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気功で魂を浄化できるのか?

「気功をやると魂が浄化されるのかな?」
「そもそも魂の浄化って何だろう?」

こういった疑問にお答えします。この記事を書いている私は気功歴12年です。私は「魂の浄化をしに行く」と言って、ガンジス川に浸かりにインドまで行った先生に教わっていたことがあります。

そして、先生は細菌が体内に入って、病気になって帰って来ました。先生は病気と引き換えに、魂が浄化されて聖人となれたのでしょうか?

実際の体験をもとに執筆します。

気功で魂を浄化できるのか?

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結論です。できません。気功で魂を浄化することはできません。川に浸かるのも駄目です。意味がありません。

おかしな商法にひっかからないように気をつけてください。浄化の言葉の意味は、「心のけがれ・罪を取り除いて正常にすること」

「欲望などの束縛を離れて、神聖にすること」です。つまり、魂の浄化と言ったら人格の向上です。良い人になることです。

気功をやっても人格は良くなりません。健康になって元気な人にはなりますが、良い人にはなれません。

相手がどんな気を発しているか分かるようになるので、相手の人格の高さは分かるようになります。けれども、自分の人格は向上しません。

ですので、気功を行っても魂は浄化されません。

どうすれば魂の浄化ができるのか?【気功】

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結論は、徳を積むことです。徳を積むとは、自分以外の他の人の為になる、良い行いをするということです。

他の人の為に行動することで、自分の人格が向上します。心のけがれとは、自分の我がままの事です。自分が良い思いをしようとする心です。

しかしそれは、生きていくうえで当然の欲望です。「できるだけ快楽を味わって楽しみたい」「自分が楽しむのに邪魔な相手を攻撃したい」。

これらは生存本能からくるので、誰にでも湧いてくる欲求です。それゆえに苦しみます。


苦しみの裏には、必ず欲があります。
どの欲が自分を苦しめているのかを確認すると、苦しみの解消の糸口になります。

また、苦しみとは、物事が自分の思い通りにならない事です。ですので、はじめから思い通りにしようとしなければ、苦しみはありません。

そのため、「自分が」という我を薄めれば、苦しみは少なくなります。そして、自分の我を薄めるためには、人の為に行動することです。

人の為に自分の時間を使います。そうする事で、人の役に立つことを喜ぶ心が育ちます。慈悲の心です。

「相手のお役に立てればそれで良し、自分の事は後回し」という心です。慈悲の心が育つことで、その反対の「自分が良い思いをしたい」という、自分勝手な心が薄まります。

人の為に行動するときは、相手の事を考えているので、自分の事は忘れています。無になっています。無我です。

自分の欲望から解放されるというのは、とても清々しくて気持ちの良いものです。血流も良くなるので、心身ともに安らぎます。

誰かの役に立つということは、人にとって最大の喜びです。人間だけが、自分以外の者の為に動いたり、与えたりします。

それは人間だけが前頭前野という理性をつかさどる脳が、著しく発達しているからです。誰かの役に立つという喜びは、人間だけが味わえる喜びです。

私達の脳は、理性よりも生存本能の部位が大きいです。そのため、つい自分勝手な振舞いをしてしまいます。けれども、私達は本当は、みんな人の役に立ちたいのです。

ですので、自分勝手な振舞いをすると、後で罪悪感に悩まされます。反対に、自分の我を抑えて人の為に行動したり与えたりすると、幸福感に包まれます。

良い事をしたという充実感に包まれ、幸せを感じます。


徳を積むには、初めに湧いて来る自分の思いを、一旦飲み込まなくてはいけません。大変です。

それでも、自分の思いを飲み込んで相手の為に行動することで、徐々に我が薄まります。そして、自分の欲望も薄まります。

我が薄まれば、苦しみが少なくなります。段々と苦労せずに人の為に動けるようにもなります。人の為に動くと、脳も体も気持ちが良いです。

そして、我の無い人は人から好かれます。ですので、人の為に何か自分ができることを探して、日々徳を積んでいきます。

そうすることで人生が好転します。徳を積むということを意識する生き方は、自分自身の幸せに繋がります。

生きる目的は、幸せになることです。ですから、「人生とは徳を積むこと」とも言えます。


繰り返しになりますが、「どうすれば魂の浄化ができるのか?」の結論です。魂を浄化させるには、人格を向上させることです。

人格を向上させるには、徳を積むことです。そして、徳を積むことは、自分自身の幸せに繋がります。

陰徳を積んで魂を浄化する【気功】

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「人に知られずに人の為になることをする」それを陰徳と言います。気づかれて感謝された場合は、陰徳になりません。

