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人生最高の瞬間~聖火ランナーに選ばれて~

初めまして、リズムタウン仙台内に併設されております、リズム保育園園長の板橋です。
私は2021年6月20日、宮城県七ヶ浜町にてTOKYO2020オリンピック聖火ランナーを務めました。今回は聖火ランナーに選ばれた経緯、走るまでの葛藤、走り終えてからの出来事などをお話したいと思います。


▼「なぜ聖火ランナーに応募をしたのか?」

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私の聖火ランナーへの憧れは23年前の長野オリンピックにまで遡ります。この時、公式の聖火ランナー応援ソングというものを作詞作曲したのが私が最も尊敬するアーティストの槇原敬之さんでした。「足音」という曲で、今もコンサートのアンコールなどで歌われている名曲です。

♪~愛を一つ胸にかかげて行こう
せっかくの笑顔をちゃんと見てもらうために
~愛を一つ胸にかかげて行こう
後に続くみんなの光になるから♪

この曲が大好きで、いつか自分も聖火ランナーとなり、誰かに光を届けられたらという想いが心のどこかにずっとありました。
そんなところにオリンピックが東京で行われること、聖火ランナーは一般からも公募すること、仙台でも走れること、、、これを知っては応募するしかないですよね?
というわけで、今から2年前、公募しているスポンサー枠4社すべてに応募し、半年後にコカ・コーラさまより「あなたが聖火ランナーに選ばれました、おめでとう」という信じられないメールが届いたのです。その時の喜びは今でも忘れられませんが、その事を同僚に伝えた時のリアクションがあまりにも薄く、どうしてか?と聞いたところ、「えっ?だって選ばれると思っていましたよ」と言われた時の、喜んでいいのか何だかよく分からないガッカリ感も忘れられません(泣)。もし収録だったら、あの場面はもう一度やり直したいくらいです。

ちなみに応募する時には「キミ色に輝け」というテーマで自分が頑張っていることを作文にしなければいけなかったので、「足音」には1ミリも触れず、自分が代表を務めている祭連で「仙台すずめ踊り」の伝統を守っていきたい的な事を書きました。それが選ばれた要因だと思います(笑)。

▼オリンピック延期

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 「おめでとう」メールが届いてから聖火リレー当日までの期間は半年、これは大変なことになった・・と、まず始めたのがダイエットでした。それまでのわがままボディを何とかしなくては!と、ヨガ教室に通い始め、職場までの片道6キロを徒歩にしてみたり、あらゆる食事療法を試してみたり。おかげさまで目標の半分くらいは減らせたのですが、そうこうしているうちにやってきたのがコロナ禍でした。

福島からの聖火リレー目前の延期。

その頃、東村山市を走る予定の志村けんさんが亡くなったり、私の晴れ姿を楽しみに待っていた母も亡くなったりと、自分もいつどうなるか分からない状況で、当たり前のことはいつも当たり前ではないんだということが身に沁みた1年でした。
コカ・コーラさまからの「延期になっても、聖火ランナーであることは変わらない」という連絡メールだけが少しの安心材料でした。自分もなんとしても6月20日までは生きていたい。そう思っていた1年でした。
ダイエットの方はといえば、1年間の現状維持が限界でした(笑)。

2021年3月、いよいよ始まった聖火リレーでしたが、世論がオリンピック反対の方に傾き、自分が聖火ランナーであると名乗りづらく、県外からの応援に来て欲しいことも言いづらくなったりと、モチベーションが上がらない状態が続きました。そんな私を救ってくれたのがFacebookのコミュニティ「オリンピック聖火ランナー」でした。そこには全国1万人近いランナーのうち1000人を越える方がいらっしゃいました。

ここではすでに走り終えたランナーの方々との質問コーナーやzoomでの交流、トーチを保管するためのケースを作成等、日々情報を共有することが出来、この場所の存在が心の拠り所となりました。私にとっては本当にありがたい居場所でした。
ただ地域によっては公道を走れなかった方、セレモニーすら参加出来ずにトーチだけが後日送られてくる方もおり、みんながみんな手放しで喜べなかったのも事実です。私は何とか公道を走らせていただけたので、そのことに感謝をしながら、走れなかった方たちの分まで希望の光を届けなくてはと責任を感じずにはいられませんでした。

ちなみに、このコミュニティは聖火リレーが終わった今も交流は続いており、先日も遠くからランナー仲間が会いに来てくれました。コロナが収まった時にはぜひ大勢でトーチを手にオフ会をしたいところです。

そんなこんなで近づいてきた本番。本番前の1週間くらいは走ることよりもインタビューの応えばかりが頭の中をグルグル。このインタビューはアーカイブで誰にでも見られるようになっているため、どうしてもここで本当の応募の動機を言いたい!それをどう切り出すかで眠れない日々を過ごしました。

▼しあわせな一日

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そして迎えた本番当日。その町を走るランナー12名は近くの体育館に集合しました。そこではオリエンテーションをしたり、全員で写真を撮ったり、リレー前後の方とのトーチキス(火を受け継ぐ儀式)のポーズを考えたりとドキドキする間もない程忙しく過ごしました。

その後は全員で1台のバスに乗り込み、ランナーをスタート地点で一人一人降ろしていきます。バスの中も和やかな雰囲気だったので、リラックスして本番を迎えることが出来ました。

