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自己基盤がガツンとやられた話。

 今日は久々に凹みました。

 資格取って、いくらかセッションの経験も積んで、コピーライターとして数知れない取材をしてきたからこそ相手の気持ちの動きを見逃さない自信も結構あったのですが‥。甘かったです。いえ、まだまだ甘くて緩いことはわかっていたんですよ。そこを強化する勉強を重ねるつもりもしていたし。

 凹んだのは、甘くない本気のセッションを体験し、頭をガツンとやられたのがまず一つ。でもね、それは凹むというより、むしろすごく貴重な経験をした、ともいえる一時的なショック状態。本当に凹んだ原因は、その本気のセッションを受け入れる態勢が私の中に整っておらず、ガツンとやられたことを悟られないように取り繕ってる自分がいたことでした。

 これって、自己基盤、全然ダメです。

 そうそう。何かにつけて人より自分はどうか、という視点で見てしまう人でした、私って。どうでもいいことでも。たとえば自分は女性としては背が高いほうで、たいていの女性は自分より背が低い。まれに自分より背が高い女性と会うと、なんだかびびってしまう。ほんと、どうでもいいことです。ただ、どうでも良くもない場合もあって。学歴、年齢、肩書き、職歴、落ち着き、余裕、勇気‥etc.。よくよく考えてみると、万事にそういう視点を持っていたんですよね。中でも自分が持ちたくて持てていないものを持っている人に対する劣等感が半端ない。そういう場合はついつい相手の顔色を見るような言動をしてしまう。一方で、自分が持っていなくても平気なものは、持っていないことを誰も聞いてないのに開示する。開示することで相手との距離感が縮まることもあるけれど、ニュートラルな視点では接していなかったわけですね。

 今日の場合、お友だち感覚でセッションを受けはじめたら、ふいにすごく高いレベルのものを見せられて、急にお友だちからリスペクトの対象になっちゃって、そうなるとどうもコンプレックスが先に立ってしまって下手に出るというか情けない自分が顔を出すことに。自分を開示しないと始まらないコーチングセッションだから、なおさら情けないなぁと思ってしまったのです。もちろん、コーチたるものクライアントを評価するようなことはしないのが鉄則だし、本気のコーチングができる人なら評価なんて思考さえ働かない。クライアントの力を心から信じ、応援するのが役割なのだから。頭では重々わかっていたし、しているつもりだったことが、まだまだだったと、クライアントとして気づかされた経験でした。

 人と自分を比較する視点を持ってしまう‥‥これはまぎれもなく自分の思い込みフィルター、ビリーフによるものです。ビリーフを取り払うのは一筋縄ではいかない、ということだけはわかっています。でもコーチングで人と関わっていく以上は避けては通れません。自分でできるか、人の力を借りるか、いずれにしても覚悟を持って取り組んでいく課題がまたできました。

 

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