これは大変です。完全に見返りを求めない行動だからです。本来、何か見返りがあるから人は動きます。

のどが渇いたら、面倒だけど冷蔵庫まで行って水を飲みます。それは、のどの渇きを潤せるからです。

陰徳は、相手に気づかれては駄目です。ですので、得られるものは、「相手のお役に立てた」という充実感のみです。

その充実感だけで満たされるように、自分をもっていかなくてはいけません。凄く難易度の高い修行です。

難易度が高い分効果も高く、自分の人格が飛躍的に向上します。

「陰徳を積む」その積み重ねが、心を強く柔軟にします。「相手のお役に立つことが幸せ」という、慈悲の心が育ちます。

慈悲の心を育てることで、己の欲望に振り回されることがなくなります。その結果、自由に生きて行けます。

自由に生きるとは、自分勝手に生きることではありません。慈悲心を育て、己の欲望から解放されることです。

陰徳を積むことで人格が向上し、許容範囲も広がります。その結果、穏やかに生活することができるようになります。

魂の浄化とは人格の向上【気功】

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魂の浄化とは、人格を高めることです。それは心を磨くことであり、魂を磨くことでもあります。人格の向上が、幸せな人生に繋がります。

生きる目的は、人格を向上させることです。生きることは大変ですし、子供のままでは生きていけません。

子供のように我ままでは生きていけないので、生きるためには、否応なしに人格を磨かなくてはいけません。人格を磨くことは、どの道に進もうとも誰もが目指すことになります。

初めはその事に気づかずに、自分の欲望を満たすために頑張ります。しかし、自分の欲望はいくら満たしても、さらに強い欲望が次から次へと襲って来て、いつまで経っても満たされません。

欲を満たそうとすることは、海水を飲むように飲めば飲むほど渇きます。その結果、「欲望は満たすのではなく、できるだけ抑えて、足ることを知るのだ」と気づきます。

さらに、「自分を満たすのではなく相手を潤そう」「それが人間の幸せな生き方だ」ということに気づきます。

「できるだけ自分の欲を抑えて、相手に与える」という、人格向上を目的とした生き方に変わっていきます。それこそが、幸せへの道だと理解するからです。

人間は、生きるために人格向上を義務付けられています。ですので、人格向上を行うために誕生しました。人間が人格を向上させると、宇宙にとって何かしらの影響があるからです。

人間が魂を磨くことが、宇宙に何か影響を与えているのです。おそらく、人間の人格向上が、宇宙の成長に繋がっているのです。

確かな証拠はありませんが、それしか考えられません。人間がしていることを客観的に観ると、地球の環境を破壊し、他の動植物を絶滅に追い込んでいます。

しかし、そんな事をするために、人間が誕生させられたはずがありません。今も光の速さで宇宙が広がっています。それはおそらく、人間が拡張しているのです。


「鏡の我を取ったら神」と、昔から言われています。鏡に写る自分自身が神ということです。神とは、すべてを作り出した存在です。

ですので、神イコール宇宙です。人生は、魂を磨き、我を無くしていくためにあります。我を無くし、神となって宇宙に帰るのが目的です。

私達は宇宙の一部です。今のままで、宇宙の一部を埋めています。その一部がなくてはすべてが崩壊してしまうので、宇宙そのものでもあります。

もともと総てはひとつです。私達は人間の人生を通して、お互いにぶつかり合い魂を磨いています。そして、人間としての役割を終えたら、また宇宙に戻ります。

ひとつに戻ります。その結果、魂が磨かれた分だけ宇宙が成長します。最後は科学的根拠のない、スピリチュアルな話になってしまいました。

けれども、魂の浄化、人格の向上のために徳を積む生き方が、自分の幸せに繋がることは間違いありません。

なぜなら、人間は人格の向上を行うために、宇宙によって誕生させられたからです。人格を向上させる生き方をすれば、宇宙が味方をしてくれます。

神を味方につける生き方です。

まとめ【気功で魂を浄化できるのか】

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気功で魂を浄化することはできません。魂を浄化するには、人格を向上させる必要があります。人格を向上させるには、苦しい目にあうか、徳を積むかです。

苦しむのは大変ですから、徳を積む生き方が良いです。徳を積むというのは、自分以外の者の為に行動するということです。

自分の事は後回しにして、まずは相手のお役に立つことを考えます。


苦しむのは自分の欲望のせいです。ですから、自分の欲望を少なくしていけば、苦しみも少なくなります。「自分」という小さな枠を捨てて、少しづつ視野を広げていくのです。

視野が広がると許容範囲も広がります。「こうでなければいけない」という幸せの条件が減っていきます。怒ったり悩んだりすることも減っていきます。

話を戻します。徳を積むという生き方は、幸せな生き方です。徳を積むことで、人格が向上し魂が磨かれます。

人が誕生した理由は、魂を磨くためです。ですので、魂が磨かれる生き方をすると、宇宙が味方をしてくれます。

「人のために行動する」という魂を磨く生き方が、自分自身の幸せへと繋がります。

繰り返しになりますが、魂を浄化させるには、人格を向上させることが必要です。そのためには、人の為に行動して徳を積むことが必要です。

命とは時間です。与えられた自分の時間を、人の為に使うことです。

有料記事 ・気功のやり方【独学】初心者から極めるまで

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