自分のスタート地点でバスを降りると、そこには垂れ幕やうちわを持った家族、友人、お祭りの法被を着た仲間たちが応援に来てくれていました。その光景を見ただけでも泣きそうになっていましたが、泣く間もなくやってきたのはコカ・コーラの応援コンボイ(トラックのような大きい宣伝カーです)でした。バスで例えると行先が書いてある電光掲示板のところがありますが、その部分に「チームコカ・コーラへようこそ」「次のランナーは板橋和枝さんです」「最高の瞬間を」と映し出されます。そのコンボイから飛び出して来たコカ・コーラの応援隊の方々があっという間に私を囲み「gogo和枝、gogo和枝!」とエールを送ってくれました。それはまるでディズニーランドのエレクトリカルパレードのようで、その中の主役になったかのようで気分が高揚しました。

休む間もなく前走者が到着し、そこで二人がトーチキスをし、ポーズを取ります。ここでは前走者の方にお願いし「仙台すずめ踊り」のポーズを一緒にとって頂きました。ここまでは打合せ通り、応援隊も声を揃えることが出来ました。

問題はその後でした。私が走り出す前に祭り仲間に「いくぞ~!!」と声がけをしてもらい、私が「おお~~!」と言って走り出すというシナリオを描いていたのですが、あまりの舞い上がりにその事をすっかり忘れてしまい、しかも走り終えるまで、全く気付いていなかったのです。のちになって思い出し、中継の映像を見返したところ、しっかりと「いくぞ~!!」「おお~~!」の声が入っていました。「おお~~!」はもちろん私の声ではなく、仲間たちの声でしたが(笑)

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走り出してからは「頑張れ~!」「和枝~!」などとたくさんの声が聞こえ、祭りの扇子を使ったウェーブを見た時には涙が堪えられなくなりました。いつもの私なら泣きながら走るところでしたが、「ここは特別な場所!笑顔で走らないと!」と自分に言い聞かせ、一瞬で涙を拭いて走り出しました。

沿道に向かって「ありがとうございます。」と言い続けていると、伴走してくれている警察の方から「正面のNHKのカメラにも手を振ってください」と言われ、正面を向きました。すると何故か突然私の口から「宮城に来てくださーい。少しずつ復興していまーす」という声が出ていました。これを言おうと準備していた訳でもなく、言っている自分に「急に何を言い出した?」と突っ込みを入れたくなる出来事でした。震災で大変な被害に遭っていた七ヶ浜という場所がそう言わせたように感じました。

距離はたった200メートルでしたが、走っている間はゆっくりゆっくり時間が流れていました。送迎のバスを降りてから聖火を次の方に繋ぐまで、あの時の数分間はこれまでの人生の中で最も特別な時間になったことは言うまでもありません。

これまでも、そしてこれからも普通に日々を過ごしていたら、人生であんなに人に応援されることはないと思います。誰もが経験出来ることではない、本当に貴重な体験をさせていただきました。ランナーに選んでいただいたコカ・コーラさまをはじめ、これまでの人生で関わったすべての方に感謝したい気持ちになりました。
さて、一番の課題であったインタビューは?と言いますと、しっかりと本当の応募動機を伝えることが出来ました。インタビュアーの方は「そんな事は資料に書いてないけど??」という顔をしていましたが、そのインタビューがその日のデイリーハイライトにも取り上げられるいう奇跡が起こりました。大げさかもしれませんが、これで槇原敬之さんのファンとしての使命を果たすことが出来たから、もう思い残すことは何もない!と思ったのも事実です。

そしてその後のトーチについてですが、私の中でたくさんの人にトーチを手に取っていただきたいという思いがあり、自分の中で1000人チャレンジを遂行中です。リズムタウンのご利用者さまをはじめ、知り合いの施設、保育園、学校、病院、町内会などに貸し出し、実際に手に取っていただいております。ある施設では57年前の東京オリンピックの聖火ランナーをされたというお年寄りの方もいらして、そんなエピソードを聞けるのも楽しみになりました。聖火ランナー仲間の間では「トーチには人を笑顔にする魔法がかかっている」と言われているので、これからもたくさんの笑顔が見られたら嬉しいなと思っています。

ちなみによく聞かれるのが「トーチはいくら位したのか?」「レプリカなのか?」についてですが、購入すれば8万円近くするものですが、コカ・コーラさまの粋な計らいによりプレゼントとしていただきました。そしてレプリカではなく、自分自身が持って走ったものをいただいていますので、世界に一つだけのトーチです。

 ▼「明日が来るとは限らない」

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10年前、私は宮城県で大震災を経験しました。家などにそこまでの被害はなかったものの、夫が津波に巻き込まれ一時的に安否が分からなくなったり、ライフラインのストップにより 当たり前だった日常が当たり前ではなくなった経験をしたことで、「明日は来ないかもしれない」という思いがとても強く残りました。以前からも好奇心旺盛なタイプではありましたが、やはり震災後からは「今出来る事、やりたいことはやれるときに」「一日一生」の気持ちがより一層強くなった気がします。 皆さんの中で「やりたいけどどうしよう?」と悩んでいることがあったなら、「やらぬ後悔よりやる後悔」それは絶対にやってみたほうがいいと思います。 ぜひ今日から!  

Text by 板橋和枝(リズム保育園園長)


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