛をすこしでもお届けできますように。

よいお年をお迎えになれますように、祈ります。


12月のお仕事

FUJIFILM『写真と、ちょっといい暮らし。』12月1本目を執筆しました。


ウェディングパークさん企画『結婚あした研究所』でイラストレーターのはしゃさんを取材し、執筆しました。

あまり年の変わらない、同じ「表現」を仕事とするはしゃさんとお話できてうれしかった。自分のための表現がそのまま誰かを喜ばせているって希望だよね。

FUJIFILM『写真と、ちょっといい暮らし。』12月2本目を執筆しました。

いただいた写真がとてもすきで、素敵な撮影現場だったんだろうな〜と思いながらの執筆。誰かの節目のプレゼントに使ってみたい。

***


2019年、またまた激動の一年になる予感がします。というか激動じゃなかった一年がないのかもしれない、この人生。


1. 「こうありたい」と祈れる自分でいること
2.ひとりであること、孤独をそのままに引き受けて、愛すること
3.自分をまっすぐに抱きしめて、誰よりも自分が自分を信じていること
4.矛盾を引き受けて、前に進むエネルギーにすること
5.会社を辞めた理由「たいせつにしたいひとと自分を、たいせつにしたい」をすること

これは一生の祈りかもしれないね。


2019年、私の干支・いのしし年の一年を全力で駆け抜けてみようと思います。どうぞあたたかいお見守りをいただけたらうれしい限りです。

そしてみなさまもすてきな一日、すばらしき一年を。

言葉をつむぐための時間をよいものにするために、もしくはすきなひとたちを応援するために使わせていただこうと思います!